名言大学

苦しい峠でも必ず、
下り坂になる

この世に「雑用」という用はありません。
私たちが用を雑にした時に、
雑用が生まれます

一生の終わりに「残る時間」、
無駄に過ごさなかった時間を多く残すためには、
小さなことに愛を込め、
意味あるものとしていかなくてはなりません。
それこそが「新しい生き方」なのです

人生はいつもいつも第一志望ばかりを歩けるものではありません。
そして必ずしも、
第一志望の道を歩くことだけが、
自分にとって最良と言えないことだってあるのです

神様は私たちの「願ったもの」よりも、
幸せを増すのに「必要なもの」を与えてくださいます。
それは必ずしも自分が欲しくないものかもしれません。
しかしすべて必要なものなのだと、
感謝して謙虚に受け入れることが大切です

どんなに忙しくても、
いや、
むしろ、
忙しいからこそ、
一日の中、
5分でも、......

数多い出会いがあっても「自分」というものがしっかりしてさえいれば、
それらの影響に流されることなく、
むしろ、
それらを通して自分というものが鮮明になってきます

今という瞬間は、
今を先立つわたしの歴史の集大成であると同時に、
今をどう生きるかが次の自分を決定するということです。
人生は点のつながりとして一つの線であって、
遊離した今というものはなく、
過去とつながり、......

「自分と仲良く生きる」といい。
好きな自分と四六時中一緒にいる人は、
自然と笑顔が多くなり、
言葉から刺がなくなり、
相手の言葉をふんわりと受け止めることができるようになるから不思議です

女性が、
一日の間に鏡をのぞきこむ回数ほどに、
自分の心をのぞきこみ、
内省し、
心の手入れを怠らなかったならば、
どんな高価な化粧品や装身具も与えることができない美しさが、......

いつまでもおぼえていたらとても辛いだろうと思ういろいろなことを、
ありがたいことに私たちは忘れることができる。
そして、
時間というお薬があるんです

人間は寂しさの中で成長します。
寂しさを感じない時には気づかなかった自分の無力さと限界を知り、
他人と自分の間に横たわる必然的な距離について考察するようになります。
寂しさの苦杯をなめて、
はじめて、
他人もまた味わっている孤独感へのやさしいいたわりの心を育てることができるのです

目立たない仕事をしている人へのあいさつを忘れてはいけない。
私たちはお互いに「おかげさま」で生きているのだから

つらい日々も、
笑える日につながっている

しかし女性を美しく、
好もしくするものは、
昔も今も変わることなく、
温かいほほえみ、
美しいことば、
さり気ない心配り、......

愛にも成長がないといけない。
それは、
一体化を願い、
相手の心の中、
相手の世界を知り尽くしたい、
という愛から、......

愛は信じ合っている時、
美しい

愛情の深さと歳月は比例しない。
たとえどんなに短くても、
本物の愛は心を充分に満たしてくれる

大切なのは「人のために進んで何かをする」こと。
「人に迷惑をかけない」からもう一歩進んで「手を差し伸べる」気持ちが愛の実践につながる

不要な枝葉を切り落とし、
身軽になること。
維持や執着を捨てて素直になること、
他人の意見に耳を傾けて謙虚になることが成熟ということ

何かを失うと言うことは、
別の何かを得ることでもある。
今日より若くなる日は無い。
今日という日を私の一番若い日として輝いて生きて行こう

自分の存在が受け入れられたと知ったら、
相談者は恐れげなく語り始める。
話しながら、
自分で解決への道を歩き始める

ほほえみを忘れた人ほどそれを必要とする人はいない。
相手の出方に左右されることなく私の人生を笑顔で生きるという決意

一生の終わりに残るものは、
自分が集めたものではなく、
自分が与えたもの

仏頂面をして、
他人の暮らしまで暗くする権利はない。
不機嫌は、
立派な環境破壊

信頼は98%。
あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておく

いい出会いをするためには、
自分が苦労をして出会いを育てなければならない

いのちは大切だ。
と、
言われるより、
あなたが大切だ。
と、
言われた方が生きてゆける

愛するということは生半可なことではなく、
愛し続けるということなのです

私は木を切るのに忙しくて、
斧を見る暇がなかった

愛するということは、
大切にするということである。
丁寧に生きるということと深くかかわっている

人に生きがいを与えるほど大きな愛はなく、
人から生きがいを奪うほど残酷なことはない

その人が、
死後も「自分のもの」と呼べるもの、
その人とともに永遠に残るものは、
生存中に「与えたもの–愛」なのだ

「化けかた」は教えても、
中身からの美しさを教えない

なにを愛するか、
いかに愛するかということは死ぬまでの課題である

大切なのは宝石に見せかけることではなくて、
宝石になる努力を惜しまないことだ

心の美しさは、
自分の心との戦いによってのみ得られる

「しかたなしに」愛することほど、
愛に対する侮辱はありません

好きな人は愛しやすいが、
嫌いな人の価値を認めるためには、
時に英雄的な努力を必要とすることがある

何かをなさっている時にフッと思い出して、
「ああそうだ、
これをあの人のためにしよう」と思ってください。
誰かのために何かができる

私たちの毎日毎日は、
後戻りすることができない、
やり直しのきかない人生だという感覚で生きることが大事なのです

大切なものは目に見えない。
肝心なことは心の目で見なくちゃ見えないんだ

与えることができるのは、
人間以外の何ものでもないのだ

目に見えないたいせつなものがこの世の中にある。
愛と呼ばれるものは、
目に見えなくても伝わります

美しさというものは、
修行を必要とする

愛によってのみ「見える」ものが世の中にある

人間と生まれたからには、
どんなところに置かれても、
そこで環境の主人となり自分の花を咲かせよう、
と決心することができました。
それは「私が変わる」ことによってのみ可能でした

置かれた場に不平不満を持ち、
他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、
私は環境の奴隷でしかない

自信を喪失し、
修道院を出ようかとまで思いつめた私に、
一人の宣教師が一つの短い英語の詩を渡してくれました。
その詩の冒頭の一行、
それが「置かれたところで咲きなさい」という言葉だったのです

初めての土地、
思いがけない役職、
未経験の事柄の連続、
それは私が当初考えていた修道生活とは、
あまりにもかけはなれていて、
私はいつの間にか“くれない族になっていました。......