「最低1年に1回は、大好きな祖母に会いにロシアへ帰国します。食べ物に関しては、幸い母が料理が得意であるため、一緒にロシア料理を作って楽しんでいます」
マリア・シャラポワ
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「最低1年に1回は、大好きな祖母に会いにロシアへ帰国します。食べ物に関しては、幸い母が料理が得意であるため、一緒にロシア料理を作って楽しんでいます」
マリア・シャラポワ
「自分自身についてしかお話することができませんが、私の人生はとても恵まれていると感じています。ですから、恵まれない人々と分かち合うことが公平なことだと思っています。自分自身はとても幸運な人間だと感じていますので、資金援助をしたり、知名度を活かして人々の手助けをしたりしたいです」
マリア・シャラポワ
「(50歳になった時どのようになっていると思いますか?という質問の答え)まったくわかりません。明日何をしているかさえわからないのですから。皆さんは、私の年齢がその半分でしかないことを忘れがちですが・・・今言えることは、幸せで健康、そして好きなことをしていられたらと思います」
マリア・シャラポワ
「(錦織圭選手について)ケイはすばらしいプレーヤーであり、素敵な人です。日本のテニスファンの皆様にとっても、応援できる偉大なプレーヤーが存在することは、非常にすばらしいことだと思います」
マリア・シャラポワ
「17歳の時にウィンブルドンで優勝したことが最大の誇りです。ついに長年の努力と犠牲が報われた時でした。ごく最近では、肩の手術をした後にグランドスラム(ローランギャロス)で優勝できたことが、私にとってさらに大きな誇りとなっています。次の目標は、より多くのトーナメントで勝利を飾り、女子テニス協会(WTA)の世界ランキング第1位に返り咲くこと、そしてテニスへの情熱を持ち続けながら健康でいることです」
マリア・シャラポワ
「コーチについて練習し始めてから、まわりの人たちが両親に、私には才能があると言い始めたのです。6歳の時、モスクワのテニスクリニックでマルチナ・ナブラチロワが私の才能を見出してくださり、その時から本格的な取り組みが始まりました。夢を追いかけるために、両親が私に対してあらゆることをしてくれたことに非常に感謝しています」
マリア・シャラポワ
「私は常に競争することが好きでした。いつも試合を好んでいました。小さい頃からプロテニスプレーヤーになりたいと思い、その目標に向かって一生懸命がんばりました。太陽が照りつける中、何時間も練習したり、右打ちでプレーすべきか、左打ちですべきか、考え続けたりしました」
マリア・シャラポワ
「(婚約解消に関するコメント)なかなか会えなかったのに、彼は10カ月で一度も(ロサンゼルスの)自宅に戻らず、難しかった」
マリア・シャラポワ
「(サーシャ・ブヤチッチ氏について)お互いに思い切った決断だった。素晴らしい時間を共有したし、今でも友人として連絡を取っている」
マリア・シャラポワ
「私の人生に選択肢はありませんでした。でも両親がリスクを冒してくれました。私が強い心を持っていられるのはそんな両親に育ててもらったから。感謝でいっぱいです」
マリア・シャラポワ
「(東日本大震災時に日本に向けて贈ったメーセッジ)大丈夫!私はチェルノブイリの近くに住んでいた両親から生まれたのにこんなに元気よ」
マリア・シャラポワ
「14年間がどれだけ自分にとって幸せな時間だったかということを今、噛みしめている」
宮里藍