名言大学

古いビルを生まれ変わらせるときに大切にしたいのは、
その「ボロさ」をどうやって残すか

これからの時代は均一化は脆さ。
日本の成長の足を引っ張る可能性すらある

建築家が到達すべきクオリティを見失わずに、
粘り強く取り組んでいけば、
いい建築はできます

僕は自分で手を動かし続けることが一番楽しいと思える文化を作りたい

日本人はやはり、
木という素材に対して、
潔癖なところがある

建築の設計にあたって、
僕がいつも意図していることは『なるべく建物の高さを低くしたい』『地元の自然素材を使いたい』という2点

建築はもっと、
小さく、
柔らかく、
人に寄り添う存在になっていく

建築するにあたって大事にしてるのは粒感“というもの。
これはその場所で感じる土地が持つ固有の質感のこと

建築は不滅ではないです。
勿論、
防災は大切ですし、
様々な災害の中で人が学習してきたノウハウは建築へ生かされていますが、
永遠ではない

(制約に)負けることから、
独創が生まれる

設計をやっている人間には完璧主義者が多く、
そもそも、
完璧主義じゃないと良い作品は生み出せないと学校で教えられます。
でも実際には、
完璧主義では仕事は進みません

小学校時代に1964年東京オリンピックのオリンピック建築を見て、
建築家を志すようになった

日本人は古来から、
木のもつ多様性、
自然の生々しさや優しさみたいなものをコントロールする技術をたくさん持ち合わせています

僕はいつも、
人間の身体との関係性で建築素材を決めています

地方活性化というのはただ経済のことだと思われているが、
自然と一体となった知の復活が一番大事

自分の住んでいる家だけが古くて暗かった。
それがコンプレックスでした。
それで家って何だろう、
建築って何だろうと、
考えるようになりました

設計の理想は自分の家みたいなものを作ること

家は単独で存在していなくて、
外の環境と組み

文化の違いを知るという意味では、
若者には是非旅行をして欲しい

僕には素材への興味のツボがいくつかあります

人間の身体は、
相対する素材があまりに重かったり硬かったりしたときに「怖い」という恐怖心が湧くのではないか

(今は)アイデンティティーの揺らぎを楽しむ時代ではないか

僕の建築は、
海外の人が日本的と感じることが多いのかもしれません

積み木は僕の人生にとって、
非常に重要なもので、
子どもの頃は積み木少年だった

伝統を捨てるのではなく、
むしろ磨くことです

日本林業の最大の課題は、
木を切って運び出すシステムが、
これだけ情報化の時代なのに、
遅れていることにある

インスピレーションを得るには自分の部屋を作らないこと

木造って、
すごく深い

インスピレーションを得るには、
まず歩くこと

日本人は、
寡黙で真面目に仕事をこなす資質はあるものの、
外に向けての発信はあまり得意ではない。
即ち、
本来のクールジャパンは海外へは伝わってない可能性が高い

リノベーションを活用しながら、
いかに多様化を進めるか

建築にできることは、
まだまだある

日本らしい思想を発信していく時代がやってきた

建築家という職業の定義を変換したいと思いながら仕事をしています

人が居なくなった家って空気が全然違う

楽しみながら作ると、
建物にも楽しいオーラが出てくる

建築家ももっと自由であっていい

大事なのはコミュニティです。
小さくいうと、
家族、
そして住んでいる街です

日本のマンガやアニメは、
深いところで日本の無常観と繋がっているんじゃないかなぁ。
そこがクールジャパンの本質だと思います

21世紀は木の世紀になると考える

今までの自分の常識を壊してくれる人、
モノとの出会いが自分の発想を広げてくれる

環境へのリスペクトなど、
世界の人は日本人から学ぶべきことがある

ここだけ締めておけば、
間違いなく面白い建築になるという感覚は、
経験していくうちにわかってきます

隈 研吾(くま けんご、1954年〈昭和29年〉8月8日 - )は、日本の建築家(一級建築士)、デザイナー。株式会社隈研吾建築都市設計事務所主宰。東京大学特別教授。高知県立林業大学校校長。岐阜県立森林文化アカデミー特別招聘教授。一般社団法人日本ウッドデザイン協会会長。著名な親族として、妻・篠原聡子(建築家)のほか、遠い親戚の後藤勇吉(航空機パイロット)がいる。

神奈川県横浜市出身。1990年代半ば以降(ゆすはら座関連設計以降)、木材を使うなど「和(日本)」をイメージしたデザインを旨としており、「和の大家」とも称される。 また、非常に多作、かつ歳を重ねてなお他ジャンルのデザインにも旺盛に取り組む。

本・作品