名言大学

ロック=ギター

メロディも言葉も、
もう何もかも全てが想像以上に膨らんでいった

僕の最愛のアーティスト、
デービッド・ボウイの最後のアルバム「ブラック・スター」を聴いたとき、
作品はアーティストがこの世に生きた証として残るものだから、
ライブとは違った意味で大切なものだ、
ということに改めて気付かされた

全てのアルバムの間にライブがある

仕事をしているときは、
音楽を作り、
音楽を伝え、
自分自身を探求し、
その中で挫折したり喜びを感じたりして生きています

自分に一番ふさわしい夢を持てたことを幸せに思います

行き詰まった未来の中では、
ただうなだれるんじゃなく、
愛と勇気が大事

自分自身に退屈したらアーティストとしておしまい

皆さんの記憶の中にあるBOØWYは武道館や東京ドームを満員にしている姿かもしれません。
だけど、
6年の活動の間、
食えるようになったのはじつは後半の数年間

アーティストっていうのは「創作」と「ライブパフォーマンス」の2つしかありません

英国人の音作りはディテールより骨格を大切にし、
ダイナミックで芯がある

周りからは、
もう成功しているのだから日本にいれば何の問題もなく過ごせるのにと言われたけど、
ミュージシャンとして、
世界という新たなステージに挑戦してみたかった

自分の存在を知ってもらうためには、
地道な努力が必要です

スリルのある存在でいたい

ベルリンは僕の人生の分岐点とも呼べる、
特別な場所

イギリスに渡ったからって、
ギターが急にうまくなるわけじゃないよね(笑)

自分のアーティスト人生の中で、
これこそ自分の代表作だと言い切れる作品、
あらゆる面で自分らしいと思える作品として『Paradox』を作れたことは喜びでもあったし、
自分のハードルをあげることができた

夢を追うのに遅くはない

過去の曲を振り返ってみると、
音を詰め込み過ぎていたなと思う

僕が初めてBOØWYというバンドでベルリンの伝説のハンザトン・スタジオにレコーディグのため訪れたのは1985年

今、
目の前にいる一人の心を掴めば、
いつか必ず100人に、
そして1万人に伝わるはずだ

50代であらためて感じるのは、
僕は「悔しさ」が好きなんだなってことです

今50歳代になって作るべきものというのは、
若い頃の冒険心や探究心とはまた違う

日本にいる頃は、
作品を作り続けるスピードも、
追い立てられるようにというか、
常に締切が自分を応援してくれるところがあった

僕は体も大きいし、
みんなからは「男とはこうだ」と喝を入れてほしいキャラに見えるようですが、
実際には案外ノホホンとしている

若い頃はビッグマウス。
でも「ヤバい、
言っちゃった」と焦る自分もいた(笑)

音楽業界におけるテクノロジーの進歩は目覚しい

BOOWYの初期の頃ライブハウスに客が20人しかいなかった

ギターと刀は似ている。
両手を使って心で切る

ブライアン(セッツァー)は、
僕がBOØWYの頃から尊敬しているギタリスト

ゴールより過程を楽しむほう

イギリスの時間の流れはとてもゆったりだし、
時にイライラするぐらい何も起こらない

(海外移住の理由の一つ)もう1回、
自分に気合いを入れ直したい

ギターとの出会いが僕の人生を大きく動かしてくれました

自分の目と身体で感じ取れたことがすごく自信になっている

歳をとることは老いていくことじゃなく満ちていくこと

自分っていうギタリスト、
人間が自分らしく進んでいったらどこまで行けるだろう?
 っていう、
旅みたいなもの

自分のスタイルを貫くためにも「昨日よりも今日」という姿勢は大切

自分のビートだけだと偏りがち

僕がここで後ろ向きになったり諦めたりしたらロックが廃れる

ロックでありギターの1番カッコいいところをばら撒きたい

プレーヤーとして音楽の真ん中にいられるのがギタリスト

ホントの自分は風変わりで、
ロマンチストで、
ファッションを愛し、
そして人を煙にまくのが好きなくせに寂しがり屋っていう人間

僕が事あるごとにニヤッとできるのは、
きっとゴールなんて求めていないからでしょうね

歌う限りは、
とにかく詞を大切にしたい

自分の中に取り込んだものが血となり肉となっています

若かりし頃は音楽に社会的メッセージを乗せることはあまり好きじゃなかった

自分のパフォーマンスに今、
誇りと自信を持っている

昔から変わらないとこは変わらない

エンタテインメントといってもいろいろあるけど、
実験的でありながらもポピュラリティに背を向けず、
輝くものを作る

布袋 寅泰(ほてい ともやす、1962年2月1日 - )は、日本のロックミュージシャン、ギタリスト。身長187cm、血液型はB型。