名言大学

プロレスはいわゆるショーじゃない

相撲には相撲の哲学があり、
プロレスにはプロレスの哲学がある

(プロレス界に)入った時、
記者会見で「103キロあります」って言ったけど、
実際には90キロしかなかった

相撲は相撲で辛いけど、
プロレスはプロレスで辛いものがある

俺は恵まれているよ

(プロレス界に挑戦して)僕はもう2年ぐらいしか自分の身体はもたないと思っていましたよ

生きてりゃ、
いい時も悪い時もある

私も初めはプロレスをショー的なものだと思っていたけれども、
いざ自分がやってみたら、
プロレスはそんなもんじゃないと

最高の財産は友人

(プロレスへの挑戦について)社会人として、
ひとつの挑戦でしたね

人生はお金じゃないんだ

(今日の勝因はなんですか?
)勝因ってなんですか?

私はその昭和49年名古屋場所の1、
2年前から、
いずれ自分は、
北の湖に抜かれるだろうと感じていました

(1986年11月1日、
石川県七尾市総合体育館で行われたプロレスデビュー戦)本当にすべてに感謝でした

昔の力士は、
“自分の型というのを持っていましたが、
今の彼らは、
それがいささか弱い気がします

黄金の左腕?
 野球じゃあるめえし

外国人力士はみんな体が大きくて力も強い。
日本人力士はかなり苦戦していると思います

(プロレス時代)相撲では足より上が土俵(地面)に付くと負けになってしまうから、
どうしても背中をマットに付けることに抵抗があった

やってる時は夢中だったから勝ち負けの数字にこだわっていなかった

「裸になったので、
また裸で出直します

(ジャイアント)馬場さんとの思い出は、
一冊の本になるくらいありますよ

無限だよ。
う〜ん、
無限、
無限

やっぱりプロレスに入った以上、
1回はチャンピオンになりたかった

俺、
子供が好きなんだよ。
俺、
マジ欲しいよ

彼ら(全日本プロレスのレスラー達)が何年も苦労して覚えたことを、
たったの1〜2年で教えてくれるわけです

受け身が怖いんですよね。
踏ん張らないで相手に身を任せた方がいい状況でも、
僕なんかは固くなっちゃって身体がガチガチなんです

みんな仲間でしたよ。
全日本の選手はみんな横綱!って言って可愛がってくれる

(プロレス時代)「無我夢中で必死にやった2年間は、
僕の人生の大切な1ページですね

せっかくの人生、
楽しまなくちゃ

その日その日、
毎日毎日が一生懸命だった

輪島 大士(わじま ひろし、1948年(昭和23年)1月11日 - 2018年(平成30年)10月8日。輪島 大士(わじま ひろし、1948年(昭和23年)1月11日 - 2018年(平成30年)10月8日)は、石川県七尾市出身で花籠部屋所属の元大相撲力士、第54代横綱、全日本プロレス所属の元プロレスラー、元タレント。本名は輪島 博(わじま ひろし)。血液型はA型。大相撲時代は身長185 cm、体重132kg。ニックネームは蔵前の星、黄金の左、現役引退後はワジー。

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