名言大学

いてもいなくてもいい人間をこの世に作り出すほど、
神様は暇人じゃないし、
馬鹿じゃない、
愚かじゃない。

苦難の最中(さなか)にあっても、
決して不幸にならずに生きていけるのが人間だ。

私たちは、
ともすれば人の間にいなくては人間は生きられないのに、
自分がいかにも一人で大きくなったように思ってしまう。
そう・・

つまずくのは恥ずかしいことじゃない。
立ち上がらないことが恥ずかしい。

人間というものは、
ほんとうに一人では生きることができないものです。
お互いに支え合って人という字ができてるわけです。
人間・・

悪いということがわからないということが罪なんだ。

日頃自分が恥ずかしいと思っていることが、
本当に恥ずかしいことなのか、
恥ずかしいと思うこと自体が恥ずかしいことなのか、
よ・・

人生順調な時があり、
不遇な時がある。
不幸に見える時があり、
幸福に見える時がある。
いずれにしても絶望する必要もなければ有・・

人間として本当の生き方に立っていたならば、
一生を育児に捧げようと、
芸術に捧げようと、
決して空しさに終わるはずはない。

受けて立つより仕方のないのが、
人生のような気がする。

今までふり返ってみて、
大きな不幸と思われることが、
実は大切な人生の曲がり角であったと思われてならない。

一つの製品を生み出すためには、
醗酵の期間が大事なように、
人生というものはすべて、
待つ間に熟して行くのだ。

苦難には意味があって、
良いものも悪いものもある。
人間の目には悪いものに見えるけど、
悪いものこそ良いものなのかもしれない・・

今日という日には、
誰もが素人だ。

夫婦関係でも、
また、
嫁姑の関係でも、
労使関係でも、
友人関係でも、
相手は人間である。......

人間てね、
その時その時で、
自分でも思いがけないような人間に、
変わってしまうことがあるものですよ。

人間にとって、
転んだことは恥ずかしいことじゃない。
起きあがれないことが恥ずかしいことなのだ。

人生の一番の勉強は、
困難を乗り越えることにある。

ほんとうに人を愛するということは、
その人が一人でいても生きていけるようにしてあげることだ。

包帯を巻いてあげられないのなら、
むやみに人の傷にふれてはならない。

人生にはピリオドは唯一つで、
あとはコンマ、
コンマの連続だという思いがしきりにした。
最後の終止符を打つまでは、
人生いろい・・

高い宝石を買うには、
高いお金を出さなければいけない。
素晴らしい平安を頂くには、
それなりの代価を払わなければいけない。

秀れた人間というのは、
他の人間が愚かには見えぬ人間のことだろう。

三浦 綾子(みうら あやこ、1922年4月25日 - 1999年10月12日)は、日本の作家。北海道旭川市出身。旧姓:堀田。結核の闘病中に洗礼を受けた後、創作に専念する。故郷である北海道旭川市に三浦綾子記念文学館がある。