「厳かで私たちが神でもなければ何でもないと、人間の命のことをしているのも人間なんだと、だから救えない時もあるし医学の限界もあるし、看護の限界もあるし、様々なものに限界がある、でもそういった中で精一杯のことをするのが、その命に対する医療の重要な在り方なんだと思った時に、命の事を粗末に感じないというか厳かなものであるということですね」
北村愛子の他の名言
「責任を分かって行動に移す」
「勇気をもつこと」
「(30代でなぜ現場に戻った?)私には何かできるかもしれない、あるいはできなくても、その場にいることが重要なんだと思ったから」
「限界を作っていたのは私だと」
「(看護師になって4年目に6歳の少女の死を目の当たりにした際)言葉にできないくらい辛かったのかもしれません」
「(看護師になって4年目に6歳の少女の死を目の当たりにした際)何もできないという感覚ですね。元々何かができるという強い感覚があったわけではないと思います。救いたいのに救えない事もあるんだと」
「看護には力がある」
「(患者様に対して)一緒に元気になろうね」
「(30代に高校の同級生が亡くなった際)友達は死んで私はまだ生きてるって事実だけがよく分かると。あとはもうどうやって生きたらいいのかなぁって・・。その時にもう思ったのがクリティカルケアの現場にもう一度戻りたいと思いました。私が一番最初に看護って何だろう?と思ったし、看護の仕事って何だろうって問いかけた場所に戻ろうって、その時思いました」
「(看護師になって4年目に6歳の少女の死を目の当たりにして)どういう風に医療ってあればいいのかな?看護ってどうあったらいいのかなって頭の中が同じように、ぐるぐるぐるぐる回るような感じですね」
関連する名言
「私は誰とも争わなかった。争うに値する者などいなかったから。自然を愛し、自然の次に芸術を愛した。人生の火にかざして両手を温めた。その火は今、衰えてゆく。私は旅立つ用意ができている。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「死が私の上に立ち、耳元で何かをささやく。その奇妙な言葉について私に分かるのは、そこに恐れの言葉など一言もない、ということだけだ。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「滅びたイリオンを越えてヘレネは生き、アルケスティスは黄泉の国から立ち上がる。彼女たちを呼び戻すのは詩であり、死すべき乙女たちに不滅の若さを与えるのも詩である。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「名声の門と墓の門は、同じ楣(まぐさ)の下に並んで立っている。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「一枚、また一枚と葉が落ち、一輪、また一輪と花が散る。寒い時節に散るものも、暖かい時節に散るものもある。ひとしく咲き、ひとしく散り、それらを育てた大地がすべてを迎え入れる。大地の賢い子である私たちは、命が尽きたとき、その懐に身を沈めることにもっと満足してよいのではないか。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「死は姿こそ見えないが、すぐそばにいて、私の八十歳を惜しんでいる。私はこの最後の歳月をそっくり彼にくれてやってもいい、五十年前に過ぎ去ったあの一年と引き換えに。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「批評家ぶった口がやかましいこの世でささやかれるあらゆる「きまり文句」のなかで、偽善者のそれが最悪かもしれないが、いちばん苦痛なのは批評のきまり文句だ。」
— ローレンス・スターン
「時はあまりに速く過ぎ去る。私が一字を記すたびに、人生がどれほどの速さでペンのあとを追ってくるかを思い知らされる。」
— ローレンス・スターン
「脱線は、まぎれもなく陽光だ。脱線こそ読書の命であり魂である。」
— ローレンス・スターン
「人間の身体と精神は、上着とその裏地のようなものだ。一方をしわくちゃにすれば、もう一方もしわくちゃになる。」
— ローレンス・スターン