名言大学

お前より下の人間は居てへんのやさかい、
これは誰の履き物なんか考えんと、
みんな揃えたらええねん

落語のほかには何にもできませんので、
これ一筋ということで

どんな名人の芸でも、
その真髄は録音テープにもフィルムにも完全には残し得ない、
このことは何の芸にでも言えるでしょう

芸人というのはね、
やはり原点に戻りますなあ

噺家は時事ネタに敏感でないとアカンと思てます。
「地獄八景亡者戯」という長編ネタは、
時事やパロディーを取り入れてこそのもんやしな

落語の洗練されたものは、
地の文が少ないほど良いとされています。
つまり全篇対話で事が運ばれて、
それでいて、
地の説明があると同様にことが描かれねばなりません

枝雀は私よりも大きい存在になると、
ずっと思っていたからね。
自分よりも一皮むけて上に行くことを私は期待していた

テレビというもの、
落語はずいぶんテレビのおかげを蒙ってますが、
またこのテレビにずいぶん毒されてもいます。
これに振り廻されないこと

辛いことはあったが、
やめようと思ったことは一度もなかった

シナリオを書くのにただ義務として勉強するんやなしにやっぱり、
それが本当に好きになれんのなら、
おやめになった方がええと思います

その時の波にのって受けている。
一時の喝采は博すけれども、
少し時代が変わればすぐ廃ってしまうもの。
所謂、
流行に対して、
百年経っても名作は名作、......

若手と、
いいお客の両方を育てなくては、
未来が暗いです

聞くまいと思っても無理やり、
耳に音がとび込んでくるぐらいにしないと、
マイクを使っている値打ちがないように思っている人さえあります。
こうなったらもう暴力ですな

大きなことは望まない。
泣いたり笑ったりしながら、
一日一日が無事にすぎて、
なんとか子や孫が育って、
自分はとしよりになって、
やがて死ぬんだ・・・それでいいというような芸です

明治なら明治、
江戸時代なら江戸時代へお客さんを案内してしまうんやからね。
何もかも忘れて、
こっちの世界へ入ってきてもらうようにするんやから、
催眠術です、
一種の

キチンとしとったら、
それでええやないか。
マジメなのがなんでいかんのん

平凡な人間ではあるが、
こんな人が町内にいたらみなが助かるとか、
世の中はもっとよくなるだろう・・と思われる人はたくさん落語国にいます。
大きなことはのぞまない

話芸に到達点などありません

全て音楽でも人間の声でもどんな芸にしろ、
機械を通した場合と生の時と、
人に与える感銘はおおいに違います。
これは本当に大切なことであると思うのです

古典と言われていても、
実は知らん間に誰かがこしらえたものが入っている。
古くから遣ってきた噺というのは、
そういうもんなんや

洒落を解し、
洗練された笑いを喜ぶことは紳士のたしなみと言うか、
文化人程度をはかるようなものであったことは洋の東西を問いません。
室町時代の産物である狂言でも、
大名が秀句のたしなみがないことを悩んだり馬鹿にされたりしています

「今日は」「ああ、
こっちへおはいり」というだけのやりとりでも、
その家の大きさ、
構造、
昼か夜か、
どっちが目上か、......

私の師匠の四代目米団治はクリスチャンの洗礼を受けた人でした。
気持ちええから言うて、
2回も受けたそうです

その人と同じ位と思えば自分より上、
自分より下と思えば自分と同じ位、
自分より上と思えば自分より遥かに上

私は若いころ、
キャバレーの余興にも行きました。
今から思えば、
意地でしたな。
今でもやれと言われたらやるつもりはあります。
でも、......

昔のような飢餓感がないんやろうな。
噺家になりたてのころの私は、
たとえ自分の出番がない時でも囃子場にずっとおりました。
「邪魔や」と叱られようが、
そこにいたかったんや

噺家になったのは好きやからということもありますが、
一人でやる芸で、
衣装も大道具もメーキャップもなしで、
それでいてドラマのような世界が描ける、
それに魅力を感じたからです。
私の描いた世界と、......

芸人は・・好きな芸をやって一生送るもんやさかいに、
むさぼってはいかん

落語とは、
おしゃべりによって、
お客さんを違う世界へご案内する芸であって、
大道具も、
小道具も、
衣装も、......

自分なりに納得して舞台に上がる、
この努力を怠ってはいけません

落語を聞きなはれ。
落語には生きていく方法がたくさん隠されています

芸は人なり。
やっぱり大事なんは人間性や

私の落語の特徴となると、
自分の口からは言いにくいんですが、
一例を挙げると、
まあ、
あってもなくてもええような、
捨て台詞といったようなもんを、......

芸人はどんなにえらくなっても、
つまりは遊民なのです

芸人の弟子といえば、
良い悪いを自分の頭で考える前に、
修行を始めてしまったらええんです

芸能人という言葉が私はどうも嫌で、
あえて芸人と言い続けて来ています。
職業に貴賎はないと言いますが、
私は、
もし貴賎をつけるとすれば、
芸人は絶対に威張れない職業であると思っています。......

80歳を過ぎている今の私が若旦那に見えるはずはないんです。
でも、
それだけですべてが決まってしまうものでもないはずや。
そもそも、
落語を聴きに来るお客は、
演者にだまされに来ているんやさかいね

芸人というのは一号俸、
二号俸とかいうもんがある訳やなし、
一段ずつ昇っていくようなものではないんです。
ある日、
ポンと上がったりするもんです。
けどじっとしててポンと上がるんやないんで、......

落語は現世肯定の芸であります

枝雀の内弟子の2年間で、
家中のガラスは全部割られましたな。
ネタを繰りながら掃除機を振りまわすんですよ。
大事にしてた茶碗も割られたし、
ああいう時は、
上等のいいものから割りますな

桂 米朝(かつら べいちょう)は、上方落語の名跡。本来は、大名跡である桂米團治を継ぐ前段階の名跡。初代が入門した際、師匠の「米」と夫人の名前である「あさ」から「米朝」とつけたのが始まり。