「いく度か出会った危機・困難を結局切り抜け得たのは闘志のおかげだ」
永野重雄の他の名言
「(社長秘書課長への言葉)キミがオレの秘書課長をやっていると、いろいろ周りからのやっかみや悪口が多くなるだろう。しかし、ガタガタすることはない。オレはいかなるときでも、キミを信じているからな」
「宮城の石垣を見てごらんなさい。大きく立派な石ばかりではありません。小石や形の悪いものなど、いろいろなものが混じってはじめて、ああいう美しい石垣ができるのです。会社も同様で、秀才ばかり採用していたら、会社はたちまち行き詰まってしまいます。本当に会社で欲しい人材は、秀才よりも、むしろ平凡な人たちなのです」
「いい商品は、必ず世の中は気がつく。それまでの辛抱だ」
「(広畑製鉄所を)取れなかったら腹を切る。日本経済の将来のため、製鉄業を外国資本に任せられるか」
「人は後ろから声をかけられると、相手に親しみを憶えるものらしい」
「私は、経営というのは簡単で一時的に相手の信頼を得たりするような便利な言葉を使っても、これは永い目で見ると押し通せるものではありません。やはり、永い時間に耐えるものは「真実」、「誠実」これにつきますね」
「ロビンソン・クルーソーのように一人島で暮らす場合、せいぜい魚を何匹釣ったといった程度ですが、社会というのは人間の集団です。その人間の集団の中で仕事をしようとすれば、大勢の仲間が協力して初めて5倍、10倍の力になる。その原動力はともに心の通い合う人間の「友愛」なんですね。いまご紹介があったように、私が引き受けた会社は、第一次大戦で破産した会社ですからね。社員は13名。文字通りの中小企業なんですよ」
「昔はこの人間社会に特別な秘訣がありませんでしたね。自己をあるがままにさらけ出し、相互に信頼を勝ち取る。あとは各論の問題ですからね」
「人間というのはお互いを知ることから始まるんですね。企業でも人間の集団ですから同じなんです。ただ、これが千人、万人になってくると、なかなか記憶できない。ところが、300人ぐらいだと、だいたい覚えられるんですよ。この社員は甘党か辛党か、家族構成はどうかとかね。社員の方も、親近感が出てくるんですよ」
「やはり、人間同士を知るというのは、300人以下ですね。いまさら、軍隊の話もなんですが、例をとりますと、中隊単位です。隊長がおやじであとは家族、この範囲だと一人ひとりの気分までわかる。趣味から家族とか親戚を含めてね・・・・。この範囲なら単位が固いからその単位を集めていけば、これが300倍になっても強いのです」
関連する名言
「仕事に困難や失敗はつきものだ。そのようなときに、困難に敢然と挑戦し、失敗に屈せず、再起させるものが執念である。できないのは能力の限界だからではない。執念が欠如しているのだ」
— 土光敏夫
「教育とは、人々が知らないことを教えるのではなく、実例によって道を拓いてやる不断の困難な仕事である」
— ジョン・ラスキン
「困難にぶつかると、読書から得た名経営者の一言一言が私の胸に突き刺さった。本がどれだけ私を励まし助けてくれたことかと思う」
— 米山稔
「その政権が、どれだけのことができるかというのは、成立したときのスタートダッシュの勢いで決まるものなんです。困難だが重要な2、3の問題を、就任当初の短時日に片づけて、その実行力を国民や野党に示さなければならない」
— 中曽根康弘
「困難の場合および希望が小さいときには、最も大胆な助力がいちばん安全である。」
— ティトゥス・リウィウス
「諦めることはとても簡単なこと。人生の中で遭遇するさまざまな困難。「自分には無理だ。もういいや」と諦めてしまえばきっと楽になれるのでしょう。でもそれは山を目の前にして登ろうとする努力もせずふもとでただウロウロしているだけ。それでは人生はつまらない」
— 三浦雄一郎
「何をやろうとしても、あなたは間違っていると批判する者がいる。その批判が正しいと思わせる多くの困難がたちはだかる。計画を描き、最後まで実行するには、勇気がいる」
— ラルフ・ウォルド・エマーソン
「企業が困難に直面するのは、いつでもその企業自身に原因があります。もちろん経済環境も無関係ではありませんが、問題の根源は常に企業自身にあるのです。日産の業績が傾いたのは日本の景気後退のせいでも、競争相手が強すぎたからでもありません。その原因は社内にあったのです。企業を弱体化させる因子は、必ずといっていいほど内部の構造にあります」
— カルロス・ゴーン
「人のために生きる時、人生はより困難になる。しかし、より豊かで幸せにもなれる」
— アルベルト・シュバイツァー
「倹約は義であり、公のためにするものだ。衣食財物を倹約して貯蓄し、仲間の困難を救うために使い、貧しい人に施すために使うものだ。ケチは利益を考えることであり私事である。人に与える衣食財物を惜しみ、欲深く人から奪い、使い果たすか、貯め込んだまま死ぬかのどちらかである」
— 吉田松陰