人物
考え方にしても、
一人前の人間はおのずから、
個性的な特性をもって考える。
思考のスタイルがあると言ってもよい
優秀だと人から羨ましがられるような才能をもっている恵まれた人ほど、
自信喪失に陥りやすい。
二番手、
三番手を走っているのなら間違っても自信過剰になったりする気づかいがないから安心である
笑う、
泣く、
怒るなど、
年甲斐もないことほど実は健康的で、
周囲に遠慮してストレス・メタボリック症候群になるのが一番良くない
全てを自分の責任とするのは、
いかにも立派なようであるが、
その実、
自惚れであり不遜である
大抵の嫌な事は老人にとって大した問題ではない
知識より上に新しい知を生み出す思考があることをいわゆる知識人はとかく忘れる
知識は有力であり、
適当に使えば知識は「力」であるけれども、
困ったことに知識が多くなると自分で考えることをしなくなる
知識はどんどん蓄えなくてはいけないなどと考えているうちに、
知的過多症、
知的メタボリック症候群とも言うべきものに冒される人が多くなっている
不自由を忘れることによって自由になりうる
試行錯誤は人間の生き方の基本的ルール
今の世の中、
批判は自由である。
ことに相手が強大であればあるほど、
批判は楽になるのだから面白い。
それはいいが、
困ったことに、......
面白いと思って注意して集めた知識、
考えがいくつかあるとする。
これをそのままノートに眠らせておくならば、
いくら多くのことを知っていても、
その人はただのもの知りでしかない
思考の整理とは、
いかにうまく忘れるかである
優劣をつけるのは高度の判断力が必要である
転んで痛い目にあって、
立ち上がってまた歩き出す。
それが大人である
不遇の中にチャンスがある
叱ることのできないのは教師ではない。
ただ自分の感情に任せて子どもに当たるのは親でもそうだが、
教師として下等である。
もっといけないのは不公平な叱り方である
新しいことを始める困難さを経験するところに価値がある
昨日まで分からなかったことが分かる面白さが味わえるというのは、
成長している証
人間は目指すものがなければ弱くなる
失敗を恐れては大きな成長は望めないということを、
今の時代、
忘れているのではないか
一喜一憂を繰り返している間に人間として円熟していく
マイナス思考は実はプラス思考に通じる
人間は自分の世界を、
たとえ殻であっても、
まず作らなくてはならないが、
それに安住していてはならない。
その外に宇宙があることを発見する必要がある
人にあまり迷惑をかけない程度に、
好奇心の赴くまま、
好きなことに取り組めばいい
自然に楽しく、
面白く生きることを考え始めるのが40、
50代
挑戦だとか、
そんな大袈裟なことしなくてもいいんです。
そうじゃなくて納得のいくことをきちんとやる
人間の頭はこれからも、
一部は倉庫の役をはたし続けなくてはならないだろうが、
それだけではいけない。
新しいことを考え出す工場でなくてはならない
時間は流れていく。
そのことそのものが、
人の心にいろんな考えや思いを与えて整理を難しくしてしまう
マイナス経験は早い内にするほど良い
しゃべるということはね、
運動になって頭の刺激になって活力が出てくる
人生の後半戦の勉強は、
若いときとは全く違う
物事を素直に見ることが必要
いくら人の模倣が上手くなっても、
教育は自分が誰か、
何者かは教えてくれません
僕は人の言うこともほとんど信用しないし、
自分が支配者側にいないという自覚がある
自分が本当に面白いと思うことを探しましょう。
何の役にも立たない、
他人から見たら馬鹿みたいなことでも、
好きで、
活力のようなものが湧いてくる対象を見つけられるかどうか
余計な事を知るから人間は苦しみ、
悩み、
そして自滅することすらある
言葉の教育は学校ですることと思っている人が多いが間違っている。
主として家庭で生まれて数年のうちに大体が決まってしまう
頭を空にしないと新しいことが入らないのは道理ですよ。
また異分野の友人は積極的に作るべきですが、
飽きたらさっさと他へいくのが、
お互いのためです
毎日を退屈に過ごしてばかりの老人が増えたら、
この国は立ちゆかなくなる
面白いっていう事をもっと大事にして、
面白くない事は儲かってもダメで、
偉くなっても面白くない事はダメ
失敗したらね、
ぐじぐじしない。
過去形で、
いつも前見て忘れちゃうの
転んだら立ち上がればいい。
何回も転ぶと転ぶのなんか怖くない
外山 滋比古(とやま しげひこ、1923年11月3日 - 2020年7月30日。全日本家庭教育研究会元総裁。外山家は法海山龍護院妙光寺の旧檀家である。