名言大学

三沢さんのエルボーを初めて食らったとき、
口から脳みそが飛び出るくらいの衝撃だった

(ジャイアント)馬場さんは別格だった

何も考えずにぶつかっていけばいい試合になる

生き返ったというのを見せたい

(三沢光晴選手からの)影響は大きいよ

いつか必ず立ってみせる

『世界のプロレス』は観てましたけどね。
ロードウォリアーズ! 俺はあれを観てたから、
のちにノー・フィアーのあのインタビューができたんだよ

プロレスラーになった以上、
自分でストップするのは無理

三沢さんと初めてシングルをやったときも、
「食ってやる」っていう気持ちだけだった。
だけど、
噛み付いたら、
俺の歯のほうが折れる、
みたいなね

ファンの前で「プロレスを辞めます」って、
自分の足でリングを下りるのを最後に見てもらいたい

人間って切羽詰ったら神頼みするんだよ。
どうやったら、
どこにお祈りに行ったら、
三沢さんが生き返るのかなって本気で考えた

早いね。
あの(事故)直後は「何で生きているんだろ」って思っちゃった

猪木さんの本を読み、
『頑張ればできる』『思えばかなう』という言葉にしびれた俺は、
まさにその言葉を現実のものとした

俺たちプロレスラーは馬鹿だから。
馬鹿だけど地獄のような経験をしてきた。
人間の持つ強さっていうものがあるはず

その本(苦しみの中から立ち上がれ アントニオ猪木 (著))の中には、
猪木さんが力道山のもとに入門したばかりのころ、
全然スクワットができず、
鬼のような師匠に怒られ、
殴られながらも頑張って、
少しずつできるようになったことが書いてあった

子どもの頃に病弱だった俺が、
まさかここまで来れるとは・・

小橋建太は目標であり、
あいつを倒すことが目的でもあった

俺はどの場所でも、
それなりのインパクトを残してきた

自分が脳梗塞になった時よりも、
小橋建太に腎臓ガンが発見されたって聞いた時のほうが、
目の前が真っ暗になったよ

(PRIDEのドン・フライ戦)試合は、
ひと言で言えば、
ノーガードのぶん殴り合い。
お互い相手の首を左腕で押さえて、
右腕でぶん殴る。
あのシーンが拍手喝采を浴びたわけだが、......

(小橋建太選手の引退を聞いた時は?
)ホッとした部分はある。
怪我や病気があってね。
言っちゃったらアレだけど、
三沢さんのことがあったから

彼ら(三沢光晴・小橋健太)がいわゆる王道であったからこそ、
俺はそこじゃなくて違う道だな、
と思うことができた

力道山先生《過去のプロレス漫画で馬場サンも猪木サンも、
そう呼んでいた!?》によって日本初の本格的なプロレス国際試合が行われたらしい

三沢さんっていうのは常にファンを引っ張ってたような気がする

昨日、
天龍サンと電話で話をした・・・実娘の嶋田代表からマスコミ発表前に連絡を頂いた時には遂にその時(天龍源一郎選手の現役引退)が来たかと思った

俺は三沢さんと闘うことで、
「これがプロレスなんだ」って思った

俺は自分がやってるUインターのプロレスに結構自信を持ってたんだけど、
プロレスよく知らない友達に『おまえ、
何チャンネルに映ってるの?
 4チャン?
 10チャン?
』って言われて、......

この人(三沢光晴さん)に向かっていったら、
俺はどんどん成長できる

三沢さんに関しては、
後になって凄さが段々と分かってきた

全日本に上がり始めた頃、
最初に『コイツだ!』って思ったのが小橋健太だった

高山 善廣(たかやま よしひろ、1966年9月19日 - )は、日本の男性プロレスラー、総合格闘家、俳優。東海大学付属相模高等学校、東海大学文学部文明学科卒業。東京都墨田区出身。血液型O型。個人事務所「高山堂」に所属。マネジメントはハイタイド。