名言大学

#演出家

内面の問題の抱え方とか、
勉強の仕方とか。
日常生活のたくさんのことが舞台に表れてくるわけだから、
それをちゃんとやれ。
というような指導を演出家がやってくれない限り、
俳優は育たないと思っているわけです

もし何かを求めるなら、
それを手に入れるために、
すべてを賭ける勇気を持ちなさい

遅刻というミスを犯したその日は、
もはや奴隷ですよ。
僕はそういうルールなんで

若かりし頃は存じ上げませんが、
【悪さ】が微塵も結びつかない方…..というのが、
わたしの勝手な肌で感じた印象

いい大人になると仕事について自分の意見もある。
それを言いたいなら最低限の礼儀はきちんと守る

なんか照れくさいんですよね。
どんな話を作ったところで、
結局、
ラブロマンスや恋愛ものは、
僕の体験がもとになってしまうので。
みなさんもそういうふうに観るでしょうし

(笑)マークは、
それさえ入っていれば、
なんだか会話が盛り上がっているように見えてしまう、
ずいぶん便利な発明品です

「得意なこと」と「やりたいこと」は一致しないんだよ。
だから、
まずは「得意なこと」を見つけなさい。
それが成功すれば「やりたいこと」はできるようになってくるから

僕はあまのじゃくですから、
『こうすればいいのに』という声が聞こえたりすると、
真逆のことをしちゃうんですよね

正しいとか間違いでもなく、
ひきこもりは自分が生きる上での必要な過程

残念ながら、
昔は仕事が楽しいと思えませんでした

ウソがバレるほど、
でかいウソをつけ

「遅刻をしない」というのは当然の礼儀ですよ

あるニューヨーカーが、
アジア人の中で国籍をあてるのは難しいが、
日本人だけはわかると話してくれました。
理由は「日本人は目が死んでいるから」だそうです。
妙に納まっている印象を受けるのですぐわかるのだそうです

『熊谷陣屋』なんですけれど、
相模の入りから通して演ったんです。
あの暑い夏の京都で。
それまであんまり忙しかったこともあって、
ぼく、
ノイローゼ気味になりました

重いものをくぐりぬけてきたひとつ上の世代の人たちからすると、
恐らく俺たちの世代は何も背負うべきものがない。
そういう時代に自分は生きているんだ、
という自覚があった

俳優は自分に理解できることだけを演じるべきではない。
それでは、
自分の役がもつ神秘性を彼自身の水準まで引き下げることにな・・

遠くを見すぎると、
足下がおろそかになるのかもしれません 明日に向かって前進することが大事なのでしょう

子どもたちには、
何よりお芝居の楽しみ方を味わってもらいたかったですね

あの人(カエサル)は、
カネに飢えていたのではない。
他人のカネを自分のカネにしてしまうつもりもなかった。
ただ単に、
他人のカネと自分のカネを区別しなかっただけなのだ

妬(ねた)むより妬まれろ

どんなに内面的な嵐があっても、
激しいタッチで絵を描けばそういうものが反映されるかといったら、
そうじゃない。
絵は、
細かい手作業の積み重ねで成立していくことが多いので、
身体とズレるんですよね。......

もし昔の自分が現れて今の僕を見たらきっと「奇跡だ!」と驚いてくれるとでしょう。
何故なら、
人と話すのが怖い、
目を見るのも恐ろしく、
少しでも一人でいたかったからです

言いながら(台詞を)思い出すんです

赤ん坊が立ち上がるというのは、
誰から教わるわけでもない。
つまり、
人間は身体の中に、
四百万年前に立ち上がった時の記憶を、
既に生まれてくるときに持っている

さよなら公演で、
力を使い果たしたんです(笑)。
大きな節目ということで、
ちゃんとしたものをお見せしなければならないという気持ちがあり、
没頭しましたから。
しばらくは、......

小学生のころから歴史が大好きで、
一度、
自分なりの視点で戦国時代を描いてみたいという想いがあったんです

集中して見たくなるものを作る

幸せとは形じゃない。
幸せとは気分だと思っている

偉大なる才能は、
試練によっていっそう鋭く育まれる。

アメリカは狭い部屋にいる大きな人なつこい犬だ。
しっぽを振るたびに椅子をひっくり返す。

アーノルド・J・トインビー

『あいつは、
あんなふうに口説いているのか』『あんなふうに女の人と接しているのか』とか思われるのがすごく恥ずかしいから、
なるべく避けてきたというのはあります

天才と呼ばれていた人よりも才能がないと言われていた人のほうが成功している。
だから、
「才能がない」と言われてむしろうれしかった。
「これで成功するための条件をひとつクリアしたぞ」ってね

演出をしていると頭もカンもぼけないんですよ。
それ以外は物忘れすることもあるのですが

俳優だけではない。
技術、
経営のスタッフら劇団員全員が、
これからも、
あらん限りの情熱を傾け、
演劇活動に臨んでほしいと思います

「合わせに来ているな」と感じるものに格好よさや面白さを感じたことがあまりなかった

死ぬまでどこでブレイクするかわかんないですからね。
やめない限りはどんなことがあるかわからない

30年前、
大学の先輩である俳優の篠井英介さんにお会いしたとき、
「信長はこの人しかいない!」と直感しまして、
今回の映画では、
30年越しの夢が叶いました

そういうものに対する鑑識眼のないスタッフが集まった編集部のトップを程度がいいと思えるわけがない

映画産業全般に就きたいのなら学生時代から広くものを見なさい

(現代人劇場は)状況と直結しているような内容を、
ある種の過激なひた走り方でやっていく集団でした。
ですから、
同時代の若い人たちにはものすごく受けたと思うんですよ

母親に「大学を出る年まではおこづかいをあげるから、
何もしなくていい」って言われたんですよ。
だからぼくはアルバイトをしたことがない

例えば清須城の天守は、
存在していたかどうかすら不明なんです。
しかし美術の種田さんとも協議して、
白壁ではなく櫓が少し大きくなった天守くらいはあっただろうと。
清須城はCGばかりに頼らず、
かなり大がかりなセットを制作して撮影しました

礼儀恐怖症というのあります。
昔の現場は非常に厳しかったですからね。
この年齢になると、
下の子たちのちょっとラフな礼儀にいちいちイライラ来るというのは普通にあります

人はそれぞれカラーが違う

台詞を明晰に語り、
歌では音程とリズムを守り、
振付に忠実に厳密に踊る。
その結果、
作品の原点を創った人々の感動がストレートに客席に届くのです

一番悔しいのはね、
試写で一番盛り上がるのが西田さんがお尻出したときなんですよ。
結局それなんだ、
って。
これだけ苦労して作ったのに、
西田さんのオケツに負けてしまったって言うのがとても悔しいです

自問自答の時間を長く持ち、
そこから表現する

何とかしてその人じゃなきゃダメっていう俳優を作りたい

もともと自分の志向としてね、
サスペンスドラマに興味があって

テレビで商社マンの教育をマンツーマンでやるのを見たことがありますけど、
ああいう感じです。
もう今はやりたくない(笑)と思います。
こう言われたらこう言う、
ああならば、
ああするとか、......

情けない部分とか弱い部分。
そこも含めて、
血の通った男性像になったかなと思います

フロアでボンってぶつかったなと思ったら、
蹴りだったらしくて。
それでも踊ってたら影になってる所に連れてかれちゃって、
ボコボコにやられて

まずい食材はない。
まずい料理があるだけだ

バイエルを終わってすぐに、
『月光』をやったんです、
ベートーヴェンの『月光』。
めちゃくちゃというか、
冒涜というか(笑)、
楽しみでやってますから、......

自分にマイナス要素がある、
才能的に優れていないからこそ、
そのマイナス面を埋めるための努力を死ぬまでしなくてはいけないのです。
この努力は一見辛いように見えます。
実際とても辛いです。
努力をしないで好きなところにはまって、......

お笑いの魅力はどこまでやっても100点がないことですかね

創立時の日本演劇界は、
左翼イデオロギーばかりが横行し、
演劇という芸術本来の輝きが失われていました

最初はバラバラなんだけどそれが最終的に一つにまとまって、
できればラストシーンには全員が集まってるみたいな、
そんな映画を作りたいというのがありました。
だから今回はまず本を書いて、
そこからキャスティングだったんです