「もし、私の持っているものが私を意味するなら、また、私が持っているものを失ってしまったら、私は誰なんだろう?」

エーリッヒ・フロムの他の名言

「自由とは責任を引き受けることだ。だからこそ、多くの人が自由を恐れる」
「苦悩や服従や自殺が、生の積極的な目標に対するアンチテーゼであることは疑いない」
「我々のものとは、人であれ無生物であれ、われわれが創造的な活動によって純粋な関係を持っているものだけである」
「合理化は、現実を洞察する手段ではなく、自分自身の願望を、存在する現実と調和させようとする事務的な試みである」
「我々の自発的な活動から生まれる性質のみが自我に強さを与え、ひいては自我の統一性の基礎となる」
「能動的な思考から生まれてくる思考は、常に新しく独創的である。独創的ということは、必ずしも他の人間が以前に考えなかったという意味ではなく、考える人間が、自分の外の世界にしろ中の世界にしろ、そこになにか新しいものを発見するために、その手段として思考を用いたという意味においてである」
「良心は、外的権威と同じような冷酷な支配者であること、また人間の良心によってあたえられる秩序の内容は、結局個人的な自我の要求によってよりも、倫理的規範の威厳を装った社会的要求によって左右されやすいものであるということが明らかになっている」
「権威は常に、何時はこのことを成せ、あのことをなすべからずと命令するような個人や制度であるとは限らない。この種の権威は、外的権威と名付けることができるであろうが、権威は、義務、良心あるいは超自我の名のもとに、内的権威としてあらわれることもある」
「マゾヒズム的人間は、外部的権威であろうと、内面化された良心あるいは心理的強制であろうと、ともかくそれらを主人とすることによって、決断するということから解放される。すなわち自分の運命に最後的な責任をもつということから、どのような決定をなすべきかという疑惑からも解放される」
「人は自己自身を屈服させ、それのもつすべての力や誇りを投げ捨て、個人としての統一性を失い、自由を打ち捨てる」

関連する名言

「私は誰とも争わなかった。争うに値する者などいなかったから。自然を愛し、自然の次に芸術を愛した。人生の火にかざして両手を温めた。その火は今、衰えてゆく。私は旅立つ用意ができている。」

— ウォルター・サヴェージ・ランドー

「死が私の上に立ち、耳元で何かをささやく。その奇妙な言葉について私に分かるのは、そこに恐れの言葉など一言もない、ということだけだ。」

— ウォルター・サヴェージ・ランドー

「滅びたイリオンを越えてヘレネは生き、アルケスティスは黄泉の国から立ち上がる。彼女たちを呼び戻すのは詩であり、死すべき乙女たちに不滅の若さを与えるのも詩である。」

— ウォルター・サヴェージ・ランドー

「名声の門と墓の門は、同じ楣(まぐさ)の下に並んで立っている。」

— ウォルター・サヴェージ・ランドー

「一枚、また一枚と葉が落ち、一輪、また一輪と花が散る。寒い時節に散るものも、暖かい時節に散るものもある。ひとしく咲き、ひとしく散り、それらを育てた大地がすべてを迎え入れる。大地の賢い子である私たちは、命が尽きたとき、その懐に身を沈めることにもっと満足してよいのではないか。」

— ウォルター・サヴェージ・ランドー

「死は姿こそ見えないが、すぐそばにいて、私の八十歳を惜しんでいる。私はこの最後の歳月をそっくり彼にくれてやってもいい、五十年前に過ぎ去ったあの一年と引き換えに。」

— ウォルター・サヴェージ・ランドー

「批評家ぶった口がやかましいこの世でささやかれるあらゆる「きまり文句」のなかで、偽善者のそれが最悪かもしれないが、いちばん苦痛なのは批評のきまり文句だ。」

— ローレンス・スターン

「時はあまりに速く過ぎ去る。私が一字を記すたびに、人生がどれほどの速さでペンのあとを追ってくるかを思い知らされる。」

— ローレンス・スターン

「脱線は、まぎれもなく陽光だ。脱線こそ読書の命であり魂である。」

— ローレンス・スターン

「人間の身体と精神は、上着とその裏地のようなものだ。一方をしわくちゃにすれば、もう一方もしわくちゃになる。」

— ローレンス・スターン

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