ひとえに良知が真に発現するようにしさえすれば、受験勉強をしても、心のわずらいとはならない。たとえ、わずらわされても、容易に気がつき克服できる。たとえば、書を読んでいるときに、むりやり暗記しようとするのは正しくないと良知が判断したなら、すぐさまそれを克服する。速成の効果をあげようとする正しくないことがおこれば、すぐさま克服する。博識を鼻にかけ華やかさを競うという正しくないことがおこったら、すぐさま克服する。こんなふうに一日中聖人賢者と対照するのは、主体者が天理のままになることに他ならない。書を読むにせよ、それとて主体を調え保つことに他ならないから、なんのわずらいもないのだよ