名言大学

巧を求むる莫(なか)れ、
拙(せつ)を蔽(おお)う莫れ、
他人に恥ずる莫れ。

家庭の教育は知らず知らずの間に施されるもので、
必ずしも親が教えようと思わない事でも、
子供は能(よ)く親の真似をしている・・

窮して而(しこう)して始めて一条の活路を得(う)。
始めより窮せざるもの却(かえ)って死地に陥り易し。

黙ってこらえているのが一番苦しい。
盛んにうめき、
盛んに叫び、
盛んに泣くと少し苦痛が減ずる。

見る所狭ければ自分の汽車の動くのを知らで、
隣の汽車が動くように覚ゆる。

死は恐ろしくはないのであるが苦が恐ろしいのだ。

病気の境涯(きょうがい)に処しては、
病気を楽しむという事にならなければ生きて居ても何の面白味もない。

人は器械にあらず。
また禽獣にもあらず。

何でも大きな者は大味で、
小さい者は小味だ。
うまみからいうと小さい者の方が何でもうまい。

世間恐るべきは猛獣毒蛇にあらず 壮士暴客にあらず ただ勉強家と沈黙家と謙遜家とのみ

自個の著作を売りて原稿料を取るは少しも悪き事に非ず。
されどその著作の目的が原稿料を取るといふ事より外(ほか)に何もなか・・

悟りということは、
いかなる場合にも平気で死ぬことではなく、
いかなる場合にも、
平気で生きていることである。

病床六尺、
これが我が世界である。
しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。

人の希望は、
初め漠然として大きく、
後、
ようやく小さく確実になるならびなり。

為すべきと思ひしことも為し得ぬこと多く、
為すべからずと信ぜしこともいつかはこれを為すに至ることしばしばなり。

世の中の 重荷おろして 昼寝かな

文章は簡単ならざるべからず。
最も簡単なる文章が最も面白きものなり。

美しき花もその名を知らずして 文(ふみ)にも書きがたきはいと口惜し

正岡 子規(正岡 常規)(まさおか しき(まさおか つねのり)、1867年10月14日〈慶応3年9月17日〉 - 1902年〈明治35年〉9月19日)は、日本の俳人、歌人、国語学研究家。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。