名言大学

漂えど沈まず

右の眼は冷たくなければならず、
左の眼は熱くなければならないのである。
いつも心に氷の焔をつけておくことである

明日、
世界が滅びるとしても今日、
あなたはリンゴの木を植える

教えるものが 教えられるのが 教育の理想である

大人と子供の違いは持っている玩具の値段のちがいだけである

とにかくいうべきことはハッキリといっておく必要がある。
無益か有益かはやってみなければわからないが、
いうべきことはいわねばならぬ

釣師は心に傷があるか・・・釣師は心に傷があるから釣りに行く。
しかし、
彼はそれを知らないでいる

悠々として急げ

春の肉体に 秋の知慧の宿る 理屈があるまい

howはわかるけどwhyはわからない

飲むのはつめたく 寝るのは軟らかく 垂れるのはあたたかく 立つのはかたく

何事であれ 取材費を惜しむと 仕事が痩せる

男は具体に執して抽象をめざそうとしているが 女は抽象に執しながら具体に惑溺していこうとする

釣りをしているときは外からは静かに見えるけど、
実は妄想のまっただ中にある。
このとき考えていることといえば、
原稿料のこと、
〆切日のこと、
編集者のあの顔この顔、......

顔のヘンな魚ほどうまいものだよ。
人間もおなじさ。
醜男、
醜女ほどおいしいのだよ

釣りとは絶対矛盾的、
自己統一である

釣師と魚は濡れたがる

釣りの話しをするときは両手を縛っておけ

心はアマ、
腕はプロ

心に通ずる道は胃を通る

おだやかになることを学べ

毒蛇は急がない

神とともに行け VAYA CON DIOS

人の一生の本質は二十五歳までの経験と思考が決定する

外国語が読めても外国人のことはわからない。
外国語が話せても、
わからない。
外国に住んでも、
わからない。
外国人を知るには文学によるしかない。......

生まれるのは、
偶然 生きるのは、
苦痛 死ぬのは、
厄介

犬好きも猫好きも、
どこか病むか傷ついているかという点では完全に一致しているのではないかと思う

遠い道をゆっくりと けれど休まずに歩いていく人がある

海が鳴る夜は人も答えねばなりません

朝露の一滴にも天と地が映っている

波のなかに岩がある たくさんの獣が遊んでいる

入ってきて人生と叫び 出て行って死と叫ぶ

月並みこそは黄金

神がサイコロを振ることはない

神は細部に宿り給う

二十五歳までの女は自分だけを殺す。
三十五歳までの女は自分と相手を殺す。
三十五歳以後の女は相手だけを殺す

スパイ小説とボルノは一人の人間の大脳皮質にとってはほぼおなじ役割をする

死を忘るな memento mori

《正直が最善の策》というのは熟慮、
権謀を尽くしたあげくの人が吐く痛苦の言葉だ

自然を温存するためには人間は謙虚にならなければならない

だいたい出版社の人は次の作品がほしいから、
甘い蜜のような言葉ばかりを注入してくださる。
ほめることがないと、
句読点の打ち方がうまい(笑)とおっしゃる方もいる。
「お前の作品はだめだ」ということをそういう表現で現すわけです

無駄をおそれてはいけないし無駄を軽蔑してはいけない。
何が無駄で何が無駄でないかはわからないんだ

かくて、
われらは今夜も飲む、
たしかに芸術は永く人生は短い。
しかしこの一杯を飲んでいる時間くらいはある。
黄昏に乾杯を!

何かを得れば、
何かを失う、
そして何ものをも失わずに次のものを手に入れることはできない

成熟するためには遠回りをしなければならない

私は人間嫌いのくせに、
人間から離れられない

無駄を恐れてはいけないし、
無駄を軽蔑してはいけない

人は昨日に向う時ほど今日と明日に向っては賢くなれない

あるときロンドンを名所探訪で歩きまわっていたら、
まったく偶然に一枚の銅板に出会わしたことがある。
それは“STUDY TO BE QUIETというのである。
私の釣りは技も心もまだまだこの一句から遠いところにあり、
むしろ川岸にたつと、
いよいよ心乱れてならないのである

臆病はしばしば性急や軽躁と手を携えるものだが、
賢明は耐えること―耐え抜くことを知っている

開高 健(かいこう たけし/かいこう けん、1930年〈昭和5年〉12月30日 - 1989年〈平成元年〉12月9日)は、日本の小説家。組織と人間の問題を扱った『パニック』『裸の王様』や、ベトナム戦争取材の体験をもとにした『輝ける闇』などがある。また趣味の釣りについて世界各地での体験を綴ったエッセイ『フィッシュ・オン』『オーパ!』などでも知られる。

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