名言大学

落語でも漫才でも同じですが、
講釈でも「最初の10秒が勝負」だと思っています

(歌舞伎座での講談が決まり・・)講談と歌舞伎は歴史的に関係が深く、
歌舞伎役者だった師匠・神田松鯉(しょうり)への恩返しにもなりますし、
講談界にとっても大きな花火になると思います

(講談の読み物について)一歩その中に足を踏み入れれば、
ものすごい奥行きと豊潤な作品群を見つけることができる。
それは私にとって「宝物を発見した」のと同等の価値がありました

音を鳴らしたほうが、
気持ちよく聞けるし、
叩くのは句読点を打っているのと同じ意味もあるんです。
(宮本)武蔵は歩きました、
トン、
とか。......

一人が好きなのかもしれません

落語の要素も取り入れて良いと私個人は思っていて、
古典も含め「もっと面白いものがある」ことを世の中に示していきたい

寄席は緩い空気が流れているようでいてガチだから、
大御所もスベる時は思いっきりスベる

休むというのが全部の仕事を集中させるのに必要なんですね

意外に、
まじめに生きるのが嫌いじゃないんです(笑)。
酒を飲むことほど無駄なことはないと思ってますから

中学の頃は趣味がプロレスしかなかった

講談の“読み物というのは膨大な数があって、
その史実を調べれば調べるほど面白い

私の場合はわりあい講釈のルールに則っていないところがあるかもしれません

私が初めて見た講談の感想は、
とにかく面白くない。
正直、
何を言っているのか分からないし、
常連向けにやっているという印象でした

講談はカタい印象があるので、
笑いのためにはこうしたほうがいいかなとか、
色々手を加えてます

笑点の大喜利なんかどう考えても、
プロレスですからね

最初に言っておきます。
講談は話が長いので、
大抵いい場面で『ここでお時間が!』と終わってしまいます

自分は本当に講談しか興味がない男なんです

扱う題材は史実だけど、
お客さんにとって面白ければ脚色は自由としているのが講談です

(小学生の時に父親が他界)昨日まで明るく笑っていた小学生が急に『死』というものを考えさせられ、
有無を言わさず大人にさせられる。
そりゃ冷めちゃいますよ

需要があるうちに頑張ろう

講談に対する畏敬の念は人一倍強い

良いことの後には悪いことがあり、
悪いことの後に良いことがある。
そして最後にはみんな死ぬ(笑)

賞を取るのは応援しているお客様が喜んで頂けるので、
それもありがたいです

私は猫背なんですが、
ご年配の方はこの猫背をすごく嫌がるんです(笑)

人気があるからといって芸が上達することはないですし。
コツコツとネタを覚え、
ちゃんとネタ下ろしをしているかどうか。
それだけが講談師としての自分に対するぶれない評価基準です

講談はいわば、
プレゼン芸のようなもの

芸の内容はともかく、
講談界のスポークスマンとしてこれだけ頑張った奴はいないという自負はあります

人は、
自分の目当てではない人の話を聴くときに、
悪気はなくともその人を“値踏みするものだと思っていて

長くて繊細なネタは、
お客のあくびが目に入っただけでパーンと(記憶が)飛んじゃうこともある

(大学生時代)講談の魅力を知っている人はまだそう多くはない。
それだけに、
これは宝の山だと思ったんです

(講談に興味を持ったきっかけは?
)高校時代にNHKの深夜ラジオで落語を聴いたのをきっかけに、
彼(友人)とたびたび落語の寄席に行くようになりました。
それから落語にはハマり、
立川談志の世界にはまり・・・・と好きなものを追いかけているうちに「講談」と出会った

講談に行くのを義務にしていた時期がある

笑いを取って間口を広げつつも、
その奥行きも見て欲しい

人間って夢あるほうがいい

(講談は自分の為ではなく)講談界が発展すればいいなって思いでやってる

講談っていっぱい良いとこあるし、
宝の山

ホントに凄味を出す時は凄んじゃいけない

歳取ると大きな声出さなくて迫力があるんですよ、
これが芸なんですよね

売れる売れないというのは、
このタイミングというときに何か象徴的な出来事が必要だと思うんです

真打になるまでだいたい15年といわれています

ある先輩に「下手な落語家を見なさい」と教えられたことがあります。
それはすなわち「何が下手なのかがすぐ分かるから」ということ

(講談の世界に)足を踏み入れるには、
憧れとうぬぼれ、
両方ないとダメだと思う

神田 伯山(かんだ はくざん)は、講釈師の名跡。当代は六代目。三代目が特に有名。