「少年合唱団、堀音、市立芸大と歩み、京響でもずいぶん仕事をさせてもらいました。海外に行かなくても音楽を専門的に学べる場がすべて京都にある。これはすごいことですよね。しかも市立芸大には、戦後の大変な時期に音楽学部ができています」
佐渡裕
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「少年合唱団、堀音、市立芸大と歩み、京響でもずいぶん仕事をさせてもらいました。海外に行かなくても音楽を専門的に学べる場がすべて京都にある。これはすごいことですよね。しかも市立芸大には、戦後の大変な時期に音楽学部ができています」
佐渡裕
「ヘッドフォンやスピーカーと違い、実際のホールでの音というのはすべての感覚を刺激する。演奏家と聴衆によって「気」が充満し、その場でしか起こりえない「何か」を全員で体感することができる」
佐渡裕
「小澤征爾という人がいなかったら、日本人である自分が指揮者になりたいとは思わなかったかもしれないので、その存在はすごく大きかったです」
佐渡裕
「京都芸大は少人数制の学校で、学生が先生と1対1で指導を受けることができる環境がある。貴重な環境であることに気づいてやっていかないといけない」
佐渡裕
「私が小学校を卒業した時、生徒が皆で文集を作りました。そこに自分が将来何になりたいかと書くコーナーがありましたが、私は“ベルリン・フィルの指揮者になりたいと書きました。今年50歳になりましたが、40年経った今、夢が叶ったことになります」
佐渡裕
「僕自身、挫折も失敗もたくさんしてきましたが、今になって一つ言えるのは、子どもの時に夢を文書にして残すということは重要なことだったということですね」
佐渡裕
「大学を卒業する頃には、とにかく指揮を振って食べていく、というのが最大の夢になっていました」
佐渡裕
「悲しいかな、人は過ちを繰り返す。だからこそ、それぞれが世の中のことをしっかりみて生きていくんだ、と締め括る。バーンスタインが音楽へ込めた、人類の永遠のテーマに胸打たれ、最後の「我らの畑を耕そう」という合唱曲は、とてつもない感動をもたらしてくれるのです」
佐渡裕
「若い指揮者は当然バーンスタインに会いたい、彼のもとで勉強したい、仕事をもらいたいと思うわけです。そういう人たちに対して、楽屋の扉はいつも開いていました」
佐渡裕
「海に向かって演奏するというのは、たくさんの亡くなった霊に対して、あるいは自然の神に対して、自分たちは演奏したい、鎮まってほしいという思い。同時に、その場に集まった人たちにとっては復興を誓う場になったと思います」
佐渡裕
「自分の中でこういうものが作りたいと思っても、自分が音を出しているわけでもないし、自分が音を作り出しているわけでもないんですよね」
佐渡裕
「指揮者みたいな仕事は保障されていないですから、本当に世界中のオーケストラを指揮してしますが、自分でラーメン屋さんの屋台を引っ張って世界中を回っているようなもので、うちのラーメン食ってくれと、うまかったらまた食いに来てくれと」
佐渡裕