名言大学

脳がどうしても今日のライブに必要なものは?
と問いかけてくる

TERU(テル)

自分が今出来ることをシンプルにやっていきたい!

TERU(テル)

夢見ていこう

『HOWEVER』の時はもう声が出ませんでしたね。
それで悔しくて泣いたこともあった

TERU(テル)

生活に馴染んだ価値観の違いってなかなか変えられない

各々自分の好きなジャンルの音楽をGLAYに取り入れたいっていう考えはあると思う

(自身の迷言・珍言について)『最後のファイナル』と言ったり、
『ボーカル以外のやりたいパート』を聞かれて『レジ打ち』って答えたり、
本当の話もある(笑)

(曲作りについて)俺はけっこう作り込むタイプ

TERU(テル)

ゲームは暫く封印。
曲作りを久々に集中してやってるんだけど、
8:30から18時までぶっ通しやっちゃってました( ^ω^

TERU(テル)

(デビュー24年目の際のインタビュー)よく一緒にやってられるなあって自分たちでも思う(笑)

TERU(テル)

ファンの思いを聞いていくと、
やっぱり家庭環境とかいろんなことで悩んでる人たちも多い

TERU(テル)

僕らとしてはライブだけじゃなくて函館をのんびり楽しんでほしいというのも函館でライブをするテーマの1つ

TERU(テル)

先輩たちを参考にしながら、
50歳の自分、
55歳の自分、
60歳の自分っていうものをイメージしながら活動してます。
そうすれば自分の理想のステージにたどり着けるんじゃないかな

TERU(テル)

僕はメールアドレスも公開していて、
ファンの子たちは何かあると絶対そこに連絡をくれるんです

TERU(テル)

60歳を超えても音楽と向き合って生きていける人になりたい

みんなすごく真面目でストイック。
何かあったら4人で解決するのがGLAYのルール

TERU(テル)

(GLAYは)本当にそうですよ。
TAKUROがよく『文化祭の延長』って言ってますけど、
本当にそんな感じ

TERU(テル)

夢の為に逆算をしていくのが大事

肉体改造中なので、
糖質カット、
炭水化物カット

TERU(テル)

ストイックになりすぎても良くない

TERU(テル)

「愁いのPrisoner」はコーラスを付けるのも大変

TERU(テル)

4人で解散の意見がまとまり始めた時『俺たちは仲がいいのに何で解散するの?
』っていう話になった

TERU(テル)

楽曲制作もライブも生活の一部にするのは、
高校生の時からの夢だった

一番ピークだった99年が苦しくて解散の話も出ました。
アルバムを発売しないままツアーに突入したり、
楽曲制作の時間がもらえず、
すごいストレスで4人とも方向性を見失っていた

バンドに関わる一切を自分たちだけでコントロールできる。
それが停滞することなく続く純粋な音楽活動につながっている

いい声でライブができたときの喜びに勝るものはない

GLAYは4人とも冷静なんです

TERU(テル)

これまでは自分の直感に従って歌ってた

TERU(テル)

(最大の転機は?
)2005年の独立

TERU(テル)

(小学校時代の十八番は?
)近藤真彦さんらジャニーズの歌

TERU(テル)

歌詞を書いているときに一番考えたのは、
自分が歌うからこそ届けられる言葉とか、
GLAYのTERUが歌うことで説得力が出る言葉を使いたい

TERU(テル)

“GLAYのTERUの歌を歌うのではなく、
“その曲に合ってる歌を歌う

TERU(テル)

(2000年頃)相当なCDの売り上げもあったので、
生活に困ることもなかったし、
冷静に考えられた。
『もうお金なんかどうでもいい、
俺たちはまっすぐ進みたい』って考えて、
ちゃんと正しい道を歩むことができたんです

(ストレス解消法は?
)仲間と飲むこと。
飲んだら次の日頑張ろうとリセットできる

アコースティックで日本を回ってみたり、
ローリング・ストーンズのように派手なことをやってみたり、
振り幅の広い活動を長くしていきたい

TERU(テル)

自分たちの活動に夢や新鮮味を感じられなくなったら、
GLAYはちょっとお休みするんじゃないかな

ちゃんと未来を見据えて戦っていかなければ、
この世界で勝てない

TERU(テル)

家族もそうですが、
(人と)良い距離感でいることが大事

TERU(テル、1971年〈昭和46年〉6月8日 - )は、日本のシンガーソングライター。ロックバンド・GLAYのボーカリスト。本名、小橋 照彦(こばし てるひこ)。愛称は、テッコ。 北海道函館市出身。函館市立桔梗小学校卒業。函館市立桔梗中学校卒業。北海道函館商業高等学校卒業。身長169cm。妻はPUFFYの大貫亜美。

本・作品