名言大学

私が漕ぐ舟は 海図もない島へ着き また出発する あとへは帰らない

やはりこの草むらが 私にいちばんふさわしい ここで 天日(てんじつ)さまを仰ぎ 虫の修行 つづけます

私は銭湯が好きである 銭湯にはいっていると 自分が世のなかの 他の大勢の ひとりであることがよくわかる

なんでもないことだが 私のぐるりを ただ あたたかく 見るだけ ひとつこの修行を してみよう

日日のいろんな出来事は この永劫の海の 寄せる波 どの波も 何かしみじみ尊くて

業(ごう)を 背負い ここまできたが これからは 業に背負われ 最後の旅をつづけます

私の奥底には 色もかたちもない 泉があって 私が邪魔しなければ 尽きずに 涌くようです

わが行く手が暗くなるにつれ 自分の思い上がりが みえはじめ しんしんとみえはじめ

波瀾万丈の 世の中を ふりかえれば なにごともないように ほのぼのと光

仏法にふれるには 身辺の なんでもないことを ただ こころをこめて すること

人間に生まれ この煩悩にくもる目で 無限を覗く たのしみを教えられ

突っかい棒が ひとつ またひとつ ひとりでにはずれ いまは わがいのちひろびろ さて これから

朝 起きて水をつかい 夜 電灯を消して寝るまで 世の中の 無数の人のちからに 助けられている私である

なにごともじわじわがよろし 季節の移ろいゆくがごとく

この線路は ここから 無限につづいているが 途中の駅で いちど乗り換える

この濁りある沼が 私の浄土でございますと あるとき いっぴきの鮒が 申しました

つる草は ひょろひょろしながら いのちのままに つるのばす

世の中には 人さまの気づかぬ 落穂があるので 私はだいじに それを拾いあげます

ながい道あるいて 自分の無才無力が ようやくわかりました もう力まずに あるけそうです

百人千人を すくう人あり 家のもの一人をも すくいえぬ私もあり

大根はいいな 味がないようで 味があり 私はこの年になって まだ大根の味が だせないようだ

むかしまいた 小さな種が わすれたころに ぼつぼつみのる

一寸先は闇という よくみれば その闇は私の中にある ときには 月ものぼるが

才能というようなもの なんにもない ただ自分のなかから 豆つぶのような仏さまが ときどき うまれてくださる

この朝のわかめ 海からここへくるまでに いくにんの手がはたらいたか ひとからひとへと

底下(ていげ)の凡夫が 一心に ていねいに 此(こ)の土(ど)を掘っていると 土くさい仏が出る

何ごとがおきようとも ここに いのちいただく限り 道はひらける

この世 あの世と申すは 人間の我見 ごらんなさい この無辺の光の波を 境界線はどこにもない

としをとることも喜びだ 今までわからなかったことが 少しずつわかってくるから

よくよく見れば この旅びとがあるくのは きのう通った道でない

私という柿 熟するのは 私の 死後になりそうだな 何しろ この柿 熟するのに まだながい年月が かかるので

やはり私 悟りひらくのは かの土(ど)へ行ってから この土の悟りには かすかに 慢心がのこる

ひとの世にある悪は 私もこころの中で犯している ただそれが 人前(ひとまえ)にあらわれぬだけ

無理しないという細い道が ようやくわかりかけた 然(しか)しまだときどき ふみはずす

同じように見えるが きょう咲いた花は きのう咲いた花と 同じでない

行詰まって 身動きできなくても いつか ほぐれて みな 動きだす

おまえ 七十年も歳月を 浪費して 何を悟ったか ハイ 天狗の鼻が 折れました

にちにち出会う なんでもない あたりまえの人を ひそかに 拝めるような 私になりたい

妻とふたり 小さい あきないをするのだが 妻は このあきないを 小さいとは思わず 精を出す

百年たてば 自分の子や孫もなくなり 泥まみれの私の生涯を 知る人もなくなるだろう 然(しか)しそこに 草が繁り 虫が生・・

再び通らぬ 一度きりの尊い道を いま歩いている

私はこの海で まいにち 小舟を漕いでいます ゆく先はわからぬが わからなくともよいのです

うかびあがろうとするな じっと沈んでいよ ここ波にうごかぬ たしかな海底

年とるにつれ 弱るにつれ 尽きぬいのちが 私の底から涌(わ)いているのを いつしか拝むようになり

いくら剃(そ)っても この髭(ひげ)は 私がいのち終るまで 生えるのだろう 今朝は 何かいとおしくなでてみる

漬物には 重石がだいじである 私という漬物に これは 天からいただいた重石 どうぞよい味に漬かってくれ

真珠貝は 海の中で 何かコロコロするような 異物を抱いたまま 今は それを 除きたいともおもわず 生きている

持病あるは ありがたし 持病あるゆえ 無理しようにも できないのが ありがたし

すぐれし陶芸家は もとより尊いが 一つ百円余りの茶碗を お作りくださる陶工さまも この世にはだいじである

人間はみな たれも通ったことのない 自分が はじめて通る道を 一生かかってあるく

榎本 栄一(えのもと えいいち、1903年10月 - 1998年10月18日)は、仏教詩人。