名言大学

人脈を大事にした方が良いと思うよ。
金脈の方に行っちゃうのよ

俺だったらネタ量産できる。
全然苦じゃない

慢心してはいけない。
どっしり構えて生きるためにもすべきことはし続けないといけない

芸人にとって芸を考えるのは仕事。
それを疎かにして、
お金をもらおうなんて、
虫が良過ぎです

客が自分達のファンじゃないのが普通。
その客を笑わせるのが芸

(M-1を創設してくれたことに対して)島田紳助師匠に感謝してます

M-1がなかったら結婚できてなかったかもしれない

M-1っていう番組は影響力がすごい

(今まで芸人生活で一番辛かったのは?
)黄金伝説。
鹿児島のアジ漁に行って・・、
もう死ぬかと思いましたね、
キツ過ぎて

一回で優勝できなかったら違うネタしかない

(M-1の審査委員として)最後のシステムがきついっすよ。
誰か一人選ばなきゃいけないっていうのが・・

芸人にとって一番良くないのはコンテストのことを意識し過ぎて、
自分の持ち味を見失ってしまうこと

(所属する事務所について)好きな人がいるところに入るのがいい

(M-1に関して)僕らの漫才に関しては、
システム化しすぎちゃったのがダメだった

長い人生を生きてきて、
たぶん150勝149敗くらいで、
嘘をつかないでいるほうが勝ち星では上回っている

(持ち時間が)4分の場合は、
勢い良くしゃべるしゃべくり漫才の方が笑いの回数も増えるので印象がいい

M-1グランプリのときには38個のボケを入れました

単純にボケがおもしろくて、
この言い間違いは使おうということもあれば、
パターンの面白さを流用して違う題材でやってみるというようなこともあります

SNSっていうのが芸人とは相性があまりよくないのかな

漫才ってボケとツッコミなんです。
自分が言うボケだけ考えとけば、
ツッコミは土屋クンが適当に言ってくれるだろう。
ボクが書いたボケの紙を、
土屋クンに渡して、
そのまま舞台に出るという感じ

M-1がうまさを競う大会になりつつあるという話をしましたが、
松本さんだけはずっとブレてない。
M-1の定義は、
新ネタ発表会だと思ってるんですよ。
新しいことをやらないと意味がないと

師匠と弟子の関係の場所がなくなっちゃうのはヤバい

思い入れが強すぎると緊張して固くなっちゃいます

必死にネタを作ってる奴には勝てない

僕は何組もの若手に「M-1は優勝を目指さないほうがいいよ」ってアドバイスをしたんです。
心からそう思えるようになった時、
初めて自分らしさが出ますから

島田紳助さんに、
昔「ナイツの漫才は寄席の漫才だから勝つのは難しいよな」と言われたことがあります

2007年に言い間違いのやつをやったら、
予選でものすごいウケて。
それで1つ壁は破れました

僕らやオードリーなんかは、
M-1のお陰で芸人として食っていけるようになったところもある

テレビカメラの前ではなく、
観客を前にネタが出来ることって大切

やっぱり関西弁のおもしろさ、
「何でやねん!」という文化と、
「何でだよ!」とでは全然ニュアンスが変わってくる

漫才のネタというのは、
何度かお客さんの前で演じることで、
磨かれていくもの

M-1の決勝戦で最大ウケ値をとれない、
力を出し切れないコンビっていっぱいいる

ボケを潰す言葉が多すぎ

知識系の漫才というのはすごく面白いんだけど、
そこの部分はあんまり笑いにならない

時事ネタはどうしても説明する時間が必要なので4分では短い

演技ができないから、
コントはできない。
苦手なものを減らしていったらスタンダードな漫才になった

やっぱり本ネタで笑わせないと、
一軍で通用する技術は身につかない

M-1の舞台は、
この1年間、
ネタを本当にちゃんと作ってきたかどうかが如実に表れる

飲みに行くのって、
売れてない時が一番楽しい

経験値が低くても戦う方法はある。
強い武器を持つことです

本当に好きだったら、
ある時期だけでも全力でやれる

若手が強いのは、
全部がチャンスだと思ってるから

(M-1で優勝する為に)タイミングってやっぱりある

塙 宣之(はなわ のぶゆき、1978年〈昭和53年〉3月27日 - )は、日本のお笑いタレントであり、ナイツのボケ担当である。

身長172センチメートル、体重69キログラム。マセキ芸能社所属。相方は土屋伸之。