名言大学

練習はウソつかないと思うし、
自分がやってきたことは絶対に裏切らない

私はメンバーのレベルに合わせません

チャンスをどう自分のものに変えられるかっていうのは、
それまでの過程がすごく大事

誰よりもボールを触って練習してきた

誰よりも苦い思いもたくさんしてきた。
でもいろんな人の支えのおかげで今がある。
本当に濃いバレー人生だった

やっぱバレーボールって結局 今までも、
厳しい言い方したら結果出てないのに でもやっぱり採り上げてもらえててっていう

だってあたしアスリートですもん コートで結果出さないとダメでしょ

あたし思うのは、
いつも思ってるのは テレビ・・カメラを目の前にして言うのは何ですけど カメラの前で語る必要があるのかな・・とか

いろんな仲間とバレーをして、
成長させてもらった 周りに支えられて自分がいる 人の出会いに感謝です

過去の栄光が分からない状態から、
ここまで来られた。
いろんなことがあって今の自分がある。
すべてを出し切れたかなと思います。
内容の濃いバレー人生でした

私はチームの中の怖い存在でいい。
そう思ってやっている

苦しいことをやりきってきた人間って、
こころの芯がしっかりしていると思うんですね

(アテネ五輪後)世界のチームがどんな練習をしているのか見てみたい。
でも中国は別にいいや。
どうしてか?
絶対に勝ってやる、
と思ってるからじゃないですか

自分の限界を決めないで、
もっともっと先に行けるんだって、
自分の可能性を信じて頑張ってほしい

厳しいこと言うと女子バレーって結果出てないのに取り上げてもらえてて、
すごい甘い

自分の気持ちを出さないとさ、
相手に通じないじゃん。
皆も分かんないんだよ

メダルのためなら指一本くれてやる

復帰するならゼロからスタートしたかった

私もやはりキャプテンとして、
監督の言うことをそのままストレートに伝えることは絶対にありませんでした。
妥協点を見つけながら、
自分の言葉で伝えるようにしていましたね

真鍋(政義)監督になって、
ずっとぶれずにやってきたことが最後、
こういうメダルの形になった。
本当によかったと思います。
言葉で表現できない喜びです

結果論かもしれませんが、
やはりメダルを取った年はチームワークがよかった気がします。
違いは、
目標が明確だったかどうか。
目標がしっかりしていれば、
それに向かって走り続けることができますから

やはり体育会系なので、
自然と先輩後輩の関係になりがちです。
そこであえて自分がくだけた状態で接して心を開いてもらう一方、
コートの中では絶対にそういう関係ではいけない。
オンとオフの切り替えを意識していました

本当にすごい個性を持った人の集まりでしたね。
ただ、
どんな人でもまずは「相手を認める」ことを心がけていました。
一方で、
自分を理解してもらうことも大事なので、
そこをうまくつなぎ合わせるようにしていました

私の現役中最後の監督である眞鍋政義監督は、
周りをしっかり見て、
まとめ上げることのできる、
まさにセッター型の監督でした

体育会系の組織には、
どうしても独裁的リーダーが多いですよね

難しいのは、
むしろ点と点を合わせて打ちたい、
勢いのあるトスを好む人もいること。
コミュニケーションを取って相手に合わせていくことが、
セッターには求められます

私もまさにそんな「死んだトス」を突き詰めようとしてきました。
いわば、
アタックを打つ点がいくつも見えるようなトス。
それなら、
どこにどう打つかをアタッカーが自分で考えることができるからです

松井(忠三)さんのご著書を読んでいると、
私のやってきた「セッター」の考え方と通じるものがあり、
ぜひお話をうかがいたいと思っていました

壁にぶつかって苦しんでいる後輩がいても、
ある程度までは声を掛けないようにしています。
すぐに助けてしまうと、
いつでも助けてくれると思い、
成長が止まってしまう。
どうしてもだめなときに、......

転機となったのは、
それ(身長のハンデ)を長所に変えるためにどうするか、
と思考を変えることができたことです。
それに、
苦しんだ分だけ人は成長できると思います

私は159センチしかないので、
バレーでは大きな弱点です。
もちろん、
そのことに悩んだ時期もありますし、
周りから非難され、
一時バレーから離れたこともあるほどです

年齢が上がるにつれ「ぶれてはいけない」ということも心がけるようになりました

私も年齢が上がるにつれ、
若い子から答えを求められることが多くなりました。
また、
子供向けのバレーボール教室で教えていても、
最初から答えを知りたがる子供が多いように思います。
その際には、......

男性の監督が女性のチームを率いることになるので、
男女の考え方の違いはありました

シドニーのことがあってから2年経ってやめたのは、
いろんな事情があったから。
チーム事情もあったので、
自分だけではどうにもできない問題もあった。
このときの2年間は義務感だけでバレーをしていました。
心には大きな傷を負っているのに、......

監督が選手たちに納得がいかないことはどうしてもあります。
ただ、
選手は選手でまた違った考え方を持っているので、
そこは監督にオブラートに包みながら話を持っていったりとか、
タイミングを見て伝えたりしていました。
幸い、......

(シドニー五輪予選で女子バレー史上初の五輪不出場となってしまったことについて)とにかく周り中、
みんなが敵に見えました

(骨折をして)私のトスがぶれることもありましたが、
そんなトスをみんな必死で打ってくれた。
そのことが私を励ましてくれました

自分自身、
本当に頑張ったと思います。
いろんなことがありましたし、
長い道のりだったなというところですかね

(メダルをとって)素直に嬉しいという気持ちが一番。
でも、
そのときのことを言葉で表現しろと言うのは難しいです。
本当に、
言葉にしたらそれだけになっちゃいますね

現在NTC(ナショナルトレーニングセンター)などが、
産休後の女性選手をバックアップするような取り組みをしていますし、
そうなれば徐々に増えていくのではないかなと思っています

私は妊娠中ですけれど、
これから子供を産んで育てて、
という時期に、
監督が産休を取るわけにはなかなかいきませんよね

今でも久光製薬の中田久美さんが監督をされていますし、
他の競技でも女性の監督が何人かいますが、
現段階では、
やはり女性の指導者が監督になるにはいろいろなリスクがあると思います

海外の選手はプロが多く、
収入が違うということもあるのですが、
ベビーシッターを雇ったりとか、
契約内容にそういうものを入れてもらうということもできるようです。
もちろん、
子供を親に任せているという人もいます

良品計画さんがすごいなと思うのは、
女性にとても働きやすい職場だということ。
ノー残業とか、
子どもがいる方は2時間は来なくていい制度があったりなどというのは、
子育てをしてる女性の方にとってはすごくありがたいことだと思います

(アテネ五輪の出場権を獲得したときのことについて)やっとオリンピックの舞台に立てるという思いもあったし、
出場権を獲れなかったときのメンバーに対しても、
何かしらの思いは伝えられることができたと思いました

JTの当時の部長さんと、
一柳昇監督が何度も何度も私の所に来て、
「うちでやってくれないか」と。
最初は「うん」とは言えなかったのですが、
本当に何度も足を運んでいただいた。
それで、......

私は、
私のことを純粋に必要としてくれる場所があって、
そこに戻ることができました

初めて一人暮らしをしたので、
新鮮でした。
ハローワークにも通いました