名言大学

道理に迷って苦しむのも、
自分の中にある仏に目覚めて正しく励むのも、
みな自分の決心次第である

善行をなそうとする人も、
悪行をなそうとする人も、
まず心の中でそれをなそうと決めてから、
その行動をするものである

つまらない人は、
善行と悪行の区別がつかず、
その因果も信じることが無い。
目の前の利益だけを見ているので、
その因果は必ず返ってくる

ものの道理を見る目が開いていれば、
身の回りのものすべてが大事なものだとわかる

もし自分に適していることにその能力を使うなら、
物事は極めてうまくゆく。
しかし、
自分に向いていない物事に、
その能力を使うなら、
労多く益は少ないだろう

もしその能に当たるときは、
事、
通すること快し。
用、
その宜しきを失すれば労するといえども益無し

もし自分と自分以外の人を別ではなく、
同じ存在だと見ることが出来れば、
嫉妬することがなくなり、
公平な心になり、
全ての人の善行を心から賞賛できる

心暗きときは、
即ち遇うところことごとく禍なり

片手だけでは拍手できない。
片足だけでは歩けない。
右手と左手が感応して拍手になり、
右足と左足が感応して歩く。
だから相手が感応するまで祈り続けなさい

信じて修行すれば誰でも必ず仏になることができる

仏として生きる道は遠いところにあるのではない。
すぐそこにある

心を和らげて耐え忍ぶという心の鎧を着て、
目的に向かって努力するという兜をかぶり人として守るべきルールや道徳を守るという馬に乗り、
心を静めて落ち着けるという弓を持ち、
正しい事と悪い事を分別するという矢を射って外には悪の軍勢を破り、
内には心の賊を滅ぼす。
これを仏という

地獄は恐ろしいところだと言われているが、
必ずしもそうではない。
善心を発揮するならば、
仏が救ってくださるからである。
栄えるのも衰えるのも、
みな自分の善行と悪行によるものである。......

修行して悟りを得ようとする人は心の本源を悟ることが必要である。
心の本源とは清らかで綺麗な明るい心である

周りの環境は心の状態によって変わる。
心が暗いと何を見ても楽しくない。
静かで落ち着いた環境にいれば、
心も自然と穏やかになる

他人の利益をはかるように努めていると、
苦しみの世界に行く因縁が消える

人間は誰もが胸のなかに、
宝石となる石を持っている。
一生懸命磨いて、
美しく光り輝く玉になる

嫉妬は自分とそれ以外の人とは別々の存在だと思う心から生じる

遮那は中央に坐す、
遮那は阿誰の号ぞ、
本是我が心王なり

優れた大工が木材を使うとき、
真っすぐな木は曲げずに、
真っすぐな特徴をいかしてその木が必要な場所に使う。
曲がった木は、
無理に伸ばさずに、
そのままその特徴をいかしてその木が必要な場所に使って大きな家を建てる

弧雲、
定処無く、
本自り高峰を愛す、
知らず、
人里の日、
月を観て青松に臥す

人を思いやる気持ちと、
人に利益をもたらす行動をすることが全ての根本である

高山は風起り易く、
深海は水量り難し、
空際は人の察する無く法身のみ独り能く詳らかなり

他人の病気のことをとやかく言う前に、
まず自分の病気を治すことを心がけなさい

虚空尽き、
衆生尽き、
涅槃尽きなば、
我が願も尽きん

薬は病気から救ってあげたいという気持ちから生まれたものである。
仏の教えは心を救ってあげたいという気持ちから生まれたものである

人の短を道うこと無かれ,己の長を説くこと無かれ

心を洗って香と為し、
体を恭(つつし)んで華と為す

風燭滅え易く、
良辰遇い難し

若し自心を知るは即ち仏心を知るなり、
仏心を知るは即ち衆生の心を知るなり 三心平等なりと知るは即ち大覚と名づく、
大覚を得んと欲(おも)はば、
まさに諸仏自証の教えを学すべし

六大無碍にして常に瑜伽なり四種曼荼、
各々離れず三密加持すれば速疾に顕わる重重帝網なるを即身と名づく

三界の狂人は狂せることを知らず、
四生の盲者は盲なることを識(し)らず、
生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、
死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し

親を辞して師に就き、
飾を落して道に入る

五大に皆な響きあり、
十界に言語を具す、
六塵悉く文字なり、
法身はこれ実相なり

文は是れ糟粕、
文は是れ瓦礫なり。
糟粕瓦礫を受くれば則ち粋実至実を失う

哀なるかな哀なるかな長眠の子(じょうめんのし)、
苦なるかな痛なるかな狂酔の人、
痛狂は酔はざるを笑ひ、
酷酔は覚者を嘲る 曽(か)つて医王の薬を訪らはずんば、
いずれの時にか大日の光を見ん

身は華と与に落ちぬれども、
心は香と将に飛ぶ

夫れ仏法遙かにあらず、
心中にして即ち近し、
真如外かにあらず、
身を捨てて何くにか求めん

家も無く国も無く郷属を離れ、
子に非ず臣に非ず孑として貧に安んず

貧を済ふに財を以てし、
愚を導くに法を以てす、
財を積まざるを以て心となし、
法を惜しまざるを以て性となす、
故に若しくは尊、
若しくは卑、......

業障は重く功徳は軽し

ものに決まった性質などない。
悪人もいつまでも悪人ではない

貧道と君とは遠く相知る。
山河雲水何ぞ能く阻てん。
白雲の人、
天辺の吏、
何れの日か念ふこと無からん

仏の教えは一言で言えば、
自分の利益と他人の利益を一致させることである

物の荒廃は必ず人に由る。
人の昇沈は定めて道に在り

気持ちが落ち込んでいる時や悪いことを考えているときは、
すること全てがわざわいを招く

波濤万万にして、
雲山幾千ぞ。
来ること我が力に非ず、
帰ること我が志に非ず

優れた知恵者は愚か者にみえる

日々の影向(ようごう)を闕(かか)さずして、
処々の遺跡を檢知す

能書は必ず好筆を用う

空海(くうかい、774年〈宝亀5年〉- 835年4月22日〈承和2年3月21日〉)は、平安時代初期の僧。諡号は弘法大師(こうぼうだいし)。真言宗の開祖。俗名は佐伯 眞魚(さえき の まお。