「狂言は「省略の美学」といわれますが、演じる側の都合で、わかりにくさと不親切があるのなら、多少なりとも手ほどきはしたほうがいいでしょう」
野村萬斎の他の名言
「学生時代、休憩時間はアイドルでしたからね。女の子たちの前で10分劇場みたいなことをしたり、休憩時間の直前に女子トイレの入り口に隠れて女の子が入ってくる時に『ようっ!』と出ていったり・・」
「『職業は?』と聞かれたら『野村萬斎』と答えたい」
「役作りの上でヒントにするのは私の周りにいる人たちです。狂言に出てくる“飲み助は酒に飲まれてしまう役回り。羽目を外して飲む人をじっくり観察しています。とはいえ、私も飲み助です。いつのまにか一緒に飲んでしまいます」
「本当は洋食も好きなのです。朝は必ずアールグレイの紅茶にパン。本格的なインドカレーだって大好き。能楽堂を離れた食事選びにまで、私は“和の演技を求められます(笑)」
「仕事柄、私には“和のイメージがあるようです。だれかにご案内されるのも和食が多い。家族にも、外食時には普段食べられない本格的な和食がいいと言われ、結局寿司や鰻に行くことになってしまいます」
「舞台があるときは、必ず和食を食べるようにしています。海外公演で日本食の店がないときでも、最低限米さえ食べられれば、なんとか力が湧いてくる」
「伝統って昔の点のように見えるかもしれないけど、実は過去から現在までずっと続いてきている線なんですよ。時代を経て古くなり、どこかが抜け落ちて点線になれば、その度ごとに自分たちで間を埋めていっているんです」
「古典芸能は、享受する側が視覚や聴覚、いろいろな感覚を使い、時を超えて繰り返しアプローチしても揺るがない、豊かなエンターテインメントです。そういった面白さを伝えるプログラムも劇場には必要なんですよね」
「過去に、辞書機能を付けたパンフレットを刷るとか、解説を電光掲示板に流した時期もありました。しかし「想像力を働かせるもの=不親切」と捉えるいまの時代の風潮には首を傾げます。不親切ではなく、自分の好きなように観て、想像して構わない面白さが狂言にはあるのですから」
「民間の立場で舞台を創作すれば採算性を一番に考えなければならない。となるとお客を呼べる役者と、親切なストーリー、視覚的にもわかりやすい装置といった「わかりやすさ」に向かうこともあるでしょう。もちろん、それを否定するわけではありませんし、その条件下だからできることもあります。ですが、元が取れれば、まるで紙コップのように捨ててまた次へ・・・・、という創作になるのだとすれば、刹那的すぎる気もします。われわれは税金や公的なお金で運営をしていますし、できるだけ再演に堪えうる作品、将来的に劇場や地域の財産になる作品を発信しなくてはならないと考えます」
関連する名言
「夢の中で私は見た。クリスチャンが上っていく大路の両側には垣のように壁が築かれており、その壁は「救い」と呼ばれていた。」
— ジョン・バニヤン
「人と人との違いを心の底から理解すること。それこそが社会を知るうえで最も大切なことであり、天文学にとってのニュートンの法則が、人生にとってのそれにあたる。」
— アーサー・ヘルプス
「勇気は恐怖と同じく伝染する。」
— アーサー・ヘルプス
「いつも自分の行動を批評してくる人と暮らすのは、顕微鏡のレンズのあいだで暮らすようなものだろう。」
— アーサー・ヘルプス
「もしある人の主張が正しいなら、それはおのずから十分に自らを弁護してくれる。いや、その主張の持ち主をも弁護してくれる。」
— ジョン・バニヤン
「私は自分の敬虔さを誇っていた。実のところ、私がしたことはすべて、人に見られるためか、人に褒められるためだった。」
— ジョン・バニヤン
「「虚栄の市」がその名で呼ばれるのは、そこで売られ、そこにもたらされるものがすべて虚栄であり、その町が虚栄そのものよりも軽いからである。」
— ジョン・バニヤン
「十字架は、天国へ行こうとする者がみな通らねばならない、動かぬ道しるべである。」
— ジョン・バニヤン
「賞は天国である。それが欲しいなら、走って手に入れなければならない。」
— ジョン・バニヤン
「人の会話に加わるとき、まず考えるべきは、その人が自分の話を聞きたがっているのか、それとも自分に話を聞いてほしいのか、ということだ。」
— リチャード・スティール