名言大学

コラムは3つの『み』で書く。
ねたみ。
ひがみ。
そねみ

人間がどうして、
言葉を所有するに至ったか、
これまた皆目知らないが、
多分『挨拶』が、
その根本にあると考える。
お互いの意思の疎通をはかるといったって、......

どんな戦争も自衛のため、
といって始まる。
そして苦しむのは、
世間一般の人々なのだ。
騙されるな。
このままでは70年間の犠牲者たちへ、......

戦後に生まれ、
今を生きる者にも責任はある。
繁栄の世を築いたのは戦後がむしゃらに働いた先人たちである。
その恩恵を享受した自分たちは後世に何をのこすのか

戦争で多くの命を失った。
飢えに泣いた

日本が戦争出来る国になる以上、
戦争を想定した上での都市のあり方、
疎開や備蓄、
あらゆることを考えておかなければならない

今を生きる日本人は、
かつて戦争へと突き進んでいった人間たちと、
どこがどう違うのか。
何も変わりはしない。
だからこそ戦争の虚しさを伝え続ける必要がある

戦争は人間を人間でなくす。
では獣になるのか。
これは獣に失礼。
獣は意味のない無駄な殺し合いをしない。
人間だけが戦争をするのだ

戦争は人間を無茶苦茶にしてしまう。
人間を残酷にする。
人間が狂う。
だが人間は戦争をする。
出刃包丁で殺そうが、
核兵器で殺そうが同じことである。......

文字なり喋ることだけで、
何かを伝えるのは難しい。
それでもやっぱりぼくは今も戦争にこだわっている

小説はぼくの体験を下敷きにしてはいるが、
自己弁護が強く、
うしろめたさが残る。
自分では読み返すことが出来ない。
それでも戦争の悲惨さを少しでも伝えられればと思い、
ぼくは書き続けてきた

空襲で家を焼かれ一家離散、
生きのびた妹は、
やがてぼくの腕の中で死んだ

ぼくは焼け野原の上をさまよった。
地獄を見た。
空襲ですべて失い、
幼い妹を連れ逃げた先が福井、
戦後すぐから福井で妹が亡くなるまでの明け暮れについてを、
「火垂るの墓」という30枚ほどの小説にした

生活のすべてがスキャンダルになってしまう。
妻のいる男がほかの女と寝ると、
スキャンダルということになってしまうけど、
なんでもないことでしょ、
そんなこと

タイムマシンがあったら、
今あるお菓子をみんなかかえて、
恵子に食べさせてやりたい。
六月五日の朝から八月二十二日の午後死ぬまで、
ついにお腹をすかせっばなしで死んでしまった女の子なんて、
あまりにかわいそう過ぎる。......

(日本が敗戦によって「たった1日で平和国家」に生まれ変わったことと)同じく、
たった1日で、
その平和とやらを守るという名目で、
軍事国家、
つまり戦争をすることにだってなりかねない

空理の際、
家族を見捨てたことである。
・・・・一度も後をふりかえらず、
山の横穴式防空壕へ入っても、
ただ自分の身の安全をはかり考え、
両親の安否にいささかも思いはせなかったことを思うと、......

この国に、
戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう

ぼくの神戸を見る目は、
神戸感傷旅行みたいな感じが強くてね、
ある意味では、
パリよりももっと旅行者的にしか、
神戸を見てないかもしれないんです

ぼくのあの程度(自衛隊の重火器などを指す)のものは、
持っても無意味であると考えるんです

いまの自衛隊なんて、
外国との軍事力と比較の上で考えると、
あってなきにひとしい。
軍備なんて中途半端なことをやったってしょうがないんで、
極端なことをいえば、
なくしてしまうか、......

少しは戦争を知っている。
飢えも心得ている。
あんな馬鹿げたことを、
繰り返してはいけない。
戦争の愚かしさを伝える義務がある。
あれこれあがいた結果、......

「火垂るの墓」を書くことで、
戦争を伝えられるとは思っていなかったし、
それは今も同じ。
ぼくは未だに自分が小説家なのかどうか、
あやふや

ある日、
それまでの生活が断絶された。
家族も家も学校も、
ぼくの場合、
昭和二十年六月五日を境に消えた。
混乱しているゆとりもない。......

よく、
戦前派、
戦中派、
戦後派といわれるが、
ぼくはどこにもあてはまらない。
焼け跡から始まっているのだ

戦争で、
最もひどい目に遭うのは、
子供たちだ

言葉によって与えられるオルガスムスこそ、
基本的人権

言葉狩りの横行する世の中こそ、
文化は退廃する

おれは一体何者か

逃げすぎたことのやましさが、
胸の底に澱の如くよどみ、
おりにふれて湧き上がる

戦争をやったのは大人の責任であり、
今度戦争をしたらそれは私たちの責任だ

野坂 昭如(のさか あきゆき、1930年(昭和5年)10月10日 - 2015年(平成27年)12月9日)は、日本の作家、歌手、作詞家、タレント、政治家。