名言大学

志の低い男は、
目の付け所が低い

何様(なによう)の能事(のうじ)持ちたりとて、
人の好かぬ者は役に立たず

人生のどんな隅にも、
どんなつまらなそうな境遇にも、
やっぱり望みはあるのだ

人間の一生などは、
ほんとうに短いものだ。
だから好きなことをして暮らすのがよい。
つかの間ともいえるこの世において、
いやなことばかりして苦労するなんて愚かなことだ。
だが、......

『只今がその時』、
『その時が只今』、
つまり、
いざという時と平常とは同じことである

私なく案ずる時は、
不思議の知恵も出づるなり

礼儀を乱さず、
へり下りて、
我が為には悪しくとも、
人の為によき様にすれば、
いつも初会の様にて、
仲悪くなることなし

武士道と云ふは、
死ぬ事と見付けたり

五十ばかりより、
そろそろ仕上げたるがよきなり

不幸せの時くたびれる者は、
役に立たざるなり

土は食はねども高楊子、
内は犬の皮、
外は虎の皮

毎朝、
毎夕、
改めては死ぬ死ぬと、
常往死身に成っているときは、
武道に自由を得、
一生落度なく、......

若し図にはづれて生きたらば、
腰抜けなりとて、
世の物笑ひの種となるなり。
此のさかひ、
まことに危し。
図にはづれて死にたらば、......

若し図にあたらぬとき、
犬死などと云ふは、
上方風の打ち上がりたる武道なるべし。
二つ一つの場合に、
図にあたることのわかることは、
到底出来ざることなり。......

凡そ二つ一つの場合に、
早く死ぬかたに片付くばかりなり。
別に仔細なし。
胸すわりて進むなり

武士たるものは、
武道を心掛くるべきこと、
珍からしからずといへども、
皆な人油断と見えたり。
其の仔細は、
武道の大意は、......

凛とした気持ちでいれば、
七呼吸の間に判断がついてしまうものである

貴となく、
賤となく、
少となく、
悟りても死、
迷うても死

翌日の事は、
前晩よりそれぞれ案じ、
書きつけ置かれ候。
これも、
諸事人より先にはかるべき心得なり

我人、
生くる事が好きなり

人に意見をして疵(きず)を直すと云ふは大切の事、
大慈悲、
御奉公の第一にて候

盛衰を以て、
人の善悪は沙汰されぬ事なり

名人も人なり 我も人也

兼好・西行などは、
腰ぬけ、
すくたれ者なり。
武士業(わざ)がならぬ故、
抜け風をこしらへたるものなり

酒盛の様子はいこうあるべき事なり。
心を附けてみるに、
大方飲むばかりなり。
酒というものは、
打ち上がり綺麗にてこそ酒にてあれ、
気が附かねばいやしく見ゆるなり。......

徳ある人は、
胸中にゆるりとしたる所がありて、
物毎いそがしきことなし。
小人は、
静かなる所なく当り合ひ候て、
がたつき廻り候なり

礼にて腰は折れず、
敬語で筆は磨り減らぬ

少し眼見え候者は、
我が長(た)けを知り、
非を知りたると思ふゆゑ、
猶(なほ)々自慢になるものなり。
実に我が長け、
我が非を知る事成り難きものの由。......

分別も久しくすれば寝まる

人間一生誠に纔(わづか)の事なり。
好いた事をして暮すべきなり。
夢の間の世の中に、
すかぬ事ばかりして苦を見て暮すは愚(おろか)なることなり。
この事は、
悪しく聞いては害になる事故、......

端的只今の一念より外はこれなく候。
一念一念と重ねて一生なり

恋の至極は忍恋と見立て候。
蓬ひてからは恋のたけが低し、
一生忍んで思ひ死(じに)する事こそ恋の本意なれ

世に教訓をする人は多し、
教訓を悦ぶ人はすくなし。
まして教訓に従ふ人は稀(まれ)なり。
年三十も越したる者は、
教訓する人もなし。
教訓の道ふさがりて、......

若き内に立身して御用に立つは、
のうぢなきものなり。
発明の生れつきにても、
器量熟せず、
人も請け取らぬなり。
五十ばかりより、......

少し理屈などを合点したる者は、
やがて高慢して、
一ふり者と云はれては悦び、
我今の世間に合はぬ生れつきなどと云ひて、
我が上あらじと思ふは、
天罰あるべきなり

武士道に於(おい)ては死狂ひなり

芸は身を助くると云ふは、
他方の侍の事なり。
御当家の侍は、
芸は身を亡ぼすなり。
何にても一芸これある者は芸者なり、
侍にあらず

大酒(たいしゅ)にて後れを取りたる人数多(あまた)なり。
別して残念の事なり

幻(げん)はマボロシと訓(よ)むなり。
天竺(てんじく)にては術師の事を幻出師(げんしゅつし)と云ふ。
世界は皆からくり人形なり。
幻の字を用ひるなり

只今の一念より外はこれなく候。
一念々々と重ねて一生なり

さては世が末になり、
男の気おとろへ、
女同前になり候事と存じ候。
口のさきの上手にて物をすまし、
少しも骨骨とある事はよけて通り候。
若き衆心得有りたき事なり

大行(たいこう)は細瑾(さいきん)をかへりみずと云ふことあり

今どきの奉公人を見るに、
いかう低い眼の着け所なり。
スリの目遣ひの様なり。
大かた身のための欲得か、
利発だてか、
又は少し魂の落ち着きたる様なれば、......

勝茂公兼々御意なされ候には、
奉公人は四通りあるものなり。
急だらり、
だらり急、
急々、
だらりだらりなり

人中にて欠伸仕り候事、
不嗜なる事にて候

大慈悲を起こし人の為になるべき事

親に孝行仕るべき事

主君の御用に立つべき事

武士道においておくれ取り申すまじき事

酒に酔ひたる時一向に理屈を言ふべからず。
酔いたるときは早く寝たるがよきなり

山本 常朝(やまもと つねとも、万治2年6月11日(1659年7月30日) - 享保4年10月10日(1719年11月21日)は、江戸時代の武士、佐賀藩士。『葉隠』の口述者。「じょうちょう」とは42歳での出家以後の訓で、それ以前は「つねとも」と訓じた。通称神右衛門、俳号は古丸。