「サディズム的人間は、彼が支配していると感じている人間だけを極めてはっきりと「愛し」ている。妻でも、子でも、助手でも、給仕でも、道行く乞食でも、かれの支配の対象にたいして、かれは愛の感情を、いや感謝の感情さえ持っている。かれらの生活を支配するのは、彼らを愛しているからだと、彼は考えているかもわからない。事実は彼は彼らを支配しているから愛しているのだ。彼は物質的なもので、賞賛で、愛を保証することで、ウィットや光彩ある才気で、関心を示すことによって、他人を買収している。彼はあらゆるものを与えるかもわからない―――ただ一つの事をのぞいて、すなわち自由独立の権利をのぞいて」
エーリッヒ・フロムの他の名言
「自由とは責任を引き受けることだ。だからこそ、多くの人が自由を恐れる」
「苦悩や服従や自殺が、生の積極的な目標に対するアンチテーゼであることは疑いない」
「我々のものとは、人であれ無生物であれ、われわれが創造的な活動によって純粋な関係を持っているものだけである」
「合理化は、現実を洞察する手段ではなく、自分自身の願望を、存在する現実と調和させようとする事務的な試みである」
「我々の自発的な活動から生まれる性質のみが自我に強さを与え、ひいては自我の統一性の基礎となる」
「能動的な思考から生まれてくる思考は、常に新しく独創的である。独創的ということは、必ずしも他の人間が以前に考えなかったという意味ではなく、考える人間が、自分の外の世界にしろ中の世界にしろ、そこになにか新しいものを発見するために、その手段として思考を用いたという意味においてである」
「良心は、外的権威と同じような冷酷な支配者であること、また人間の良心によってあたえられる秩序の内容は、結局個人的な自我の要求によってよりも、倫理的規範の威厳を装った社会的要求によって左右されやすいものであるということが明らかになっている」
「権威は常に、何時はこのことを成せ、あのことをなすべからずと命令するような個人や制度であるとは限らない。この種の権威は、外的権威と名付けることができるであろうが、権威は、義務、良心あるいは超自我の名のもとに、内的権威としてあらわれることもある」
「マゾヒズム的人間は、外部的権威であろうと、内面化された良心あるいは心理的強制であろうと、ともかくそれらを主人とすることによって、決断するということから解放される。すなわち自分の運命に最後的な責任をもつということから、どのような決定をなすべきかという疑惑からも解放される」
「人は自己自身を屈服させ、それのもつすべての力や誇りを投げ捨て、個人としての統一性を失い、自由を打ち捨てる」
関連する名言
「キリストとは、人間の本性に受肉した神の謙遜である。」
— アンドリュー・マーレー
「知られているということが、貧しい人々にとってどれほどのことか、考えてみてください。」
— オクタヴィア・ヒル
「施しや物を与えるよりも、仕事を与えるほうがはるかによい。」
— オクタヴィア・ヒル
「この仕事全体を支える原則は、住民とその環境を共に改善しなければならない、ということである。」
— オクタヴィア・ヒル
「慈善が持つ優しさのすべては、それが本当の友から届いたものだという実感に由来する。」
— オクタヴィア・ヒル
「それは、働き手の少ない広大な活動の場にほかならない。」
— オクタヴィア・ヒル
「逆境のただ中にある彼らの活力と希望は、私自身の怠惰と絶望を恥ずかしく思わせました。」
— オクタヴィア・ヒル
「愛は愛を生み、憎しみは憎しみを生む。」
— ドワイト・L・ムーディ
「相手を愛していれば、その人に届くのはたやすい。あらゆる壁は取り払われ、押し流されてしまうからだ。」
— ドワイト・L・ムーディ
「神に満たしてくださいと祈る前に、まず自分を空にしてくださいと祈るべきだと私は思う。」
— ドワイト・L・ムーディ