「無論、小説を書くことも、広告と同様、騙(だま)しである。併(しか)し広告の騙しは商品を売り付ける手段であるのに対し、小・・」
車谷長吉の他の名言
「貧しい人はお金をもらうと、素直に嬉しいんですよ。」
「私小説は自己の存在の根源を問うものである。己の心に立ち迷う生への恐れを問うものである。そうであるが故に、生への祈りなの・・」
「人の魅力は「生活の破綻」の臭いをさせているかどうかによって決まる。」
「四十六歳の夏、私は血族の者から、これだけは書いてはいけない、と哀願されていたことを、小説に書いた。二十数年のためらいの・・」
「人間としてこの世に生まれて来たことが、すでにそれだけで重い罪である。私は言葉でそういう思想を語りたかった。すると人は「・・」
「私はどうせ(作家という)蛇になるなら、毒なし蛇ではなく、毒蛇になろうと思うた。」
「人にとって大事なものは過去と虚栄である。」
「男と女の間に金が介在すれば、純愛はない。」
「人の隠された本質は弱肉強食の畜生である。牛や豚の屍体(したい)を「お肉」と言い換えて、平気で喰(くら)うている畜生以上・・」
「自尊心、虚栄心、劣等感、この三つは人生の癌である。」
関連する名言
「私は誰とも争わなかった。争うに値する者などいなかったから。自然を愛し、自然の次に芸術を愛した。人生の火にかざして両手を温めた。その火は今、衰えてゆく。私は旅立つ用意ができている。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「死が私の上に立ち、耳元で何かをささやく。その奇妙な言葉について私に分かるのは、そこに恐れの言葉など一言もない、ということだけだ。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「滅びたイリオンを越えてヘレネは生き、アルケスティスは黄泉の国から立ち上がる。彼女たちを呼び戻すのは詩であり、死すべき乙女たちに不滅の若さを与えるのも詩である。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「名声の門と墓の門は、同じ楣(まぐさ)の下に並んで立っている。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「一枚、また一枚と葉が落ち、一輪、また一輪と花が散る。寒い時節に散るものも、暖かい時節に散るものもある。ひとしく咲き、ひとしく散り、それらを育てた大地がすべてを迎え入れる。大地の賢い子である私たちは、命が尽きたとき、その懐に身を沈めることにもっと満足してよいのではないか。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「死は姿こそ見えないが、すぐそばにいて、私の八十歳を惜しんでいる。私はこの最後の歳月をそっくり彼にくれてやってもいい、五十年前に過ぎ去ったあの一年と引き換えに。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「批評家ぶった口がやかましいこの世でささやかれるあらゆる「きまり文句」のなかで、偽善者のそれが最悪かもしれないが、いちばん苦痛なのは批評のきまり文句だ。」
— ローレンス・スターン
「時はあまりに速く過ぎ去る。私が一字を記すたびに、人生がどれほどの速さでペンのあとを追ってくるかを思い知らされる。」
— ローレンス・スターン
「脱線は、まぎれもなく陽光だ。脱線こそ読書の命であり魂である。」
— ローレンス・スターン
「人間の身体と精神は、上着とその裏地のようなものだ。一方をしわくちゃにすれば、もう一方もしわくちゃになる。」
— ローレンス・スターン