「歌というのは、一ヶ所(たまに二ヶ所)だけ、聴かせどころ、ピークの部分があります。その部分を感情を込めて思いっきり歌い上げるためには、その前後の箇所を丁寧に、語るように歌い込む。このメリハリが“聴かせるのです」
北島三郎の他の名言
「わが家は、私の地方公演が、一年の半分以上も占めるため、普通の家庭よりずっと親子のスキンシップのすくない家庭です。そこで私はある日、地方へ出かけるときと帰ったときは、かならず妻も含め家族の一人一人としっかり握手しようと決心をして、欠かさず実行してきました」
「私は自分の歌を唄うとき、“隠し味を一ヶ所か二ヶ所、必ず入れておきます。私にしか出せない味を伏せてあるのです」
「東京近郊で私の公演がある日は、カミさんは義母や弟、妹を連れて「サブちゃん!」を連呼する応援役。声援ばかりかテープまで投げつけてきます。つまりサクラですね。一階の前のほうで叫んでテープを投げたかと思うと、今度は二階席から「サブちゃん!」。いやはや実に頼もしい“私設応援団長でした」
「拍手が鳴り止み会場が静かになると、いつものように自然に両手が合わさり、祈りの姿になりました。右の手は、私を産んでくれた父と母への愛、左の手は、私を励まし支えこれまで育てて下さったファンの皆さまへの愛、なのです」
「お茶には茶道、生け花には華道、書には書道というものがあります。日本人の心の歌、艶歌に「歌道」があったっていいのではないでしょうか」
「昭和二十九年春。青雲の志を抱いて青函連絡船に乗ったあの日こそ、歌手北島三郎の「出発(たびだち)の日」であり、自分一人の力で働き食べていくことを決意した、いわば親鳥からの「巣立ちの日」だったのです」
「私を支えてくれる、“縁の下の力持ち、一騎当千のスタッフの心からの協力があってこそ、北島三郎の歌と舞台は完成するのです」
「長年歌手として舞台に立っていますと、その日その日の舞台の雰囲気が手にとるように、わかるようになります。拍手の仕方、掛声の飛び方、お客様の体の揺れ方、それやこれやで、どれだけ熱心に聴いて下さっているかがわかるのです」
「最初の海外公演は昭和51年5月のロサンゼルス・サンフランシスコ公演でした。私は外国へ行っても、英語で歌ったりはしません。日本の舞台とまったく同じ、すべて“北島三郎流」
「私が上京すると言った時、母は猛反対。すると父は「俺は長男として長い間したいこともできず、責任ばかり負わされてきた。穣には好きなことをさせてやりたい」と説得したそうです。ただ父は私にこう言いました。「東京へ行って困って帰ってきても、もうお前の田畑はないぞ。それだけは覚悟して行け」」
関連する名言
「あいつにとって代わってやろう。」
— 項羽
「文字など、自分の名前が書ければ十分だ。剣も一人を相手にするだけで学ぶに足りない。学ぶなら万人を相手にする術を学びたい。」
— 項羽
「天が私を滅ぼすのだ。どうして渡る必要があろうか。」
— 項羽
「天が私を滅ぼすのであって、戦の罪ではない。」
— 項羽
「富貴になって故郷に帰らないのは、錦を着て夜道を行くようなものだ。誰がそれを知ってくれようか。」
— 項羽
「たとえ江東の父兄が哀れんで私を王にしてくれたとしても、どの面下げて彼らに会えようか。」
— 項羽
「聞けば漢は我が首に千金と万戸の邑を懸けているという。お前に恩をくれてやろう。」
— 項羽
「力は山を抜き、気は世を蓋う。時に利あらず、騅逝かず。」
— 項羽
「君主たる者の道は、まず民を養うことを第一に考えなければならない。」
— 李世民
「民を損なって自分の身を養うのは、自分の股の肉を割いて腹を満たすようなもので、腹が満ちても身は滅びる。」
— 李世民