名言大学

私にとって、
映画は、
人生の一片ではなく、
一切れのケーキだ

アルフレッド・ヒッチコック

まだ笑うことが出来る限り、
彼はまだ貧乏ではない

アルフレッド・ヒッチコック

良い映画なら、
音を消しても観衆は何が起こっているかはっきりと思い描くことが出来るだろう

アルフレッド・ヒッチコック

私は型付けされた映画監督だ。
もし私が『シンデレラ』を撮ったとすれば、
観客はすぐに馬車の中に死体を探すだろう

長編映画では監督が神。
ドキュメンタリー映画では神が監督だ

アルフレッド・ヒッチコック

私は若者を支持する。
私は22歳で最初の脚本を書き上げ、
25歳で初めて映画を監督した。
だから私は若さを賞賛する。
周りは私を70歳だというが、
そんなものはとんでもない嘘だ。......

アルフレッド・ヒッチコック

運がすべてだ。
私の幸運は私が本当の臆病者だったことだ。
恐怖に対して敏感な臆病者で、
私は恵まれている。
なぜならヒーローは優秀なサスペンス映画を作れないからだ

恐怖を取り除く唯一の方法は、
それを映画にしてしまうことだ

アルフレッド・ヒッチコック

映画の長さは、
人間の膀胱の我慢強さに直接関係させるべきだ

喜びを与えるんだ。
悪夢から目が覚めたときに感じるような喜びを

ドラマとは、
退屈な部分がカットされた人生である

アルフレッド・ヒッチコック

(スナックにいた客たちが「鳥が襲ってきた」ということを話しあう場面で、
たまたま店の客の中に鳥類学者がいたというシーンについて)わたしはそこ(スナック)にやってくる必然性をそれらしく描いてみせることもできたわけだし、
そのためには三シーンほど余計に撮ればよかっただろうけどね。
でも、
まったくつまらない三シーンになっただろう

アルフレッド・ヒッチコック

ヘンに理屈っぽいやつが、
<マクガフィン>の内容や真相を解明しようとしたところで、
なにもありはしないんだよ

アルフレッド・ヒッチコック

汽車の時間に間に合うかどうかギリギリの所で駅に駆けつけるのが『サスペンス』。
発車間際にその列車のステップにしがみつくのが『スリル』。
ようやく座席に落ち着き一息ついたところで、
行先が違うことに気づく。
これが『ショック』だ

アルフレッド・ヒッチコック

私の感じでは、
あの(映画『サイコ』の)内容は笑えるものだったし、
たちの悪いジョークだったんだよ

アルフレッド・ヒッチコック

サスペンスとは女のようなものだ。
想像にまかせる部分が多いほど、
興奮も大きい

アルフレッド・ヒッチコック

私は自分自身の作品を見るのが怖いのです。
だから決して私の作品を見に行くことはありません。
どうやって観客の皆さんが私の作品に耐えているのか、
私にはわかりません

アルフレッド・ヒッチコック

(懲罰を受ける時間を生徒自身が決めるというシステムについて)早朝でも昼休みでも午後でも夜でもかまわないのだが、
少年にとっていちばん恐ろしいのはそれを自分で決めなければならないことだ

アルフレッド・ヒッチコック

中庭の向こう側の光景は、
様々な人間の縮図だ

主題なんか、
どうでもいい。
演技なんか、
どうでもいい。
大事なことは、
映画のさまざまなディテールが、......

アルフレッド・ヒッチコック

何かを表現するためにスクリーンに映像をつらねるときには、
けっして事実にわずらわされてはならないということ。
いかなる場合にも、
あくまでも映画的な手法を正しく使うことによってのみ、
自分の求めたもの、
頭に描いていたすべてのイメージを、......

アルフレッド・ヒッチコック

映画づくりの鉄則は、
迷いが生じたら、
どんなことがあっても、
すぐ確実な地点へ戻ってやり直す(run for cover)ことだ

アルフレッド・ヒッチコック

わたしが思うに、
映画俳優にとって必要欠くべからざる条件は、
ただもう、
何もしないことだ。
演技なんかしないこと、
何もうまくやったりしないこと。......

アルフレッド・ヒッチコック

観客の心をしっかりと掌中におさめていれば、
観客は映画といっしょに考えてくれるので、
ハッピーエンドがいらない場合もありうる。
ただ、
その場合には映画の体内にたっぷりエンタテインメントの滋養分をあたえてやらなければならない

アルフレッド・ヒッチコック

ストーリー・テラーにストーリーの〈らしさ〉を要求するなんてことは、
具象派の画家に物を正確に厳密に描くことを要求するのと同じくらいばかげたことだよ。
そんなことになれば、
具象派の絵画の極致は、
カラー写真ということになってしまうじゃないか。
そうじゃないかね?......

アルフレッド・ヒッチコック

どんなときでもできるだけ観客には状況を知らせるべきだということだ。
サプライズをひねって用いている場合、
つまり思いがけない結末が話の頂点になっている場合をのぞけば、
観客にはなるべく事実を知らせておくほうがサスペンスを高めるのだよ

アルフレッド・ヒッチコック

わたしたちは、
映画のシナリオを書くときに、
まず、
台詞と視覚的な要素をはっきりと区分し、
つねに、
できるかぎり台詞にたよらずに、......

アルフレッド・ヒッチコック

(映画「サボタージュ」について)観客は当然少年が助かるものと思って、
はらはらするスリルを楽しんでいたのに、
予想を裏切って少年が死んでしまい、
すっかり怒ってしまって、
スリルもサスペンスも消し飛んでしまった。
これは失敗だった

『らしさ』なんてものには私は興味がない

アルフレッド・ヒッチコック

『サイコ』は観ている人に悲鳴や叫び声を上げさせるために作られたものだった。
でも、
ジェットコースターの悲鳴や叫び声以上のものではなかった・・お客さんが楽しんで笑いながらジェット・コースターから降りてくれることを望んでいるだけだがら、
それ以上の大それたことをする必要はなかったんだ

アルフレッド・ヒッチコック

あれ(映画『サイコ』)を真に受ける人がいるのを知って私はビックリしたね

アルフレッド・ヒッチコック

サー・アルフレッド・ジョゼフ・ヒッチコック(英: Sir Alfred Joseph Hitchcock, KBE、1899年8月13日 - 1980年4月29日)は、イギリス出身の映画監督、映画プロデューサー、脚本家である。映画史上最も影響力のある映画監督のひとりと見なされており。ほとんどの監督作品に小さな役でカメオ出演したことや、テレビ番組『ヒッチコック劇場』(1955年 - 1965年)のホスト役を務めたことでも広く知られている。