名言大学

応援してくれる人や、
不景気の中、
スキー部を作ってくれた会社に金メダルを取って恩返ししたい。
だからモチベーションが落ちない。
自分の能力プラス努力してきたことが7大会連続につながっていく

(平昌オリンピック)金メダル目指してます

この歳になると、
一度、
チャンスを逃すと這い上がっていくのは難しい

今日は僕の亡き母の誕生日だから、
本当は勝ちに行こうと思っていた

おまえしかいない。
結婚しよう(プロポーズの言葉)

2002年のソルトレークオリンピックの時は体も鍛えてメンタルも鍛えて技術だけが伴わなくて、
こんなにやったのにダメなのかっていう挫折感がありました

今この時を頑張れ。
絶対におまえは世界一になれる(お母様からの手紙)

(ルール変更が)人生の中で一番怖かったですね

45歳、
49歳でも、
体力と技術はもっと向上すると思っている

向かい風が一番いいです

自分をほめたい。
自分の力ずくで取ったメダルなので(リレハンメル五輪団体2位の)20年前とは比べものにならないくらいうれしい

(40歳を過ぎても続けられて来られた要因は?
)長野で悔しい思いをしてきたから。

レジェンドといっても、
オリンピックの金メダルがない。
それを取ってから、
僕のほうから“レジェンド葛西だと言いたいなと思っています

緊張でどうなるか不安があったけど、
それに勝ててうれしい。
すごく集中していた。
自分を信じていた

一意専心、
競技に挑みます

詰めの甘さをなくして金を取りたい気持ちがある

みんなで力を合わせてメダルが取れたのが何よりもうれしいです

(団体戦で)とらせてあげたいと思っていたんで、
よかったです

満足のいく五輪が7回目にしてやっとかなった、
という感じ。
いつもは意気込み過ぎて駄目だったとか、
世界とレベルが離れすぎて、
ついていけなかったとか。
今回は、......

若い選手たちのエキスを吸って若い気持ちを保てている。
年齢的な不安は全くない

泣くのは五輪まで取っておこうと思ってこらえた

やめてしまったらただの人。
僕は常にヒーローでいたいんじゃないでしょうか

昔は質より量だったが、
30歳を超えてからは量より質に変えた

今までやってきた蓄積というか、
若い頃のトレーニングが実になっている

葛西 紀明 (かさい のりあき、1972年6月6日 - )は、北海道上川郡下川町出身のスキージャンプ選手。東海大学付属第四高等学校(現東海大学付属札幌高等学校)から地崎工業(現岩田地崎建設)、マイカル(現イオン)を経て、現在は土屋ホームに選手兼任監督として所属。

本・作品