名言大学

科学は絶えず進歩している。
常に明日の飛躍が約束されている

現実はその根底において、
常に調和している。
詩人のみがこれを発見する

現実はその根底において、
常に簡単な法則に従って動いているのである。
達人のみがそれを洞察する

アイデアの秘訣は、
執念である

取り返しのつかない大きな失敗をしたくないなら、
早い段階での失敗を恐れてはならない

現実は複雑である。
あらゆる早合点は禁物である

現実は予想できぬように豹変する。
あらゆる平衡は早晩打破される

現実は、
痛切である。
あらゆる甘さが排除される

一日、
生きることは、
一歩、
進むことでありたい

自分の能力は、
自分で使ってみなければわからない

今日はあれをやり、
明日はこれ、
というようにあまり気が散ると、
結局どれもものにならないですね

新しい真理の発見のときはつねに少数派である。
それが正しければ多数派になる

今日の真理が、
明日否定されるかも知れない。
それだからこそ、
私どもは、
明日進むべき道を探しだす

現実のほかにどこに真実があるかと問うことなかれ。
真実はやがて現実となるのである

一つも失敗したくないなら、
人の真似をする他ない

メルヘンといいますか、
子供の世界というんですか、
そういうところへ戻りたいという気持ちがいつもあるんです

中間子の発見は、
まだまだ大きい宇宙の中の一つの星を見つけたようなものです

科学研究も人間の知的好奇心にもとづく創造であって、
芸術やその他の文化活動と同じものだ

ただ流行を追っているというのは、
つまらない生き方です

独創的なものは、
初めは少数派である。
多数というものは独創ではない

科学の歴史は裏から見れば失敗と停滞の歴史でもある。
しかし早い段階での失敗がなかったら、
成功も飛躍もなかったであろう

未知の世界を探求する人々は、
地図を持たない旅行者である

色々な事にあれこれ手を出すよりも、
一つの事に集注した方が成果が出る

未来を過去のごとくに考えよ

自然は曲線を創り、
人間は直線を創る

君たち全員に優の成績をあげるけれども、
勉強は自分でしなさいよ

もっと日本の若い科学者をアメリカに留学させなければなりません。
私も研究のための物資を日本に送ることができたら・・・・

人類の利益になる研究を続けていくのは喜びです。
しかし日本にはあらゆるものが不足しており、
科学研究も劣っています

今のところ来年の六月までおることになっています。
日本へ帰らなければなりませんが、
研究の便宜からいうと米国の方が落ち着いて仕事が出来ます

私たちはコロンビヤ大学の直ぐ近くの百廿一丁目とアムステルダム街にあるアパートに住んでいます。
この辺は割合に静かなところでハドソン河がすぐ側です。
周囲には街路樹や公園があって奇麗で住心地のよいところです。
家内も子供も元気でおります

(アインシュタイン博士について)プリンストンからニューヨークへ来てからお目にかかる機会が少ないのですが、
昨年暮の手術後は元気を回復されたようです

プリンストンでも忙しかったが、
この春コロンビヤ大学へきてから月曜と木曜に講義していますが、
研究の外に他の大学や、
科学方面の会に講演も頼まれるのでますます忙しくて自然故国の友人その他各方面にごぶさたしていますが、
この電話を機会に御紙を通じてよろしくお伝えしていただきたいと思います

十四年前に中間子論を発表して、
その後まだ研究を続けているのです。
いろいろ研究はしていますが、
一言にしていえば、
この三月にニューヨークで高田君にお話した通り、
私の研究の重点は要約すると『いろいろの質量の中間子にどのような根本的法則があるか』の探究です

日本の物理科学界のために何か役立たせることが出来ればと思っています

授与式は十二月十日にストックホルムで行われますがまだ先方(スエーデン科学院)からそういう点での連絡はありませんからいまのところ予定は何もはっきりしていません

科学者が科学上の仕事で世界のために尽くすことが出来るのは本懐だと思います

私としては科学者としての自分の研究によって最高の表彰を受けるという名誉を担ったので、
身にあまる光栄と思っています

私の研究分野である物理理論の立場からすれば日本の科学者は米国ばかりでなく世界各国から尊敬されていますから、
日本の皆さんも力を落とさず大いに奮闘して勉強してほしいと思います

日本はいま困難が山積しているので、
少し元気がないかも知れませんが、
国民全体が大いに奮起して立ち上がって行こうと非常な努力を払っておられることは大へん結構なことでうれしいと思います

湯川 秀樹(ゆかわ ひでき、1907年(明治40年)1月23日 - 1981年(昭和56年)9月8日)は、日本の物理学者(理論物理学)。京都大学・大阪大学名誉教授。京都市名誉市民。1943年(昭和18年)文化勲章。位階勲等は従二位勲一等旭日大綬章。学位は理学博士。