名言大学

見る度に発見が出てくるわけです。
それが歌舞伎の面白さ

(五代目)中村時蔵

まだまだ勉強することが多くて。
悪戦苦闘し続けるのだろうと思います

(五代目)中村時蔵

20代、
30代、
40代と年齢に応じて、
同じ役者の芝居でもお客様のご覧になった印象は変わるかと思います

(五代目)中村時蔵

気持ちは今も若手。
舞台では毎回後悔の連続

(五代目)中村時蔵

この役(岩長姫実ハ八岐大蛇)は私のご尊敬申し上げる、
成駒屋のおじ様(六世中村歌右衛門)が国立劇場で復活なさったもので、
以前から勤めたかったお役です

(五代目)中村時蔵

(若い役者に)夢や目標を持てるようにすることも大事です

(五代目)中村時蔵

同じ芝居を25日間やっていると、
納得のいかないところが出てくるものです

(五代目)中村時蔵

(2007年から歌舞伎俳優を育てる国立劇場養成科の講師を務めている事について)経験者に教えるのと違い、
一から教える重み。
全て洗い直します

(五代目)中村時蔵

家の芸とはっきりいえるのは、
この『嫗山姥』ぐらいです

(五代目)中村時蔵

若い娘と女房役とでは声も違う。
意識して変えていません。
役をつかまえ、
役になりきると自然に変わるもの

(五代目)中村時蔵

(八重桐は)祖父が大正5年に三代目時蔵を襲名した際に演じ、
父も昭和35年の四代目時蔵襲名で勤め、
私の家の芸になっております

(五代目)中村時蔵

役の人物が悲しいのかうれしいのか。
本当に大事なのは舞台に出る前です

(五代目)中村時蔵

片はずしは娘、
お姫様、
女房、
芸者など女形がこれまで培ってきた人生の集約。
赤姫が上品に年を取ったような。
役と役者の年輪が重なるような域をめざしたい。......

(五代目)中村時蔵

(役になりきる事が)いかに大事でどれだけ難しいか。
できる限りの準備は当然のこと

(五代目)中村時蔵

もちろん形は大事で、
決まるところは決めなければなりませんが、
“しゃべりには内面的な要素が多分にあり、
また、
そこが重要です

役になりきる

(五代目)中村時蔵

歌舞伎の血、
というものでしょうか。
父の跡を継承することに何の迷いもなかった

(五代目)中村時蔵

歌舞伎をやめたいと思ったことは一度もない

(五代目)中村時蔵

先輩俳優が、
“踊れないやつに限って踊るとおっしゃっていました

(五代目)中村時蔵

(中村歌右衛門さんと尾上梅幸さんから教わったことで印象に残っているものは?
)お二人の教えで共通するのは“役になり切るのが大切ということです。
歌舞伎は、
決まりは絶対に崩してはなりませんが、
それ以外は結構自由に表現してもいいんです

小さい時から、
いろんな方々に色々教えていただいて、
父が早くにいなくなったことで、
得した、
ということかなぁ

(五代目)中村時蔵

(どなたに多く教わりましたか?
)成駒屋のおじさん(中村歌右衛門)と(尾上)梅幸のおじさんです

(五代目)中村時蔵

本人たちに向上心がなかったら駄目

(五代目)中村時蔵

台本やビデオを見て思い出し、
復習をします

(五代目)中村時蔵

教えるのは難しい。
自分ができないと教えられません

(五代目)中村時蔵

どの芝居でもそうですが、
役のバックボーンや、
どういう役なのかが出てきただけで分かるように注意しております

(五代目)中村時蔵

中村 時蔵(なかむら ときぞう)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は四代目までが播磨屋、五代目以降が萬屋。 定紋は播磨屋のときが揚羽蝶、萬屋になってからは桐蝶、替紋は蔓片喰(つるかたばみ)。五代目 中村時蔵(ごだいめ なかむら ときぞう、1955年(昭和30年)4月26日 - )は、歌舞伎役者。屋号は萬屋。定紋は桐蝶、替紋は蔓片喰。 叔父に初代中村獅童、従兄弟にニ代目中村獅童が居る。

東京都出身。早世した歌舞伎役者四代目中村時蔵の長男で、現代の歌舞伎界における立女形の1人。七代目尾上菊五郎の女房役など、菊五郎劇団一座の舞台で数多くの役を務める。

国立劇場養成事業の歌舞伎俳優研修の講師を2007年より務めており、現在は主任講師である。

二代目中村錦之助は実弟。子に四代目中村梅枝と中村萬太郎、また孫が2人いる(梅枝の長男 小川大晴と萬太郎の長女)。 白髪は自毛で一切染めていない。 趣味は陶芸。

幼稚舎から慶應義塾に通い、慶應義塾大学文学部国文学科を卒業

本・作品