ちゃんとやらなければ。ミスは許されない。そう思うほど手が止まり、始める前から疲れてしまった経験はないでしょうか。完璧を目指すことは、本来は向上心の表れです。けれど、いつの間にかそれが「できていない自分」を責める物差しになり、挑戦そのものを遠ざけてしまうことがあります。
この記事では、完璧主義に疲れた人、動き出す前に考えすぎてしまう人のために、古今東西の34の言葉を集めました。「完璧な人などいない」という事実、完璧主義が心をすり減らす理由、八割で進む知恵、失敗との付き合い方、そして欠けたものの中にある美しさ。ことわざや古典、アーティストやアスリートの言葉まで、肩の力を抜くヒントを順に紹介します。
読み終えたとき、「完璧でなくても、始めていい」と少しでも思えたなら幸いです。
完璧な人なんて、どこにもいない
まずは出発点から。完璧という到達点は、誰にとっても幻のようなものです。
「完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから」
── サルバドール・ダリ(スペインの画家)
奇抜な言動でも知られた画家が、あっさりと言い切っています。届かないものを前に怖気づく必要はありません。完璧は到達する場所ではなく、歩く方向を示す目印だと考えれば、気持ちはずいぶん軽くなります。
「色々あるね。完璧はないね。だって私達、生身の人間だから。そこが、はがゆくて、いとおしいね」
── 浜崎あゆみ(歌手)
「はがゆくて、いとおしい」という言い方が優しい言葉です。うまくいかない部分は、欠陥ではなく人間らしさの証。自分にも他人にも、この目線を向けてみたいものです。
「誰でも人生で傷つくものだよ。完璧な人間なんでいない。人は、皆一人残らず、多少はしくじったりするものだよ」
── ジョニーデップ(俳優)
「皆一人残らず」という言葉が効いています。しくじった自分だけが特別に劣っているわけではありません。誰もが同じ場所でつまずいていると知るだけで、恥ずかしさは和らぎます。
「完璧な人間なんてどこにもいないよ。ジョンが賞賛されるようになるまでにどれだけの労力と時間を注ぎ込んだか知ってるかい?」
── ジェームズ・ポール・マッカートニー(ミュージシャン)
名曲の裏には、生まれつきの完成された才能ではなく、費やされた労力と時間がある。賞賛される人も、最初から完璧だったわけではないのだと教えてくれます。
「この世に完璧な指導者などいません。それを目指す道があるだけです」
── エディー・ジョーンズ(ラグビー指導者)
完璧さは「状態」ではなく「道」であるという見方です。人を導く立場にある人ほど、自分に完璧を課して苦しくなりがち。道の途中にいる自分を認めることが、長く続けるための土台になります。
「地上には、善だけを行って罪を犯さない義人は、ひとりもいない」
── 旧約聖書(「伝道の書」より)
数千年前の知恵の書にも、同じ認識が記されています。間違いを犯すのは人間の前提条件。そこを出発点にしたほうが、人は謙虚に、そして穏やかに生きられます。
完璧主義は、静かに心をすり減らす
完璧を求める姿勢は、ときに自分を追い詰める刃にもなります。
「もう疲れたんだ。自分の人生が完璧じゃないと装うことに。そして、俺は完璧じゃない」
── チャーリー・シーン(俳優)
「完璧であるふり」には終わりがなく、続けるほどに消耗します。装うのをやめると宣言したこの言葉には、ある種の解放感が漂っています。
「私は完璧主義タイプなのでどの試合にも勝ちたいと思っているのですが、自分の中から出てくるプレッシャーやフラストレーションもあって、上手くいかないこともあります」
── 大坂なおみ(プロテニス選手)
世界の舞台に立つ選手でも、最大のプレッシャーは自分の内側から生まれると語ります。完璧を求める気持ちが、かえって力を発揮しにくくすることがあるのです。
「完璧主義は呪いだ。でも妥協は死だ」
── 庵野秀明(映画監督)
ものづくりの現場にいる人の、切実な二面性です。こだわりは自分を縛る呪いにもなる一方で、手放しすぎれば作品は死んでしまう。この葛藤を自覚できること自体が、すでに誠実さの表れでしょう。
「絶対に完璧を目指さないこと。完璧を目指すとしんどいし、減点ばかりになっていく」
── 野々村友紀子(放送作家・タレント)
完璧を基準にすると、人生は加点ではなく減点で採点されてしまいます。ゼロから足していくのか、百から引いていくのか。採点の仕方を変えるだけで、見える景色は変わります。
「生真面目な完全主義者よりも、力の抜き方が上手な人が楽に生きていることがあります」
── 相川圭子(ヨガ・瞑想の指導者)
力を抜くのは怠けではなく、技術です。張りつめたままでは、いざというときにしなやかに動けません。休む、緩めるという選択も、立派な実力のうちです。
「完璧主義は、抑圧者の声であり、人々の敵である」
── アン・ラモット(アメリカの作家)
執筆論『Bird by Bird』の一節で、書くことを妨げる内なる声をこう呼びました。「ちゃんとしたものを書け」と責める声に従うほど、最初の一行は遠のきます。下書きは下手でいい、という許可を自分に与えるための言葉です。
八割でいい、走りながら直せばいい
完璧を待っていたら、機会は過ぎてしまいます。進みながら整える知恵を集めました。
「完璧主義はやめて、八十点の出来なら合格と考える。毎日毎日、全力投球するのではなく、頑張るべき時だけ百パーセント、百二十パーセントの力を出し、あとは八十パーセントぐらいをキープする。それが、心身共に健康で、いい仕事を長く続けていくコツなんですよ」
── 斎藤茂太(精神科医・作家)
全力を出し続けることは、長距離走では逆効果です。八割を基本にして、ここぞという場面にだけ力を集中させる。仕事を長く続けるための、実践的な配分の考え方です。
「戦は六、七分の勝ちを十分とする」
── 豊臣秀吉(戦国武将)
完勝を狙えば無理が生じ、反発や反動を招きます。六、七分で十分という判断は、勝ちすぎないことで次に備える戦国の知恵。現代の仕事や人間関係にも通じます。
「完璧な計画などない。走りながら修正せよ」
── フィル・ナイト(ナイキ創業者)
計画を磨き上げてから動くより、動きながら現実に合わせて直したほうが早く、確実です。最初の一歩は粗くて構わない。走り出した人にしか、修正の材料は手に入りません。
「最善は善の敵である」
── ヴォルテール(フランスの哲学者・作家)
十分に良いものがすでにあるのに、さらなる最善を求めて何も仕上げられない。そんな状況への戒めです。この言葉は、ヴォルテールがイタリアの諺として紹介したものとされ、今も「完璧は善の敵」という形で使われています。
「完璧さを求めるのをやめて、小さな進歩に目を向けることを学ぶと、人生はぐんと楽になる」
── リチャード・カールソン(心理学者・作家)
昨日より少しできた、を数える習慣です。理想との差ではなく、昨日との差を見る。それだけで、毎日の手応えは確かなものになります。
「切望し過ぎるから絶望するんだよ。欲望し過ぎるから渇望するんだ。願望し過ぎるから失望するんだよ。ほどほどがいい」
── 辻仁成(作家・ミュージシャン)
望みが強すぎると、満たされなかったときの落差も大きくなります。「ほどほど」は妥協ではなく、心の揺れ幅を小さく保つ生活の知恵として響きます。
失敗してもいい、もう一度やればいい
完璧主義の根にあるのは、失敗への恐れです。失敗を味方につけた言葉を紹介します。
「また挑戦しよう。また失敗しよう。もっと上手く失敗しよう」
── サミュエル・ベケット(アイルランド出身の劇作家)
原文は「もっとよく失敗せよ」という趣旨の一節で、作品『ワースト・ワード・ホー』にあります。失敗を避けるのではなく、失敗の質を上げていくという発想の転換です。失敗は終点でなく、次の試行の材料になります。
「失敗して、泥の中に転んだって、起き上がればいいだけである。恐れる必要など、どこにもない」
── ラルフ・ウォルド・エマーソン(アメリカの思想家)
転ぶことよりも、転んだまま止まってしまうことのほうが損失は大きい。起き上がればいいだけ、という単純さに救われる人は多いはずです。
「栄誉とは実際に闘技場にいた人々のものである。価値ある人とは批評家ではない。強い者がいかにつまずいたか、あるいはもっとうまくできたかを指摘する者でもない」
── セオドア・ルーズベルト(第26代アメリカ大統領)
1910年のパリでの演説の一節とされています。外から評論する人ではなく、泥と汗にまみれて挑んだ人こそが称えられる。同じ演説には、闘う者は「何度も誤り、何度も届かない」と続きます。不完全な挑戦者への、力強い肯定です。
「何かに失敗することなく生きるのは不可能です。あまりに慎重に生きて、生きていないのも同然になるのなら、その時あなたは最初から失敗しているのです」
── J.K.ローリング(イギリスの作家)
2008年のハーバード大学の卒業式辞で語られた言葉です。失敗を避けようと慎重になりすぎることこそが、一番の失敗だという逆説。挑んだ末の失敗は、生きた証だと言い換えられます。
「人間は努力する限り、迷うものだ」
── ゲーテ(ドイツの詩人・作家)
『ファウスト』の「天上の序曲」にある一節とされます。迷うのは、努力している証拠。迷いのない人生より、迷いながら進む人生のほうが、よほど前に進んでいます。
「わたしが弱い時にこそ、わたしは強い」
── 新約聖書
弱さを隠そうとして張る虚勢より、弱さを認めたところから出てくる力のほうが、はるかにしなやかです。完璧に見せようとする努力を手放すとき、本当の強さが顔を出します。
欠けているから、美しい
欠けや未完成は、不足ではなく豊かさでもある。日本人が古くから大切にしてきた美意識に目を向けます。
「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」
── 吉田兼好(『徒然草』の作者)
満開の花、曇りなき満月だけが美しいわけではない。盛りを前にした蕾や、散りゆく花にこそ、心を動かされる。完璧な姿だけを愛でるのではなく、移ろいの途中を味わう見方が、ここにあります。
「すべて、何も皆、事のとゝのほりたるは、あしき事なり。し残したるを、さて打ち置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり」
── 吉田兼好(『徒然草』の作者)
『徒然草』第八十二段の一節です。何もかもが整いすぎているのは良くない、やり残しをそのままにしておくほうが面白く、命が伸びていくのだ、という意味です。完成を急がず、余白を残す。七百年前の随筆が、現代の完璧主義にも優しく響きます。
「大成は欠けたるが若し、その用は弊れず」
── 老子(中国の思想家)
『老子』第四十五章の言葉です。本当に大きな完成は、どこか欠けているように見える。けれどその働きは尽きることがない、という意味です。欠けは未熟のしるしではなく、完成の深さの表れだという逆説に、はっとさせられます。
「本当の美しさは、不完全を心の中で完成させた人だけが見出すことができる」
── 岡倉天心(明治期の美術思想家)
不完全なものを前にして、見る人が心の中で補い、完成させる。そこに生まれる美しさは、最初から整っているものより深く響きます。欠けを欠けのまま受け取る感性が問われています。
「粘土のいいところは、未完成で終えることができるところです」
── 奈良美智(美術家)
終わりを決めるのは作り手自身。「完成」を絶対視せず、ここで手を止める勇気も、ものをつくる大切な判断です。未完成のまま世に出す自由があってもいいのです。
「これほど不完全にしか成し得なかった仕事が、今なお私にとって尽きることのない喜びの源である。だからこそ思うのです、与えられた務めを不完全に果たすことこそ、不完全きわまりない人間の本性にふさわしいのだと」
── リタ・レーヴィ=モンタルチーニ(ノーベル賞を受賞した神経学者)
自伝『不完全さの称賛』の一節。不完全な人間が、不完全にしか果たせない務めを、それでも喜びとともに続ける。その姿勢を堂々と肯定する、勇気づけられる言葉です。
「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする」
── 須賀敦子(随筆家・イタリア文学者)
「完璧な条件が揃えば歩ける」という思い込みが、歩き出す足を止めてきた。静かな告白のような文章ですが、完璧な靴を待ち続けることの切なさが、胸に残ります。
ありのままの自分で歩き出す
最後は、欠点も含めて自分を受け入れる視点です。
「私にとって最高の勝利は、ありのままで生きられるようになったこと、自分と他人の欠点を受け入れられるようになったことです」
── オードリー・ヘプバーン(女優)
自分の欠点を許せる人は、他人の欠点にも寛容になれます。誰かに勝つことより、ありのままで生きられること。それを「勝利」と呼ぶところに、深い人生観が感じられます。
「この世には完全無欠の物もなければ、全然無用の品もない。われわれの親にも子にも友人にも欠点があれば、われわれの憎み嫌う人にも特長がある」
── 新渡戸稲造(教育者・『武士道』の著者)
欠点のない人はいないが、長所のない人もいない。完全か無用かという二択で人を見ないこの視点は、自分自身に向けても有効です。
「人間は万能の神でも仏でもないのですから、人を完全に理解することもできないし、良かれと思ったことで人を傷つけることもあります。そういう繰り返しの中で、人は何かに許されて生きているのです」
── 瀬戸内寂聴(作家・僧侶)
不完全な者同士が、許し合いながら生きている。そう受け止められたとき、自分を責め続ける必要はなくなります。完璧でない私たちを、そっと包んでくれる言葉です。
完璧であることは、ゴールではありません。不完全なまま始めて、直しながら進み、欠けた部分も含めて自分を認める。その繰り返しが、人生を前に進めてくれます。今日はひとつ、「八割で出してみる」ことから試してみませんか。