「世界一のマッチの条件とは何か?必ず火がつくとか軸が折れないなんていうのは、これはマッチの最低条件だから勘定にはいらない。世界一のマッチの条件は、擦ったとき、においがしないこと、そして、頭が落ちないことなんですねえ」
伊丹十三の他の名言
「男のお洒落というのは、本筋、でなくてはならぬ。スタンダードでなくてはならぬ。場違いであってはならぬ、のです」
「肝腎なのは、ともかくも一冊の本を読みとおすということであって、理解なぞ二の次でよろしい。一冊の本を読みとおしたものだけが、二冊目に取りかかれる」
「古本屋で洋書をぱらぱらめくってみると、よく、第一ページだけ丹念に辞書を引いたらしく、ぎっしりと書き込みがあり、二ページ以下、全く新品同様という本がある。あれは悲しい」
「僕は葬式の中に映画を見ちゃったんですね。葬式という形で、映画が丸ごと天から降ってきた、という気がしました」
「押し入れや台所の飾りつけの時、置かれている箱類や商品類の文字を徹底的に排除している自分に気づく。文字が映るとどうしても目がそこへ引きつけられる。それを避けるためなのだが、それよりもなによりも、文字たちの醜さが許し難いのだ。これも病気である」
「「父親」とは何者か?自分の母親と切れている者、従って相手を「母親」として扱わぬ者、死んだ父親の言葉を子に伝える者、自分で耐えるべき不快に自分で耐えることを知っており、それを子に伝える人である」
「一体、男の誇りはどこにあるのか。男ならやせ我慢で押し通すべきではないのか。忍の一字、これがダンディズムというものではないか」
「それにしても微量のものの表情は難しい。しみじみとしあわせな表情、ほのかなしあわせ、かすかな笑み、わずかな老け、人にわからぬ程度のほろ酔い、等。原節子は偉大だった」
「今日はやや疲れ気味。こういう日は体がカット数を増やしたがらず、あらかじめ作ったカット割りを現場で壊し、長いカットに単純化してゆく。コンテは必ずしも理屈ではなく、多分に生理的なものであるようだ」
「テーマをたてるということは実に厳しいことなのです。一つのテーマをたてるということは、当然なにかの犠牲を伴うわけだ」
関連する名言
「私は誰とも争わなかった。争うに値する者などいなかったから。自然を愛し、自然の次に芸術を愛した。人生の火にかざして両手を温めた。その火は今、衰えてゆく。私は旅立つ用意ができている。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「死が私の上に立ち、耳元で何かをささやく。その奇妙な言葉について私に分かるのは、そこに恐れの言葉など一言もない、ということだけだ。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「滅びたイリオンを越えてヘレネは生き、アルケスティスは黄泉の国から立ち上がる。彼女たちを呼び戻すのは詩であり、死すべき乙女たちに不滅の若さを与えるのも詩である。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「名声の門と墓の門は、同じ楣(まぐさ)の下に並んで立っている。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「一枚、また一枚と葉が落ち、一輪、また一輪と花が散る。寒い時節に散るものも、暖かい時節に散るものもある。ひとしく咲き、ひとしく散り、それらを育てた大地がすべてを迎え入れる。大地の賢い子である私たちは、命が尽きたとき、その懐に身を沈めることにもっと満足してよいのではないか。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「死は姿こそ見えないが、すぐそばにいて、私の八十歳を惜しんでいる。私はこの最後の歳月をそっくり彼にくれてやってもいい、五十年前に過ぎ去ったあの一年と引き換えに。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「批評家ぶった口がやかましいこの世でささやかれるあらゆる「きまり文句」のなかで、偽善者のそれが最悪かもしれないが、いちばん苦痛なのは批評のきまり文句だ。」
— ローレンス・スターン
「時はあまりに速く過ぎ去る。私が一字を記すたびに、人生がどれほどの速さでペンのあとを追ってくるかを思い知らされる。」
— ローレンス・スターン
「脱線は、まぎれもなく陽光だ。脱線こそ読書の命であり魂である。」
— ローレンス・スターン
「人間の身体と精神は、上着とその裏地のようなものだ。一方をしわくちゃにすれば、もう一方もしわくちゃになる。」
— ローレンス・スターン