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名言
おばあちゃん、おかあさんの着物だって大丈夫。
エコそのものです
片岡愛之助
名言カテゴリ
#文化
片岡愛之助
片岡 愛之助(かたおか あいのすけ)は、歌舞伎役者の名跡。当代の屋号は松嶋屋、定紋は追っかけ五枚銀杏。
人物カテゴリ
#文化
片岡愛之助の名言
セリフをずらずら連ねるのではなく、三人で息を合わせながらお客様に伝えるべきことをきちんと伝えていくやりかたを、きっちりと叔父に教えていただきました
黙阿弥らしい七五調の美文が続き、つい単調になりがちで、せりふの内容がお客様の耳に残らないこともあります
「大川端」は歌舞伎好きのお客様なら「月も朧に白魚の〜」などの名セリフをそらんじているほど有名な場です。しかしかえってそれがむずかしいんです
叔父の仁左衛門に稽古をつけていただいたのですが、叔父は「大川端」のあとの部分はお嬢吉三、お坊吉三、和尚吉三という3人のアウトローの若者が生きて行く姿なのだから、「今」の僕の感覚で演じたほうがいいとおっしゃって、「大川端」だけ稽古してくださいました
伯父の我當には、秋の「永楽館大歌舞伎」(兵庫県豊岡市出石)の興行で、やはり文楽から歌舞伎に移した『近頃河原の達引 堀川与次郎内の場』の猿廻し与次郎を演じさせていただいた際、細かく教えていただきました
沢市は伯父の我當に教えていただきます。もともと祖父の十三代目(十三世片岡仁左衛門)が得意としていたお役ですし、伯父も何度か演じていますので、祖父のやり方を教えていただけるでしょう
今回の和尚吉三は橋之助兄さん(中村橋之助さん)にご指導をいただきます
父(秀太郎)は「この世界で生きていくなら、お父ちゃんの部屋子(十三世仁左衛門の内弟子)になったほうがいい」とおっしゃってくださり、京都の嵯峨にあるお宅まで挨拶に伺いました
父(秀太郎)とは特に共演が多かったわけではなく、僕自身歌舞伎俳優になろうとも思っていませんでした。でもそれがきっかけとなり、歌舞伎の世界に入ることになりました
「着物は苦しい」という人がいますが、それは人に着せてもらっているから。帯を自分で締められるようになれば、楽な着方がわかります。高いと言うけれど、長い目で見たらかえって安上がりですよ。少しぐらい太ったり痩せたりしても着られますから(笑)
でも子役を勤めているうちに学校に行けないことが増えて、だんだん勉強がわからなくなってきたので、「そろそろやめようか」と実家の両親と相談していたのです。そうしたらその月に、現在の父の秀太郎から「うちに入らないか」とお話があったのですから、まったくの偶然ですね
まず自分たちの文化を知って、海外に行ってそれを自慢してほしいですね。着物だってその一つです。日本独特の文化なのだから、和の心とモノを忘れてほしくないと思います。慣れれば「こんなにいいものだったか」と思うに違いありません
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先輩方のなかには、そういった型の部分をさっさと崩すタイプもいますが、その域が“解脱なのか、途中で型崩れしただけなのか、それぞれです。はたまた人によってはその崩れが洒脱な芸になることもあり、年代によって何をめざすのかは、その人の生き方そのものです
「餅づくし」の詞章にはことさらに意味はなくて、とにかくテンポよく、聞いている人を楽しい気持ちにさせるのが身上です
普及では具体的に、この催しならお客様が喜ぶという企画を出すことも必要です
三谷幸喜さんは「嫉妬を覚えました!」、『のぼうの城』の犬童一心監督も「やられました」と。僕の潜在能力がここまで引き出されたことに、ある意味で口惜しさを感じてくださったようで
耳をもて俳諧を聞くべからず、目をもて俳諧を見るべし
僕の場合、子どもも芝居やってるんですよ。僕の親も芝居やってたから、自分はその間の中継ぎって感じで生きていますね。うちのオヤジがやったことが、僕の肉体や考えを通して子どもに伝えられていく。先輩の芸を後輩に受け流しているような気がします
おろかなる者は思ふ事おほし
好みて酒を飲むべからず、饗応に(きょうおう)より固辞しがたくとも微醺(びくん)にして止(や)むべし、乱に及ばずの禁あり
テントでの芝居をいつかやりたいという願望は消えなかった。それが5年前の平成中村座立ち上げの原点ですね。浅草の隅田公園に江戸時代の芝居小屋のような仮設劇場を設営して「法界坊(ほうかいぼう)」をかけましたが、それはやはり古典を続けてきたからこそ、お客様に喜んでいただける破り方ができたのですね
(食道がんのため療養中だった中村勘三郎氏が息子である中村勘九郎氏の舞台にサプライズ出演した時の言葉)必ずまた帰ってまいります
(コクーン歌舞伎で義太夫(三味線に乗せて歌うナレーション)をなくし、代わりにラップを導入した時の言葉)稽古でいとうさんがラッパーの人に“ここはこういう心情だから音を高くと注文している姿を見て、歌舞伎はこうやって生まれてきたんだ、と思いましたね。歌舞伎の型は昔からあると誤解している人が多いんですけど、江戸時代にこうして作者や下座音楽が考えて型が生まれたんですよ
12歳頃ですが、子方ではないし、大人でもない。一番中途半端な時期です。その時期でも、父は普通の稽古を課しました。私はすごく変声期が長く、声が出ませんでした。大人か子どもかわからない声で謡うのですが、無理をしてでも出せと言われまして。それが父の方針でした。そんな稽古が十代半ばまで続き、15、6歳になりますと、もう完璧に大人扱いされました