名言大学

救済というのは、
集団の中で発揮される個人的なエゴイズムにすぎない。
だれが、
欠けた茶碗を、
枯れた一本の木を救済などできるものか

人間の「苦痛」という奴だけは、
量るわけには参りません。
「苦痛」こそはまさに、
絶対

大体、
不満屋ってのは世の中との折り合いが悪いんじゃなくて自分との折り合いが悪い奴のことなんだから

人間は中途半端な死体として生まれてきて、
一生かかって完全な死体になるのだ

言葉を友人に持ちたいと思うことがある。
それは、
旅路の途中で自分が、
たった一人だということに気づいたときである

男はだれでも 死について想っている 男にとって『いかに死ぬべきか』という問いは『いかに生くべきか』という問いよりも はるかに美的に響くのだ

人の一生は かなしい時計番の仕事にすぎない

私は必ずしも「競馬は人生の比喩だ」とは思っていない。
その逆に「人生が競馬の比喩だ」と思っているのである

私は私自身の記録である

映画に主題歌があるように、
人の一生にもそれぞれ主題歌があるのではないだろうか

大体人生相談してくるのは、
相談前にもう自分で答えが決まってるのが多い

詩人にとって、
言葉は凶器になることも出来る

つまらない書物というのはないが、
つまらない読書というのはある

人生の暗い部分を見ない人間には、
その深さはわからない

さよならだけが人生。
ならば、
またくる春はなんだろう

たかが言葉で作った世界を言葉でこわすことがなぜできないのか。
引き金を引け、
言葉は武器だ

この世でいちばん遠い場所は 自分自身の心である

私の存在そのものが質問なのだ。
その答えを知りたくて生きてるんだ

賭博の構造の中には、
きわめて回転の速い富の流通回路の構造がひそんでおり、
弱者にも偶然のチャンスというたのしみが残されているのだ

漂泊とは たどりつかぬことである

振り向くな、
振り向くな。
後には夢がない

死を抱え込まない人生に、
どんな真剣さがあるだろう

教育は与えるものではなく受け取るものである

夢を深く見すぎると、
いつかその夢に復讐されます。
かと言って、
夢を見ようとしない人は、
いつも味気ない日を過ごさなければなりません

女は何時でも、
家を作る。
巣を作るのも、
ねぐらをあたためるのも女、
子守唄をうたうのも、
あたたかいスープを作るのも女である

石畳をめくれば、
その下は砂浜だ! 文明の虚しさは、
たかが一枚の石畳の厚さ

卑怯者ってのはね、
きみが何をしたか、
ってことじゃなく、
きみが何を後悔してるかってことで決まるんだよ

ほんとうは、
名台詞などというものは生み出すものではなくて、
探し出すものなのである

飛ばない鳥は飛べない鳥です。
つまり能力はあっても彼は空を歩けない男なのです

時には、
言葉は思い出にすぎない。
だが、
時には言葉は世界全部の重さと釣り合うこともあるだろう

先生と生徒の関係というのは、
有識と無識という階級関係によっては成り立たない

勝負というのはいわば、
絶対へのあこがれなのであって、
そこにおける叙事詩的な成果は、
まさに勝利にしかない

片想いってなに?
と女の子が訊きました。
想像力の愉しみだよ、
と僕は答えました

ふるさとなどは、
所詮は家出少年の定期入れの中の一枚の風景写真に過ぎないのさ

一つのことを信じることは、
別のことを裏切るということだ。
信じるというのは、
残酷なことなのだ

なみだは人間の作るいちばん小さな海です

現代にあって戦争は政治利益の手段として、
使命と役割を与えられ、
貧困と飢餓にあって、
戦いたくないものまで戦わさせられている

どんな鳥も想像力より高く飛べる鳥はいない。
人間に与えられた能力のなかで、
一番素晴らしいものは想像力である

鳥人の理想はあくまでも飛ぶことにあるのであって、
飛ぶことによって何かを為すことにあるのではない

人は言語によってしか自由になることができない。
どんな桎梏からの解放も言語化されない限りは、
ただの解放感であるにとどまっているだろう

悪口の中においては、
常に言われている方が主役であり、
言っている方が脇役であるという宿命がある

明日何が起こるかわかってしまったら、
明日まで生きる楽しみがなくなってしまうことだろう

愛されることには失敗したけど愛することなら、
うまくゆくかも知れない。
そう、
きっと素晴らしい泡になれるでしょう

だれだ、
あくびをしたのは。
まだすることは一杯あるんだ

僕は政治主義が嫌いで、
革命が好きである

人は誰でも、
実際に起こらなかったことを思い出にすることもできるものなのです

重要なことは賭博は、
時間的な人生の燃焼であって、
実業ではないということである

寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年〈昭和10年〉12月10日 - 1983年〈昭和58年〉5月4日)は、日本の歌人・劇作家。演劇実験室を標榜した前衛演劇グループ「天井桟敷」主宰。
「言葉の錬金術師」「アングラ演劇四天王のひとり」「昭和の啄木」などの異名をとり、上記の他にもマルチに活動、膨大な量の文芸作品を発表した。競馬への造詣も深く、競走馬の馬主になるほどであった。

本・作品