夜中にふと目が覚めて、まだ起きてもいないことを何度も頭の中で再生してしまう。仕事の失敗、健康のこと、お金のこと、大切な人に何かあったら――。朝になれば「考えすぎだった」と分かるのに、その夜だけは、どうしても手放せない。
不安は、消そうとするほど濃くなります。「考えないようにしよう」と決めた瞬間に、それはもう考えていることになるからです。だから昔の人たちも、不安をゼロにする方法ではなく、不安との距離の取り方のほうを言葉に残しました。
ここでは、不安・心配・恐れをめぐる44の言葉を、7つの角度から並べました。心配事の確率の話から、今日一日に戻る技術、そして恐れながら進むための覚悟まで。眠れない夜に、どれか一つでも引っかかってくれればと思います。
心配事の大半は、起こらない
まずは事実の確認から。あなたが今晩心配していることの多くは、たぶん起きません。それを身をもって知っている人たちの言葉です。
「心配事の8割は起こらない」
── 白石康次郎(海洋冒険家)
単独無寄港無補給の世界一周を成し遂げた人の口から出た数字だからこそ、重みがあります。太平洋のど真ん中で船が壊れたら、助けは来ません。そういう場所に身を置いてきた人でさえ、心配の8割は空振りに終わると言う。安全な部屋で布団にくるまっている私たちの心配なら、なおさらでしょう。
「私がこれまで思い悩んだことのうち、98パーセントは取り越し苦労だった」
── マーク・トウェイン(アメリカの作家)
注目したいのは、この数字が「振り返って」初めて分かるものだということです。渦中にいる本人には、どれが2パーセントでどれが98パーセントか区別できません。だからこそ、過去の自分の的中率を思い出すことに意味があります。去年の今ごろ何を心配していたか、覚えていますか。
「我々は、現実の中よりも想像の中で、より多く苦しんでいる」
── セネカ(古代ローマの哲学者)
『倫理書簡集』の第13書簡、通称「根拠なき恐れについて」に置かれた一節です。ネロ帝の家庭教師を務め、最後は自死を命じられた人物が、二千年前にこう書いていました。人間の設計は、この二千年でほとんど変わっていないということでもあります。
「しなくていい予想で不安になることが一番の無駄」
── みうらじゅん(イラストレーター・エッセイスト)
「予想」という言葉選びが絶妙です。心配は、深刻な顔をした予想にすぎません。天気予報のように外れることもあれば、そもそも誰も頼んでいない予想を勝手に立てていることもある。そう言われると、少し肩の力が抜けます。
「心配ほど無意味なものはない」
── エディージョーンズ(ラグビー指導者)
日本代表を南アフリカ撃破へ導いた指導者の言葉です。ここで大事なのは、彼が誰よりも準備に執着した人だという点でしょう。準備は有意味、心配は無意味。同じ「未来を考える行為」でも、手が動いているかどうかで価値がまるで違います。
「人生は、けちな心配事ばかりしているのには短かすぎる。」
── チャールズ・キングズリ(イギリスの作家・牧師)
「けちな」という形容が効いています。人生という限られた時間に、どれだけの割合を小さな心配に配分するか。時間の使い方の問題として捉え直すと、心配は突然もったいないものに見えてきます。
不安は、頭の中で作られている
不安の材料は外の世界にあるようでいて、実際には自分の内側で組み立てられています。そのことを言い当てた言葉を集めました。
「人を悩ますものは、出来事そのものではなく、その出来事についてのその人の考えである」
── エピクテトス(古代ローマのストア派哲学者)
現代の認知行動療法の源流とされる考え方です。奴隷の身分から哲学者になった人物が、出来事と解釈を切り離しました。上司の短い返信そのものは、ただの文字列です。そこに「嫌われたのかもしれない」と付け加えたのは自分だ、と気づくところから始まります。
「不安も悩みも実は自分の心が作り出している」
── 枡野俊明(禅僧・庭園デザイナー)
禅の視点から見れば、不安は外から降ってくる雨ではなく、自分の中で組み立てた構造物です。落ち込む話に聞こえるかもしれませんが、逆です。自分が作ったものなら、自分で解体できる余地がある、ということでもあります。
「恐怖の大半は「自分」が作り出している」
── 小野田寛郎(元陸軍少尉)
戦争が終わったことを知らないまま、三十年近くフィリピンの密林で任務を続けた人の言葉です。実際に命の危険と隣り合わせだった人が、それでも恐怖の大半は自前だったと述懐する。この落差は、私たちの日常の恐怖にも同じ問いを投げかけます。
「不安とは、失敗を前もって経験することだ。」
── セス・ゴーディン(アメリカのマーケター・作家)
定義の切れ味が見事です。まだ起きていない失敗の痛みを、前払いで味わっている。しかも、その失敗が起きなければ払い戻しはありません。起きた場合でも、二度払うことになります。どちらに転んでも損だと分かると、少し手放しやすくなります。
「私がもっとも恐れているもの、それは恐怖そのものである」
── モンテーニュ(フランスの思想家)
『エセー』第1巻の「恐怖について」に置かれた一文です。恐怖には二階建ての構造があります。一階は目の前の出来事への恐れ、二階は「怖がってしまう自分」への恐れ。厄介なのはいつも二階のほうで、そちらが人を動けなくします。
「人間が根源的であればあるほど、不安はそれだけ深い。」
── キルケゴール(デンマークの哲学者)
不安を欠陥として扱わなかった数少ない哲学者です。彼にとって不安は、人間が自由であり、可能性を持っていることの裏返しでした。選択肢がない人は不安になりません。眠れないほど不安なのは、あなたにまだ選べる道があるからだ、という読み方もできます。
明日を手放し、今日に戻る
不安のほとんどは未来にあります。ならば、引き受ける時間の範囲を今日一日に区切ってしまう――古今の賢人が繰り返し勧めてきた方法です。
「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」
── 新約聖書(マタイによる福音書6章34節)
山上の説教の締めくくりに置かれた一節です。二千年にわたって読み継がれてきたのは、これが宗教的な戒めである以前に、きわめて実務的な助言だからでしょう。今日の分の苦労だけでも、すでに十分な量がある。それ以上を今日の自分に積むな、という話です。
「過去と未来を鉄の扉で閉ざせ。今日一日の枠の中で生きよう」
── デール・カーネギー(アメリカの著述家)
カーネギーはこの発想を、船の防水区画にたとえました。船は隔壁で区切られているから、一箇所浸水しても沈まない。人生も同じように区切れ、というわけです。今日という区画の扉を閉めてしまえば、昨日の後悔も明日の不安も流れ込んできません。
「「今日一日の枠の中で生きる」習慣を身につけるように心がけるべきでしょう。」
── ウイリアム・オスラー(カナダの医学者)
カーネギーが引いた元の言葉が、この医学者のものです。彼は学生たちに向けてこれを説きました。試験も研修も、遠くを見れば果てしない。けれど今日一日分の勉強なら、たいてい終えられる。受験生にも、療養中の人にも、そのまま効く処方箋です。
「未来のことで心を乱すな。そこへ行かねばならぬときが来たら、いま用いているのと同じ理性を携えて向かえばよい」
── マルクス・アウレリウス(ローマ皇帝・ストア派哲学者)
『自省録』第7巻の言葉です。私たちが未来を恐れるとき、なぜか「そのときの自分は丸腰だ」と想定してしまいます。でも実際には、今この文章を読んでいる理性を、そのまま持って行けるのです。未来の自分は、思っているより無力ではありません。
「今日の務めを果たすようにせよ。明日のことは明日が心配する」
── エドガー・ケイシー(アメリカの神秘家)
心配を明日の自分に外注してしまう、という軽やかな発想です。明日の自分にも心配する権利はあるのだから、今日のうちに横取りしなくていい。そう考えると、寝る前の反芻を少しだけ止めやすくなります。
「今日一日、怒(いか)らず・恐れず・悲しまず、正直・親切・愉快に生きよ」
── 中村天風(思想家・実業家)
天風自身が結核を患い、生死をさまよった末にたどり着いた誓いの言葉です。「一生」ではなく「今日一日」と区切ってあるところに実用性があります。守れなかった日があっても、翌朝またゼロから誓い直せる設計になっています。
「明日のことはわからない、未来のことなどもっとわからない。どう転んでも対処できるように 今日を整えるだけ」
── 大愚和尚(僧侶)
予測から準備への転換です。未来を当てにいくと、外れるたびに不安が増えます。どう転んでもいいように今日の体調と暮らしを整えておけば、当たり外れは問題でなくなる。不安への対処を、予測の精度ではなく足場の強さで考える発想です。
考えすぎる夜のために
同じことを何周も考えてしまうとき、思考を切り上げるための言葉を置いておきます。
「もし解決できるのなら、嘆く理由がどこにあろう。もし解決できないのなら、嘆いて何の役に立とう」
── シャーンティデーヴァ(8世紀インドの仏教僧)
『入菩提行論』第6章の一節で、ダライ・ラマ14世が困難に直面したとき立ち返る章としても知られています。悩みを二つに割って、どちらの場合も嘆きは不要だと示す。冷たい理屈のようでいて、実際に頭の中で唱えてみると、驚くほどよく効きます。
「明日のことは配慮すべきである。細心の注意を払って計画し、準備すべきである。だが、心配するには及ばない」
── デール・カーネギー(アメリカの著述家)
準備と心配の線引きが、はっきり言葉にされています。同じ未来を見ていても、手帳を開いてやることを書き出しているなら準備、布団の中で同じ場面を繰り返し再生しているなら心配。体が動いているかどうかが、見分け方です。
「いらぬ取り越し苦労をするよりも、前もって考えたり計画するほうが大事だ」
── ウィンストン・チャーチル(イギリス元首相)
国の存亡がかかった状況を指揮した人の、実務感覚がにじむ言葉です。最悪の事態を想定すること自体は否定していません。否定しているのは、想定したあと何もしないことのほう。悲観は計画のために使え、ということでしょう。
「考えすぎると、成し遂げることが不可能になる」
── ブルース・リー(俳優・武道家)
身体で物事を覚えてきた人ならではの指摘です。動きの最中に「これで合っているか」と考えた瞬間、動きは崩れます。逆に言えば、思考が止まらないときは、まず体を動かしてしまうほうが早い。掃除でも散歩でも構いません。
「いろいろ考えすぎても絶対駄目だと思う。いい演技をしたときは考えすぎていない」
── 浅田真央(フィギュアスケート選手)
大舞台で滑り続けた本人による、貴重な証言です。良い結果が出たときほど、頭の中は静かだった。準備を尽くしたあとは、考えることが逆に邪魔になる局面がある――本番を控えた人には、そのまま使える実感です。
「答えがないようなことを延々と考えすぎて、迷いが生まれているときにどう切り替えるか。そういうときに僕は身近なところにいる「頑張っている人」を目にするようにしている」
── 長谷部誠(元サッカー日本代表主将)
抽象論ではなく、具体的な手順が示されています。答えの出ない問いから抜けるには、別の刺激で回路を上書きするしかない。しかも彼が選んだのは、励ましの言葉ではなく「黙々とやっている人の姿」でした。真似しやすい方法です。
不安のまま、動きだす
不安が消えてから動こうとすると、永遠に動けません。順番を入れ替えた人たちの言葉です。
「漠然とした不安は、立ち止まらないことで払拭される」
── 羽生善治(将棋棋士)
何時間も盤の前で考え込む職業の人が「立ち止まるな」と言うところに、この言葉の面白さがあります。考えることと、立ち止まることは違う。手が指せないほどの漠然とした不安には、考えるより先に一手進めるほうが効く、ということでしょう。
「どんな不安も着実に一つずつ潰していくしかない」
── ショックアイ(湘南乃風のメンバー)
不安は、まとめて抱えているうちは無限に見えます。紙に書き出して一つずつ番号を振ると、たいてい五つか六つで打ち止めになる。潰していく対象に変えた時点で、不安は有限のリストになります。
「何もしないと人間色んなことを考えるから不安にもなる」
── 田名網敬一(グラフィックデザイナー・現代美術家)
八十代まで制作を続けた人の実感です。手を止めた時間に、思考は隙間を埋めようとして不安を生産し始める。不安だから動けないのではなく、動いていないから不安が湧く。因果が逆かもしれない、という指摘です。
「出来るかどうかの不安を考えたらキリがない」
── 森祇晶(元プロ野球監督)
采配は待ってくれません。できるかどうかを検討し尽くしてから決めるのではなく、決めてから何とかする。責任ある立場に立った人ほど、この順序で動いています。完璧な確信を待つ癖がある人には、効く一言です。
「不安からは何も生まれない。続ければ必ず良くなる」
── 明石家さんま(お笑いタレント)
四十年以上第一線に立ち続けた人が言うと、説得力の質が変わります。前半で不安の生産性のなさを切り捨て、後半で継続だけを残す。シンプルすぎるほどシンプルですが、長くやってきた人の結論はたいていこうなります。
「心配は、小さなものごとに大きな影を落とす」
── 作者不明
スウェーデンのことわざとして広く伝えられている一節です。影の大きさを決めるのは、物の大きさではなく光源の位置でした。同じ出来事でも、心配という低い角度から照らせば影は伸びる。見る位置を変えれば影は縮む、という話でもあります。
恐れながら、進んでいい
恐怖をなくしてから前に出た人は、おそらく一人もいません。
「私は学んだ。勇気とは恐怖心の欠落ではなく、それに打ち勝つところにあるのだ」
── ネルソン・マンデラ(南アフリカ元大統領)
「私は学んだ」という書き出しが重要です。最初から勇敢だったのではなく、27年の獄中生活を通して後から身につけたものだと明かしている。勇気が才能ではなく学習可能なものだとすれば、今の自分にも余地があります。
「勇気とは、恐れを克服することではなく、恐れにもかかわらず行動することだ」
── スーザン・ソンタグ(アメリカの作家・批評家)
克服を前提から外したところに、この定義のやさしさがあります。怖いまま出社する、怖いまま電話をかける。それはもう勇気の実行であって、恐怖が残っていることは失敗の証拠ではありません。
「怖いから立ち向かうんです」
── 久米宏(アナウンサー・司会者)
生放送という、逃げ場のない場所に何十年も立ち続けた人の言葉です。怖さを、避ける理由ではなく向かう理由に読み替えている。短い一文ですが、恐怖と行動の関係を反転させる力があります。
「不安ってさ、前に進もうと思っている時にあると思うんだ」
── Taka(ONE OK ROCKのボーカル)
不安を、進行方向を示すサインとして読む視点です。後ろに下がっているときや、同じ場所にとどまっているときは、不安すら湧きません。今こわいのは、今動こうとしているからだ――そう考えられると、不安の意味が変わります。
「不安や恐怖を自信に、活力に変えられる。」
── 小坂 菜緒(日向坂46のメンバー)
「変えられる」と言い切っているところがいい。不安は燃料になりうるけれど、それは自動的に起きることではなく、変換という作業を経て初めて起きる。技術として捉えれば、練習して上手くなる余地があります。
「一般的に、人生の大きな過ちは、あまりに多くの恐れから生じる」
── デイヴィッド・ヒューム(スコットランドの哲学者)
慎重であることが、最大のリスクになる場合がある。挑戦して失敗した記憶より、恐れて選ばなかった道のほうが長く尾を引く――多くの人が晩年に語ることを、この哲学者は早々に言い当てていました。
不安と共に生きる作法
最後は、不安を抱えたまま日々を送るための具体的な作法を。
「心配に対する最上の対策は忍耐と勇気である」
── カール・ヒルティ(スイスの法学者・思想家)
消す方法でも忘れる方法でもなく、耐える力と進む力を挙げています。心配は薬で消える種類のものではなく、雨のように通り過ぎるのを待つもの。そのあいだ濡れていられるかどうかが分かれ目だ、という現実的な見方です。
「辛い時、不安な時は誰かにそれを話せば楽になる」
── 西城秀樹(歌手)
もっとも実行しやすい処方箋かもしれません。頭の中にあるうちは無限に膨らむものが、言葉にして外に出した途端、輪郭のある有限なものに変わる。解決しなくていいのです。ただ口に出すだけで、量が減ります。
「悩みから救われるにはどうしたらいいでしょうという質問をよく受けます。救われる、救われないは、自分の心の問題です。とらわれない心になれば救われます」
── 瀬戸内寂聴(作家・僧侶)
焦点は「とらわれ」の一語にあります。悩みそのものより、悩みから目を離せなくなっている状態のほうが人を苦しめる。握っている手をゆるめる、という感覚に近い教えです。
「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候 これはこれ災難をのがるる妙法にて候」
── 良寛(江戸時代の禅僧)
1828年の三条地震で子を亡くした知人、山田杜皋に宛てた見舞状の一節です。冷たい言葉に見えて、これは災難を避ける「妙法」として書かれています。抗いようのないものに抗おうとすることが、苦しみを二重にする。受け入れることが、結果として災難から逃れる道になる――見舞状という文脈を知ると、重さが変わります。
「大丈夫だ、心配するな、なんとかなる」
── 一休宗純(室町時代の禅僧)
臨終の際、弟子に託した封書にこう書かれていたという逸話で知られる言葉です。真偽はともかく、これほど長く語り継がれてきたのは、人がいつの時代もこの一言を必要としてきたからでしょう。理屈ではなく、声の調子として効く言葉です。
「心配は、明日の悲しみを取り去ってはくれない。ただ、今日の力を奪うだけだ」
── コリー・テン・ブーム(オランダの著述家)
ユダヤ人をかくまい、自身も強制収容所に送られて生還した人の言葉です。心配の収支を、はっきり書き出しています。明日の悲しみは一グラムも減らない。減るのは今日の力だけ。これ以上ないほど分の悪い取引だと分かります。
「心配する事が多いのは、いまを懸命に生きていないから」
── 石川洋(托鉢者・著述家)
厳しい一言ですが、裏を返せば処方箋でもあります。目の前のことに没頭している時間、人は心配できません。心配が増えてきたと感じたら、それは「今」が手薄になっているサインだと読める。最後に、私たちを今日へ連れ戻してくれる言葉です。
44の言葉を並べてみて、共通していたのは「不安を消す方法」がどこにも書かれていなかったことです。誰も、不安のない人生を約束していません。代わりに全員が語っていたのは、不安の置き場所を変えること――未来から今日へ、頭の中から紙の上へ、一人の胸の内から誰かとの会話へ。今夜また眠れなくなったら、明日の分まで引き受けるのをやめて、今日一日分だけを抱えて横になってみてください。それだけで、荷物はずいぶん軽くなります。