名言大学

世界中の子どもたちの声をもっともっと、
聞いていきたい

ベトナム戦争時代から百戦錬磨のジャーナリストの方々の死を目の当たりにした時。
亡くなった後、
その方の取材した記録やカメラやPC、
さまざまな取材機器だけがどっさりと残った。
先輩であり先生でもあった人が今この場にいなくて、
物だけがどっさり残っている。......

戦場の最前線を取材していて、
遭遇する大きな葛藤についてお伝えします。
それは、
撮影する被写体が危険にさらされているときに“助けるべきなのか、
“撮影するべきなのかという瞬間です

現場に何度も足を運ぶことで世界常識を肌でとらえ、
日本を発った時点で生まれたての赤ん坊のような柔らかい五感に気持ちをリセットしてしまうことが理想なのかもしれません

日本では絶対に許されないことが諸外国では当たり前に許されることが数多くあり、
現場で動揺したり、
悲しい結果になってしまったことが今まで多々ありました

(戦場とは)取材よりも、
危機管理が第一の場所であると思っています

1回目で取材拒否なら3か月後にもう一度トライ。
ダメなら1年後と、
何年もかけて追いかけてコンタクトを積み重ねていきます。
コツコツ緻密な作業を続けていくことで初めて、
取材を進めていくことができます

世界には日本とは異なる生活習慣や常識で生きている人がたくさんいます。
「日本の常識は世界の非常識、
世界の常識は日本の非常識」といわれる通り、
どの国の常識が正しいということはまったくありません

護衛がいても危ない所には近づかない

戦場が流動的なところには行かない

最前線に行く時は世界最強の軍隊の自走砲部隊と行動する

ボクは・・、
喋るのが・・とてもゆっくりなので、
質問のメールは、
ツイッターと同じ・・140文字以内でお寄せ下さい

世界で日本のパンが一番柔らかくておいしい。
現地ではこの日本のパンは『ジャパン』と呼ばれる

サバイバルイングリッシュを使います

トラックの運転手が「伏せろ!」と叫んだ瞬間、
少年たちが突然、
銃を乱射してきました。
トラックに銃弾が何発もあたり、
耳元を金属音が飛び交っていく。
少年たちが銃を撃ちながらこちらに向かってくることに震え上がりました。......

ジャーナリストは無事に生きて帰る事が前提

絶対にひとりぼっちでは動かないというのが鉄則です。
ひとりでフラフラ歩いていると一発でやられるので、
必ずその地域で暮らしているガイドさんやその関係者、
家族などと一緒に動くんです

安全優先で働いてます。
家族第一、
仕事第二

危険地帯に行くときは危機管理を徹底させます。
そうすることで、
安全性が高まり恐怖も和らぎます。
その絶対条件はガイドさん選び

素直に言葉で伝わらないのであれば、
好きな写真を使って伝えることはできないか、
カメラを手にして現場に赴き、
自ら見たものを撮影して写真を持ち帰る、
一枚の写真の力で状況を伝えることができるのではと考えました。
そして写真の力にすべてをかけてみようと心を決めました

取材先の国にジャーナリストとして入り込んでいくからには相手の生活慣習やルールに従って、
取材を続けていくことが良き取材結果を引き寄せる一番の方法なのかも知れません

日本からかけ離れたアフリカの森の中で理不尽な行いが繰り返されている。
恐怖と怒りに震えながら、
この状況を伝えることができないか、
その方法を模索することとなりました

信頼を得るために最も大事なことは、
その国の文化・習慣に敬意を払うことだと感じています

トラックの積荷の塩魚は奪われ、
自分の荷物・カメラ機材も略奪されました。
ただ運が良かったのは、
こちらから現金を差し出したことで、
殺されずにすんだことでした

戦地に赴くために大事なことは、
できることは何でも用意しておくことだと感じています。
取材の全体を見渡すと準備が80%、
撮影は20%

アルバイトで貯めたお金を持ってアフリカのザイール(現在のコンゴ民主共和国)のジャングルへ飛び込んでいきました。
当時は外国を旅することも手探りの状態であり、
ましてジャングルで生きのびるための技術はありません

戦場取材から怪我をせずに帰国するために気を付けていることがあります。
それは「引く勇気を持つこと」

自分自身でピグミー族に会って話をしてみよう、
この目で彼らの存在を確かめてみたい、
早速気の赴くままにアフリカへ向かう準備を始めました

物で生活環境を変えることもできるんですけれども、
ただ横に座っているだけであったり、
挨拶をするだけであったり、
握手をしてお互いの体温を感じあうだけでも、
気持ちがはぁっとさせられる

(好きなことば)塩をなめ、
もやしを食らう

戦場で苦しい中、
気持ちを平常心に整えていく方法は、
言葉と、
お話しの、
よろこびなんです

ボディガードはその地域最強の奴を大金で雇う

戦場には確かに地獄絵図があります。
でも、
現地でいつも思うのは、
そこで生きている人々の時間に厚みがあるということ

戦場カメラマンにも“ウォー・フォトグラファー・シンドローム(戦場カメラマン症候群)という言葉あり、
現場に入れば出会うカメラマンのメンツはほぼ同じだった

泣いている子どもたちの声が一人だけでも世界の方々に届けることが出来た時、
どの国であっても国際情勢と繋がることができると感じているので、
カメラマンとして丁寧に世界の声を記録に残していきたい

どの戦場でも共通していたことは「戦争の犠牲者はいつも子どもたち」

(写真を取るときに注目を引くためにいうセリフ)I am ブルース・リー

(いいともの楽屋にいたオリエンタルラジオに対して)この時間帯にはこちらの空間ではどのようなお話をされているのですか

(映画のイベントに出席し、
囲み取材を受けて)撮られるという気持ちが分かりました。
まさに諸刃の剣

渡部 陽一(わたなべ よういち、1972年(昭和47年)9月1日 - )は、日本の戦場カメラマン、フォトジャーナリスト、タレント。初代・富士市観光親善大使。所属事務所はBe.Brave Group。