挑戦を励ます言葉なら、世の中にいくらでもあります。前へ進め、諦めるな、限界を超えろ。けれど山と極地に挑んだ人たちの言葉を並べていくと、少し違う手触りに気づきます。彼らは「進むこと」と同じ重さで、「準備すること」「引き返すこと」「生きて帰ること」を語るのです。
それは当然かもしれません。判断を一つ誤れば戻ってこられない場所へ、自分の意思で行った人たちだからです。だからこそ彼らの言葉は、勢いだけでは終わりません。踏み出せずにいる人にも、走りすぎている人にも、それぞれ違う角度から届きます。
ここでは、登山家・探検家・飛行家・測量家——山や海や空や氷原に挑んだ人たちの言葉を37本集めました。あなたが今登っている「見えない山」のどこかに、必ず引っかかる一本があるはずです。
人はなぜ、山へ向かうのか
理由を聞かれて、うまく答えられない衝動があります。それでも人は行く。まずはその根っこの部分から。
「そこに山があるから」
── ジョージ・マロリー(イギリスの登山家。1924年、エベレストで消息を絶つ)
登山史上もっとも有名な一言です。1923年、遠征資金を集めるためにアメリカを回っていたマロリーは、「なぜエベレストに登りたいのか」と繰り返し問われ、この短い答えを用意しました。理屈を積み上げるのをやめた返答です。
私たちも、本当にやりたいことほど理由を説明できません。「儲かるから」「役に立つから」と説明できる動機は、たいてい他人を納得させるために後から作ったものです。説明できない衝動を、説明できないまま大事にしておく。それも一つの誠実さだと思います。
「山に登り、その良き知らせを受け取りなさい。陽光が木々に流れ込むように、自然の平安があなたの中に流れ込むだろう」
── ジョン・ミューア(アメリカの自然保護活動家・登山家。国立公園制度の父)
ここでの山は、征服する対象ではありません。受け取りに行く場所です。ミューアは山を「攻略すべき敵」ではなく「知らせを届けてくれる相手」として書きました。
疲れているとき、私たちはたいてい何かを得ようとして動きすぎています。少しだけ、受け取る側に回る時間を作る。木々が日光を浴びるように、ただそこに立ってみる。それだけで戻ってくるものがあります。
「みんな、それぞれが、何か新しいことをやる、それはすべて冒険だと、僕は思うんです」
── 植村直己(日本の冒険家。五大陸最高峰を単独で登頂)
冒険という言葉の敷居を、植村直己はこうやって下げてくれます。北極点に犬ぞりで到達した人が言うからこそ、この定義には力があります。
新しい部署に手を挙げる。会ったことのない人に連絡してみる。やったことのない料理を作る。規模はまるで違っても、「初めてやる」という構造は同じです。冒険は、装備を揃えた人だけの特権ではありません。
「仕事でも日々の生活の中でも、冒険することはできる。そう考えると、今見えている光景がきっともっと輝いて見えてくるはずです」
── 三浦雄一郎(プロスキーヤー・冒険家。80歳でエベレスト登頂)
前の言葉を受けて、三浦雄一郎はその先の効用まで言い切ります。冒険を日常に持ち込むと、日常のほうが変わって見える、と。
同じ通勤路、同じ会議、同じ食卓。景色が変わらないのは、景色のせいではなく、こちらが何も新しいことをしていないからかもしれません。輝きは外からやってくるのではなく、こちらの姿勢が呼び込むものです。
「見えない山を登っている全ての人たちへ」
── 栗城史多(登山家。単独・無酸素での八千メートル峰に挑んだ)
栗城史多が繰り返し使った「見えない山」という言葉です。エベレストは誰の目にも見えますが、多くの人が登っている山は、他人からは見えません。
介護、闘病、受験、借金の返済、うまくいかない人間関係。写真に撮れず、登頂の瞬間もなく、拍手ももらえない山です。でも登っていることは事実です。あなたの山が見えなくても、登っているあなたは確かにそこにいます。
「海は、ひとたび魔法をかけると、人を永遠に不思議の網の中に閉じ込めてしまう」
── ジャック・クストー(フランスの海洋探検家。アクアラングの開発者)
引力を持つのは山だけではありません。クストーにとってそれは海でした。一度魅せられたら抜け出せない、という感覚は、対象が何であれ同じ形をしています。
好きなものに人生を持っていかれた経験のある人なら分かるはずです。それは不自由に見えて、実はいちばん自由な状態でもあります。
最初の一歩は、いつも臆病者のもの
踏み出すときの心細さは、経験を積んでも消えません。むしろ、彼らはそれを隠しませんでした。
「始まるのを待ってはいけない。 自分で何かやるからこそ何かが起こるのだ」
── 植村直己(日本の冒険家)
機会は与えられるものではなく、動いた結果として生まれる。順番が逆なのだ、という指摘です。
準備が整ったら、環境が変わったら、余裕ができたら——そう言っているあいだ、何も起こりません。何かが起こるのは、こちらが先に手を出したときだけです。
「僕はとても臆病なんですよ。高所恐怖症なんで、高いところでは足が震えます」
── 植村直己(日本の冒険家)
この記事でいちばん驚いてほしい一本です。世界で最も遠くまで行った日本人が、高所恐怖症を公言しています。
恐怖を感じないことが勇気なのではありません。足が震えたまま、それでも一歩を出すことが勇気です。むしろ臆病だったからこそ、彼は危険を丁寧に数え、装備を確かめ、天候を読み続けました。怖がりであることは、遠くへ行くための資格かもしれません。
「一歩を踏み出す勇気は、「今、やりたい」という自分の気持ちを信じることから生まれる」
── 栗城史多(登山家)
勇気の出所を、根拠ではなく欲求に置いた言葉です。「できる根拠」を集めてから動こうとすると、いつまでも足りません。根拠は動いた後にしか集まらないからです。
信じるのは自分の能力ではなく、自分の「やりたい」という気持ち。信じる対象を間違えなければ、最初の一歩は思ったより軽くなります。
「一歩一歩を確かめるように足を動かし、頂上を目指しました」
── 田部井淳子(登山家。女性として世界初のエベレスト登頂者)
女性初のエベレスト登頂という偉業を、本人はこう振り返りました。誇張も比喩もありません。動作としては、ただ一歩の反復です。
偉業と呼ばれるものの中身は、たいていこれです。特別な瞬間があったわけではなく、確かめながら足を出し続けた時間の総量が結果になっただけ。だから私たちにもできることが、ひとつだけあります。今日の一歩を確かめることです。
「危険は承知しています。私はやりたいからやるのです。女性も、男性が挑んできたことに挑まなければなりません。もし失敗しても、その失敗は後に続く人々への挑戦状となるはずです」
── アメリア・イアハート(アメリカの飛行家。女性初の大西洋単独横断飛行)
失敗を、後続への贈り物として設計している言葉です。うまくいけば道になり、うまくいかなくても「ここまでは行けた」という記録が残る。どちらに転んでも、次の人の役に立つ。
自分一人の成否として抱え込むと、挑戦は重すぎます。誰かの参考資料になると思えば、少し軽くなります。
準備が、運を呼び寄せる
彼らの言葉が説教くさくならないのは、精神論の手前に「段取り」が置かれているからです。
「勝利は、すべてを整えた者に訪れる。人はそれを幸運と呼ぶ」
── ロアール・アムンセン(ノルウェーの探検家。人類初の南極点到達者)
著書『南極点』の一節です。アムンセンはこの後に「必要な備えを怠った者には確実に敗北が訪れる。これを人は不運と呼ぶ」と続けます。
運という言葉で語られる差の多くは、実は準備の差です。同じ日に同じ場所へ行っても、整えてきた人だけが結果を持ち帰る。それを外から見た人が「運がよかったね」と言うだけのことです。
「準備こそが、どんな挑戦においても、その三分の二を占める。私はいつもそう言ってきた。」
── アメリア・イアハート(アメリカの飛行家)
三分の二、という具体的な配分が効きます。本番の出来が全体の三分の一しかないなら、本番前にほぼ勝負はついています。
私たちはつい、本番の集中力や気合いでどうにかしようとします。けれど当日にできることは、実はそう多くありません。前日までに何を整えたかが、当日の自分を助けます。
「冒険家の命は正確さに依存している」
── チャールズ・リンドバーグ(アメリカの飛行家。大西洋単独無着陸飛行に成功)
冒険という言葉のロマンチックな響きを、真正面から切り落とす一行です。彼の命を守ったのは度胸ではなく、燃料計算と航路の精度でした。
情熱は出発の理由にはなりますが、到着を保証しません。到着を保証するのは、地味で退屈な正確さのほうです。
「山登りはたとえどんな山であろうと、自分で計画し、準備し、自分の足で登山する。その過程が苦しければ苦しいほど、それを克服して登頂して登りきったその喜びは大きい」
── 植村直己(日本の冒険家)
準備を人任せにすると、喜びまで人任せになる。植村直己の登山観がよく表れた言葉です。
誰かが立てた計画に乗るのは楽です。でもそのとき、達成感は自分のものになりません。苦しさの持ち分と喜びの持ち分は、だいたい同じ大きさで返ってきます。
「歩け、歩け。続ける事の大切さ」
── 伊能忠敬(江戸時代の測量家。日本全国を実測して地図を作成)
伊能忠敬は55歳から17年をかけ、およそ4万キロを歩いて日本地図を作りました。その原則が、この短さです。
技術も道具も限られた時代に、彼が持っていた最大の武器は「歩き続けること」でした。複雑な戦略よりも、単純な原則を長く守るほうが、遠くまで行けます。
不安は消えない。だから、連れていく
強い人が不安を感じないわけではありません。彼らは不安との付き合い方を変えただけです。
「勇気とは、人生が心の平安を与える代わりに求める代償である。」
── アメリア・イアハート(アメリカの飛行家)
彼女が書いた詩「Courage」の一節です。勇気は生まれつきの才能ではなく、支払うもの。そして支払った対価として、心の平安が返ってくる。
やらずに抱え続ける不安と、やって味わう恐怖。長い目で見れば、後者のほうが安く済むという計算です。
「勇気が必要なのは、打撃を受けた瞬間ではなく、正気と信念、安全に立ち戻るための長い上り坂においてである」
── チャールズ・リンドバーグ(アメリカの飛行家)
事故や失敗の瞬間は、実はアドレナリンが助けてくれます。本当にきついのは、その後の長い回復期です。
立ち直りかけては落ち込み、また少し進む。誰も見ていないその上り坂で必要なものこそが勇気だ、という指摘は、挫折を経験した人ほど深くうなずけるはずです。
「道なき道を歩いてきた僕は「不安」について、明確な答えを持っている。それは、「不安はなくならない」ということだ。不安は自分そのもの」
── 栗城史多(登山家)
不安を消すことを目標にしない。この割り切りが楽にしてくれます。
不安がなくなってから動こうとすると、永遠に出発できません。不安は敵ではなく、自分の一部です。連れていくものだと決めてしまえば、荷物は増えても足は動きます。
「どんなことでも、「これはダメだ」とあきらめるのではなく、「ではどうするか」と考えることに大きな意味がある。」
── 野口健(登山家・環境活動家。七大陸最高峰の最年少登頂記録を持つ)
問いの立て方を変えるだけで、手が動き出すという話です。「無理かどうか」は判定の問い、「ではどうするか」は設計の問い。
前者は考えても何も生まれませんが、後者は必ず何かの案を出します。行き詰まったときに変えるべきは、状況ではなく問いのほうかもしれません。
「登山では少々のことが起こっても動揺しないで『あせらず待とうよ』と仲間に声をかけるようにしてきました」
── 田部井淳子(登山家)
田部井淳子が山から学んだ試練の越え方は、「待つ」ことでした。山の天気は突然崩れますが、必ず過ぎ去ります。
動かないことも技術です。悪天候の中を無理に進めば消耗するだけ。うまくいかない時期に何もしないでいられるのは、弱さではなく判断力です。
引き返す勇気――冒険とは、生きて帰ることだ
この記事の背骨にあたる章です。彼らが命がけで学んだのは、進み方ではなく、やめ方でした。
「冒険とは、生きて帰ることなのである。」
── 植村直己(日本の冒険家)
ゴールは頂上ではなく帰還である、という価値の転換です。到達だけを数えるなら、帰ってこられなかった挑戦も成功になってしまいます。
仕事でも同じでしょう。数字を作っても心身を壊したら、それは達成ではありません。「生きて帰る」を条件に入れた瞬間、計画の立て方も撤退の線も変わってきます。
「植村直己が『冒険とは生きて帰ることだ』と言いましたが、これは『死を覚悟して』という言葉がカッコ付きで入っているのです」
── 三浦雄一郎(プロスキーヤー・冒険家)
前の言葉を安全第一の標語に矮小化させない、大事な補助線です。覚悟せずに帰ってくるのは、ただ行かなかっただけ。覚悟した上で帰ってくるから冒険になる。
守りに入ることと、生還を条件にすることは違います。この差を見誤らないでいたいところです。
「私は思ったのだ——君は死んだライオンよりも、生きたロバのほうを望むだろうと」
── アーネスト・シャクルトン(イギリスの南極探検家)
1909年、シャクルトンは南極点まで残り約97マイルの地点で引き返しました。そのまま進めば隊員の命が危うい、という判断でした。帰国後、妻エミリーに語ったのがこの言葉です。
英雄的な死ではなく、格好悪い生還を選ぶ。しかもその理由を、待っている人の側から語っています。撤退を自分の挫折ではなく、誰かへの責任として説明できる人は強い。
「我々は危険を冒した。冒していると分かっていた。事態は我々に不利に運んだ。だから不平を言う筋合いはない」
── ロバート・ファルコン・スコット(イギリスの南極探検家)
シャクルトンとは逆の結末を迎えた人の言葉です。1912年、南極点到達を果たしながら帰路で力尽きたスコットが、最後の日誌に「国民への手紙」として書き残しました。
自分で選んだリスクの結果を、運や誰かのせいにしない。厳しすぎるほどの引き受け方ですが、選択には必ずこの覚悟がついてくることを思い出させます。
「途中で引き返す勇気というのも必要なのです」
── 栗城史多(登山家)
引き返すことは失敗ではなく判断である、という再定義です。頂上が近いほど、この判断は難しくなります。
やめる決断が難しいのは、それまで払ったコストが惜しいからです。けれど、そこまでの投資は戻ってきません。戻せるのは、この先の時間と体力だけ。撤退の線は、疲れていない時にあらかじめ引いておくのが賢明です。
年齢も限界も、自分が決めている
限界という言葉を、彼らはあまり信用していません。
「自分の可能性を捨ててはいけないと思う。可能性を見限った瞬間に心の寿命は尽きてしまう」
── 三浦雄一郎(プロスキーヤー・冒険家)
「心の寿命」という言い方が鋭い一本です。体の寿命は選べませんが、心の寿命は自分で決めてしまえる。
しかもその瞬間は、たいてい静かに訪れます。「もう年だから」「今からじゃ遅い」。そう口にした時、外側では何も起きていません。内側で終わっているだけです。
「70歳や80歳であきらめる人が多すぎる。80歳がスタートだと思えば、人生がおもしろくなるんじゃないか」
── 三浦雄一郎(プロスキーヤー・冒険家)
三浦雄一郎は65歳の頃、体重が増え、500メートル登るのも息が上がる状態だったと語っています。その人が70歳、75歳、80歳とエベレストの頂に立ちました。
順序が大事です。若い頃から超人だったのではなく、一度落ちてから登り直した。始める年齢に上限があるという思い込みだけが、私たちの選択肢を狭めています。
「人間は夢を持ち前へ歩き続ける限り、余生はいらない」
── 伊能忠敬(江戸時代の測量家)
50歳で家業を息子に譲り、江戸に出て天文学を学び直し、55歳から測量の旅に出た人の言葉として読むと、重さが変わります。
「余生」という言葉には、本編はもう終わったという前提があります。前へ歩いているあいだ、その前提は成立しません。
「冒険は、私のようなごく普通の資質を持つ、ごく普通の人間にもできるものだ」
── エドモンド・ヒラリー(ニュージーランドの登山家。1953年エベレスト初登頂)
人類で初めてエベレストの頂に立った人が、自伝を出した後のインタビューでこう語りました。才能論の、静かな否定です。
もちろん謙遜も含まれているでしょう。それでも、頂点に立った当人が「特別ではない」と言い続けた事実には意味があります。特別な人だけがやることにしておくと、自分がやらない理由が一つ増えるだけですから。
「危険を冒すことなく成し遂げられるものなど何もない」
── チャールズ・リンドバーグ(アメリカの飛行家)
安全と成果はトレードオフである、というシンプルな事実です。無傷で大きなものを得る方法は、基本的にありません。
問題は「危険を冒すかどうか」ではなく、「どれだけ払うか」です。払える範囲を自分で決めておけば、リスクは恐怖ではなく計算になります。
「何事もすぐに結果は出ません。過程を楽しめるようにならないと大きな仕事を成し遂げることはできないと思いますね。」
── 野口健(登山家・環境活動家)
時間の見積もりを変えろ、という助言でもあります。すぐに結果が出ないことに耐えられないのは、根性が足りないからではなく、期間の設定が短すぎるからです。
三年かかることを三か月で判定すれば、当然「ダメだった」と結論が出ます。過程を楽しむというのは、精神論ではなく、期間設定の技術です。
山を下りて、はじめて分かること
冒険が終わった後に、何が残るのか。最後はそこに触れておきます。
「いい経験こそ人生の貯金」
── 田部井淳子(登山家)
田部井淳子はお金の使い道について、こうした基準を持っていました。登山の費用を捻出するために、服やブランド品にはほとんどお金をかけなかったといいます。
経験は目減りしません。景気にも左右されず、誰にも取り上げられない。何にお金を使うか迷ったとき、「これは貯金になるか」と問うてみる価値はあります。
「実際に山に行くと、教科書にはないことがいっぱい出てくるわけですよ」
── 田部井淳子(登山家)
調べることと行くことの、情報量の差の話です。倒木の皮が剥がれていればシカが食べた跡だと分かる——そういう細部は、現地でしか手に入りません。
今は画面の中で世界のたいていの場所を見られます。便利ですが、五感で受け取る情報の密度はまったく違います。迷ったら、行ってしまったほうが早い。
「魚を観察する最善の方法は、魚になることである」
── ジャック・クストー(フランスの海洋探検家)
外から眺めるのをやめて、中に入る。クストーの理解の作法です。彼はそのために潜水器具そのものを開発しました。
人でも仕事でも、同じことが言えます。分析している限り分からないことが、当事者になった瞬間に一気に見えてくる。理解したいなら、まず入ってみることです。
「大自然の中にいると、命の奇跡を感じる。その奇跡の前では、科学が成したことなど取るに足らぬものに思えてくる」
── チャールズ・リンドバーグ(アメリカの飛行家)
当時の最先端技術で大西洋を渡った人が、後年こう書きました。技術の頂点にいた人ほど、自然の前での自分の小ささを知っていたことになります。
小さいと感じることは、卑下ではありません。位置が正しく分かるという意味では、むしろ安心できる感覚です。
「後世の役に立つような、しっかりとした仕事がしたい」
── 伊能忠敬(江戸時代の測量家)
伊能忠敬が歩いて作った地図は、明治以降も長く使われ続けました。一人の隠居後の挑戦が、国の基盤になったわけです。
自分の冒険は自分のためのものです。けれど残るものは、いつのまにか誰かの地図になっている。それが分かるのは、たいてい山を下りてからです。
頂上に立っている時間は、驚くほど短いものです。そこへ向かった日々と、そこから帰ってきた日々のほうが、圧倒的に長い。この記事の言葉たちが、頂上の話よりも準備と撤退と帰還の話に偏っているのは、そのためでしょう。あなたが今登っている見えない山にも、同じことが言えるはずです。今日できる準備をひとつ決めて、そして疲れていない今のうちに、引き返す線をどこに引くかを決めておく。その二つがあれば、たいていの山には登れます。そして何より大事なのは、生きて帰ってくることです。