「英語でいうとキャンサー・オブ・ダイニングキッチン!食堂のがん!」
桑田佳祐の他の名言
「好きなんです。たとえばニューヨークにいて、自分の中の京都チックな部分を思い出す。自分自身の先祖が住んでいるような、自身と他人を錯覚するような・・・・、京都って錯覚シティーだね」
「一般の43歳男性がTシャツばかり着ていていいはずはないんだけど、逆にハクをつけるためにいい年して形から入る人間もいるでしょ? ヴェルサーチのスーツを着てロレックスの時計をするみたいなさ。それは俺にとって心の底から大笑いなのよ」
「水商売やってたでしょ、親父もおふくろも。だから、親に遊んでもらったって記憶、そんなにないのね。湘南だったけど、親父やおふくろと一緒に海でワイワイとか、ほとんどない。ほとんど放ったらかしにされてた」
「『ザ・ベストテン』で『いとしのエリー』が7週連続第1位になった。あのときは恍惚感を味わいましたね。だって、俺は勉強もできなかったしさ、街で火消しをやって表彰されたこともないからね。そこで生まれて初めて表彰されたようなものですよ」
「ウチの親父はカネもないのにクルマを買うのだけは早くて、昭和30年ころかな、「茅ヶ崎じゃいちばん早かった」って、いまだに威張ってる。無理してクルマを買っちゃったもんだから、ほかの“ゆとり機器にまで手が回らない」
「日本人であるかぎり、何としても日本語は最大のよりどころだもの。たくさんいる音楽評論家さんたちも、ほとんどは音楽をサウンドで語ることなく、歌詞がどうのこうのになるのは、そう考えれば仕方ないかもしれませんね」
「振り返ってみると、俺は長嶋さんが引退したあとの巨人軍がすごく好きだったね。王さんや張本さん、レジー・スミス選手とかがいたころね。問答無用の野球のプロがいっぱいいる感じでよかったなぁ」
「やっぱり音楽やっててよかったなと思いたいですよ、ボクは。音楽やってるから映画が撮れたんだとは当然、思っているし。だったら、そういった音楽っていうのかな、やっぱりノリですかね、そういったものがうまくその中に出ていればいいかなぁという気がするんだけどね」
「レコーディングってのは、瞬間瞬間をどう生かすかが特に大切で、集中力っていうか、それがないとやっぱりダメなの。歌を作る、歌詞を作る、ってことにしても瞬間をいかにとらえるかということがあるしね」
「「ロックの概念」なんてそれ自体どうでもいいことだし、人それぞれというか幅があるんだろうけど、80年代初頭の日本は「ロックの概念」をそれこそナタを振り回しながら探していたんだね。いまは、“これはロックか否か?的議論をしないでしょ。賢明だよ」
関連する名言
「(英語の授業を小学校3年生から始めようと検討していることについて)僕はそれ大反対です。結局、自国の言語でしっかり考える力がない人間が中途半端に他の国の言葉を入れて本質的なレベルが上がるわけがない。国語力を鍛える機会を英語で奪ってしまう」
— 林修
「やたらと高い目標は掲げる必要はありませんが、頑張って背伸びすれば手の届く、英語で「ストレッチ」と呼ばれるような目標にすることが求められます」
— 桜井正光
「(亀を英語で?)スッポン!」
— ガッツ石松
「(英語の勉強法)一番いいのは、薄いのでもいいから本を読むことじゃないかな」
— 利根川進
「英語やドラムはやった分だけ上手くなるんですよ。たがが努力です」
— YOSHIKI
「自分でも理由は分からないのですが、12〜13歳の頃に突然英語が好きになったのです。当時は特に英語を学べる場所も、英語の本もありませんでした。そこで、私は杭州賓館、つまり現在の杭州シャングリラホテルに行った。外国人の宿泊を受け入れるホテルだったからです。そうして9年間、毎朝、無料のガイドとして外国人客をいろいろな場所に案内し、彼らから英語を学びました」
— ジャック・マー
「小さい頃は、祖母が歌う英語の賛美歌を子守歌代わりに聞いて育ちました」
— すぎやまこういち
「(小学3年生の頃)学校の朝礼で「子どもが歌謡曲を歌うのはよくない」と言われたんです。だけど僕は『Heartbreak Hotel』をデタラメな英語で歌っていたみたいなんです。それを聴いた同級生が先生に「(宇崎さんが)歌謡曲を歌っていた」と密告して、学校に母親を呼ばれたんです。」
— 宇崎竜童
「英語の「Good luck」はなかなか大人の言葉。「頑張っても限界がある。気をつけろよ」という思いやりが伝わってくる。」
— 宋文洲
「(オーストラリア留学で大変だったことは?)1番大変だったの は英語についていく事でした。レポートの量も多く、提出期限が重なってたり、または試験の前の日だったりしたので時間の管理を1番大切にして乗り切りました」
— 白川優子

