絵を描く人のための記事ではない。画家や彫刻家が残した言葉は、たいてい絵の技法についてではなく、「どう見るか」「どう続けるか」「どこまで自分でいられるか」についての記録だからだ。彼らはそれを、キャンバスの前で何十年もかけて検証してきた。
キャンバスを石膏の壁や大理石の塊、あるいは企画書やスプレッドシートに置き換えても、言葉の芯は動かない。何かを作り、それを人に見せ、評価にさらされる人間は、みな同じ場所でつまずくからである。
ここでは古今東西の画家・彫刻家・美術家が遺した38の言葉を、七つの切り口で紹介する。行き詰まったときに、机の引き出しから取り出すようにして読んでほしい。
創ることは、生きることだった
はじめに、なぜ彼らが作り続けたのかを聞く。理由は「好きだから」よりも、もう少し切実だった。
「芸術は爆発だ」
── 岡本太郎(芸術家。大阪万博「太陽の塔」の作者)
日本でもっとも誤解された名言かもしれない。テレビCMで流れたこの一言を、多くの人は「ドカンと派手にやれ」の意味で受け取った。だが岡本本人が繰り返し語った定義は正反対に近い。音も光もない、全生命が瞬間に開ききること。それが爆発である。つまり、大声を出すことではなく、出し惜しみをしないことだ。手加減しながら作ったものは、どれだけ体裁が整っていても爆発していない。
「なんでもいいから、まずやってみる」
── 岡本太郎(芸術家。大阪万博「太陽の塔」の作者)
才能を語る前に手を動かせ、という単純な結論に岡本は何度も戻ってくる。準備が整ってから始めようとする人ほど、永遠に始まらない。何をやるかを決めるための最短経路は、何かをやってみることだ、という順序の逆転がここにはある。
「芸術は自分にとって生死のことに関わっている」
── 草間彌生(前衛芸術家。水玉と網目のモチーフで知られる)
草間は幼少期から幻覚と幻聴に苦しみ、視界を埋め尽くす水玉を描き出すことで、その恐怖を紙の上に外在化させてきた。彼女にとって制作は表現である以前に、自分が壊れないための手続きだった。作ることが趣味ではなく生存の条件になる人が、確かにいる。
「芸術は正気の保証である。」
── ルイーズ・ブルジョワ(フランス出身の彫刻家。巨大な蜘蛛《ママン》の作者)
この言葉自体が、彼女が手書きの文字で構成した一点のドローイング作品である。制作が精神の均衡を担保するという確信を、作品というかたちで宣言したわけだ。頭の中だけで抱えていると膨張していく感情も、外に出して形にした瞬間、扱えるサイズになる。
「絵を描くのは人生に耐えるための手段だ」
── フィンセント・ファン・ゴッホ(オランダの画家。「ひまわり」「星月夜」)
ゴッホが本格的に絵を描いた期間は約10年、その間に売れた作品はごくわずかだったと言われる。報酬も承認もほとんどない状態で、彼は膨大な量の絵を残した。何のために描くのかという問いに、彼はこう答えている。生きるためだ、と。
「感情が伴わない作品は、芸術ではない」
── ポール・セザンヌ(フランスの画家。「近代絵画の父」)
構図も色も技術的に正しいのに、どこか見る者の心を通り過ぎていく作品がある。セザンヌはその差を「感情の有無」と切って捨てた。これは絵に限らない。正確な資料と、人を動かす資料の差もここにある。
すべては「見ること」から始まる
技術より前に、彼らが磨いたのは眼だった。
「芸術は見えるものを再現するのではない。見えるようにするのだ」
── パウル・クレー(スイス出身の画家。バウハウスで教鞭を執った)
1920年の小文「創造についての信条告白」の冒頭に置かれた一文である。目の前にある風景を写し取るのが絵ではない。まだ誰にも見えていなかったものを、見える状態に変換するのが創作だ、とクレーは定義した。図解も、文章も、製品も、この定義から外れない。すでに見えているものを整えるだけの仕事は、複製であって創造ではない。
「美はいたるところにある。それが我々の目に欠けているのではなく、我々の目がそれを認めようとしないのだ」
── オーギュスト・ロダン(フランスの彫刻家。「考える人」)
ポール・グセルとの対話集『芸術論』(1911年)に収められた言葉。美しいものが足りないのではなく、こちらの眼が受け取りを拒んでいる、という指摘は厳しい。環境を変えれば刺激が増えると考える前に、いま見えている景色を本当に見ているかを疑う余地がある。
「見るために、私は目を閉じる」
── ポール・ゴーギャン(フランスの画家。タヒチに渡り原初の色彩を描いた)
外の情報を遮断したときに初めて像を結ぶものがある。ゴーギャンがパリを捨てて南太平洋へ渡ったのも、目を閉じる行為の延長だったのかもしれない。情報を集めれば集めるほど何も見えなくなる、という経験は誰にでもある。
「目に映るものではなく、心に映るものを描け」
── クロード・モネ(フランスの画家。印象派を代表する存在)
印象派の原理そのものである。網膜に届いた光の情報を正確に写すのではなく、その光が自分に何をもたらしたかを記録する。事実の報告と、体験の報告は別物だ。人に何かを伝えたいとき、どちらが必要なのかを取り違えないほうがいい。
「自然の前では謙虚でなければならない」
── クロード・モネ(フランスの画家。印象派を代表する存在)
モネは晩年の約30年、ジヴェルニーの自宅の池だけを描き続けた。同じ睡蓮、同じ水面。それでも描き尽くせなかったのは、対象が尽きなかったからではなく、対象のほうが常に自分より大きいと知っていたからだろう。飽きるのは対象のせいではない。
「普通の風景も、心が純粋になれば生命にあふれる。」
── 東山魁夷(日本画家。「道」「緑響く」)
特別な場所へ行けば特別なものが見えるはずだ、と人は考えがちである。東山はその順序を逆にした。見る側の状態が整っていれば、通勤路の街路樹でも同じことが起きる、と。
色と形が、言葉の代わりに語る
言葉にできないものをどう扱うか。彼らはその専門家だった。
「言葉の意味は——私にとっては——色の意味ほど正確ではない。色と形は、言葉よりもはっきりと物事を語る。」
── ジョージア・オキーフ(アメリカのモダニズム画家。花と荒野の画家)
言語は便利だが万能ではない。オキーフにとって、ある感情を最も正確に指し示すのは単語ではなく特定の色だった。うまく説明できないという感覚は、思考が足りないのではなく、道具が合っていないだけかもしれない。
「色彩は、それ自体が何かを表現している」
── フィンセント・ファン・ゴッホ(オランダの画家。「ひまわり」「星月夜」)
アルルに移ってからのゴッホは、黄色を単なる見た目の再現ではなく意味の担い手として使った。色が感情を運ぶという発見は、当時としては新しい。何かを伝えるとき、内容そのものより形式のほうが多くを語ってしまうことがある。
「色は、近い色同士が友人で、反対の色同士が恋人」
── マルク・シャガール(ロシア出身の画家。恋人たちが空を舞う作風)
似た色を並べれば穏やかにまとまり、補色を隣り合わせれば互いを激しく引き立てる。シャガールはそれを友情と恋愛に喩えた。心地よい関係と、緊張を伴う関係。どちらも必要だという含みがある。
「赤がなければ、青を使います」
── パブロ・ピカソ(スペイン出身の画家・彫刻家。20世紀美術の巨人)
若い頃のピカソが極貧の中で青一色の作品群を生み出した、いわゆる「青の時代」を思わせる一言である。制約は表現を狭めるとは限らない。むしろ選択肢が減ったときにこそ、その人固有の様式が立ち上がることがある。
「私が夢見るのは、心を乱す主題も気がかりもない、均衡と純粋さと静けさの芸術だ」
── アンリ・マティス(フランスの画家。フォーヴィスムの創始者のひとり)
1908年に発表した論考「画家のノート」の一節。前衛の旗手と見られていた画家が目指していたのは、刺激ではなく安らぎだった。強い表現が良い表現とは限らない。見る人を消耗させないことも、ひとつの野心である。
続けた者だけが、たどり着く
ここからは時間の話になる。彼らの言葉は、驚くほど地味である。
「天才とは永遠の忍耐である」
── ミケランジェロ(ルネサンス期の彫刻家・画家。「ダビデ像」「最後の審判」)
システィーナ礼拝堂の天井画に、彼はおよそ4年を費やした。首を反らせ続けたせいで一時は姿勢が戻らなくなったと伝えられる。天才という言葉が想像させる閃きよりも、実態はこの持続時間に近い。
「忍耐もまた行動の一つの形態だ」
── オーギュスト・ロダン(フランスの彫刻家。「考える人」)
待つことを、何もしていない時間だと考えると苦しくなる。ロダンはそれを行動の一種に数えた。動けない期間を停滞と呼ぶか、行動と呼ぶかで、その期間の過ごし方は変わる。
「私は毎日進歩しつつある。私の本領はこれだけだ」
── ポール・セザンヌ(フランスの画家。「近代絵画の父」)
同時代のモネやルノワールに比べ、セザンヌの評価は遅れて訪れた。それでも彼の自己評価は他人との比較ではなく、昨日の自分との差分に置かれている。この基準を採用できる人は、他人の成功に振り回されずに済む。
「ようやく何かわかりかけてきたような気がする。私はまだ、進歩している」
── ピエール=オーギュスト・ルノワール(フランスの画家。「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」)
晩年のルノワールは関節リウマチで手が思うように動かなくなり、筆を手に固定して描いたと伝えられる。その状態でなお「進歩している」と言った。上達の実感は、体調でも環境でもなく、続けているという事実からしか生まれないらしい。
「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」
── 葛飾北斎(江戸時代後期の浮世絵師。「冨嶽三十六景」)
天があと五年の命をくれれば、本物の絵師になれるのに――90年近い生涯の終わりに、北斎はそう言い残したと伝えられる。数千点を描き、名を成し、それでも到達していないと考えていた。この飢えが、彼を最後まで前へ押し出したのだろう。
「わたしは立ち止まりはしない」
── パブロ・ピカソ(スペイン出身の画家・彫刻家。20世紀美術の巨人)
青の時代、バラ色の時代、キュビスム、新古典主義。ピカソは成功した様式を何度も自分で捨てた。うまくいっている型を手放すのは、失敗から立ち直るより難しい。それを生涯くり返した人の言葉である。
自分であることを、貫く
続けるだけでは足りない。何を続けるかを、他人に決めさせないという話をする。
「子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ」
── パブロ・ピカソ(スペイン出身の画家・彫刻家。20世紀美術の巨人)
大人になって失うのは画力ではない。間違うことへの無頓着さである。子どもは下手であることを気に病まずに描き切る。その姿勢を保てるかどうかが分岐点だ、とピカソは言った。
「上手は先が見える。下手はどうなるか分からないので、スケールは大きい。」
── 熊谷守一(洋画家。「画壇の仙人」と呼ばれた)
熟練者は完成形が見えてしまうため、そこを超えられない。未熟な者は自分が何を作るのか分からないぶん、想定を超える可能性が残る。下手であることを、初めて資産として数えた言葉である。
「流行なんて、文字どおり流れていく」
── 岡本太郎(芸術家。大阪万博「太陽の塔」の作者)
流行に合わせると短期的には受け入れられる。ただし流行はその定義上、必ず過ぎ去る。過ぎ去ったあとに残るのは、合わせなかったもののほうだ、という単純な算数を岡本は指摘している。
「正直、自分は日本では常にアウェイですから」
── 村上隆(現代美術家。国際的に活動するアーティスト)
国外で高く評価される一方、国内では毀誉褒貶にさらされ続けた作家の実感である。居心地の悪さを嘆くのではなく、前提として受け入れて燃料に変えている。評価と作品の質は、必ずしも同じ場所にない。
「僕が描く子どもたちは、自分の自画像だったんだ。」
── 奈良美智(美術家。大きな目の子どもの絵で国際的に知られる)
世界中で共感を集めたあの子どもたちは、誰かに向けて設計されたキャラクターではなく、彼自身の内面だった。最も個人的なものが、最も広く届く。この逆説は、表現の世界で何度も確認されている。
「芸術は、盗作であるか革命であるか、そのいずれかだ」
── ポール・ゴーギャン(フランスの画家。タヒチに渡り原初の色彩を描いた)
極端な二分法だが、挑発としては有効である。先人のやり方をなぞるだけなら模倣にすぎず、そこから抜けるには何かを壊すしかない。中間はない、とゴーギャンは言い切った。
痛みが、色に変わるとき
うまくいかない時期をどう扱うか。この章の言葉は、実体験から出ている。
「痛みこそが私の絵の師である」
── フリーダ・カーロ(メキシコの画家。自画像を描き続けた)
18歳のときのバス事故で脊椎と骨盤を損傷し、生涯にわたって数十回の手術を受けた。彼女は痛みを隠す代わりに、それを画面の中央に据えた。避けようのないものは、主題にしてしまうという手がある。
「私は溺れているのではない。泳いでいるのだ」
── フリーダ・カーロ(メキシコの画家。自画像を描き続けた)
同じ水面にいても、溺れていると考えるか泳いでいると考えるかで、次の一かきの意味が変わる。状況を変えられないときに変えられるのは、その状況の呼び名だけだ。
「不遇の時代が長いほど、自分の中に蓄積されるものは大きい。」
── 東山魁夷(日本画家。「道」「緑響く」)
東山が広く認められたのは40代に入ってからだった。それまでの長い無名の期間を、彼は損失ではなく蓄積として数え直している。評価されない時間に何を溜めるかは、自分で決められる。
「私は修理する者の家系に生まれた。蜘蛛は修理する者だ。あなたが蜘蛛の巣に突っ込んで壊しても、蜘蛛は怒らない。ただ糸を紡ぎ、また繕うのだ。」
── ルイーズ・ブルジョワ(フランス出身の彫刻家。巨大な蜘蛛《ママン》の作者)
彼女の両親はタペストリーの修復を生業としていた。巨大な蜘蛛の彫刻《ママン》は、破壊者ではなく修復者としての母の像である。壊されたら怒るのではなく、また繕う。その反復こそが強さだという定義は、静かで揺るがない。
「もし心の中で「お前は画家ではない」という声がするなら、そのときこそ描くんだ。そうすればその声も黙る」
── フィンセント・ファン・ゴッホ(オランダの画家。「ひまわり」「星月夜」)
1883年、弟テオに宛てた手紙の一節である。自分には資格がないという内なる声に、議論で勝つことはできない。黙らせる方法はひとつしかなく、それは実際に手を動かして、その声を事実で否定することだ。
完成という幻想について
最後に、終わり方の話をする。作る人がいちばん苦しむのは、たいていここだ。
「私にとって、一枚の絵は破壊の総和である」
── パブロ・ピカソ(スペイン出身の画家・彫刻家。20世紀美術の巨人)
1935年、批評家クリスチャン・ゼルボスとの対話で語られた言葉。かつての絵画は少しずつ完成へ向けて積み上げられたが、自分の場合は描いては壊し、また描く、とピカソは説明している。作ることと壊すことは別工程ではない。
「作品は決して完成しない。ただ放棄されるだけだ」
── ポール・ヴァレリー(フランスの詩人・批評家)
レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉として広まっているが、出典をたどるとヴァレリーが1933年に書いた文章に行き着く。完璧を待っていると永遠に出せない。どこかで手を離す判断を、彼は「放棄」という身も蓋もない語で呼んだ。
「粘土のいいところは、未完成で終えることができるところです。」
── 奈良美智(美術家。大きな目の子どもの絵で国際的に知られる)
固まりきらない素材は、常に作り直しの余地を残す。完成させなければならないという圧が消えると、手が動きやすくなる。仕上げなくてよい、と自分に許可を出すのも技術のうちだ。
「美は、余分なものの浄化である」
── ミケランジェロ(ルネサンス期の彫刻家・画家。「ダビデ像」「最後の審判」)
彫刻は足す作業ではなく、削る作業である。石の中にすでにある形を、余分な部分を取り除いて現すだけだ、とミケランジェロは考えた。完成とは、加え終えた状態ではなく、削り終えた状態を指すのかもしれない。
38の言葉を並べてみると、時代も国籍も画風もばらばらな彼らが、結局は二つのことしか言っていないのが分かる。よく見ること。そして、やめないこと。技法の話はほとんど出てこない。それは各自が自分の持ち場で解けばいい問題だからだろう。今日いる場所がどこであれ、この二つは今日から始められる。まずは、目の前のものをもう一度よく見るところから。