名言大学

男の顔はその人の人生の履歴書である。

同心円を描くな。

人物評論というものは、
他人をあげつらうことではない。
他人にかこつけて自らを語ることである。

わかりやすい表現を恥じる必要はない。

結局、
ぎりぎりの線で忠誠心の対象になるものは、
自分自身しかない。

現代は英雄のインフレ時代である。
今ほど英雄になりやすい時代、
英雄の粗製濫造される時代はない。

英雄は時代がつくるように見えて、
実は時代の影法師にすぎなかった。

大体、
恥部のない奴は人間じゃないよ。
恥部のある方が魅力があるし可愛らしい。
だから、
ついスカートをまくって、
恥部にさわり・・

難しい文章を書くのは概して頭の悪い人に多い。
頭のよい人は物事をそしゃくして、
わかりやすく書くものである。

五十人味方がいて五十人が敵。
それでいいじゃないか、
全部を味方に引き入れることなんてできっこない。

美しく死ぬことはやさしい。
美しく老いることはむずかしい。

今の日本では、
新聞を読むということは、
実は漁師が(天気を予測するために)浜に出て空を見るのと同じである。
そこで雨ガエル・・

“善人とはほかに大して褒(ほ)めるところのない人物、
といって悪ければ頭脳的反応がきわめて単純で、
心の中を簡単に見すか・・

世間には、
つねに何者かを崇拝し、
胸に抱きしめていないとおさまらない人間がウヨウヨしている。
釣られたがっている魚のような・・

愛がご馳走なら、
信頼は米の飯だ。

大宅 壮一(おおや そういち、1900年(明治33年)9月13日 - 1970年(昭和45年)11月22日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家。妻は大宅壮一文庫の理事長を務めた大宅昌、三女はジャーナリストの大宅映子。