「“愛っていうのは夫婦愛、隣人愛、お友達の愛もあり、親子愛もあり・・、いろんな愛がありますけれど、やっぱり人間は、愛がないと生きていけないと思うんですよ」
岩下志麻の他の名言
「役になって『ほかの人間』になるより、『岩下志麻』自身としてしゃべることに、心地よさを感じるようになった」
「(かたせ梨乃との乱闘シーンについて)本番はやっぱり、お互い全力でぶつかりあいました。叩いたり、髪を引っ張ったり、本気でやり合ったので、髪の毛は抜けるし、着物はびりびりに破けるし。撮り終えた時にはゼェゼェして、めまいがして、控室で休ませてもらった記憶があります」
「欲を言えば、もう一人子供がほしかったですけど、仕事で忙しかったり、高齢出産はどうかと躊躇しているうちに40(歳)になってしまって・・・・。娘のためにも、もう1人産んでおけばよかったかしらと、いまでも思いますね」
「篠田とお付き合いするようになったのは、彼が監督をした『暗殺』がきっかけでした。映画の打ち上げが東京・赤坂のナイトクラブであって、篠田と当時はやっていたマンボを踊ったんです。そのときふと『ああ、私はこの人と結婚するな』というひらめきがあったので『私、監督と結婚するような気がします』と言ったら、彼は唖然として踊りをやめてしまいました」
「これが私の最後の作品と言えるようなものに出会うまでは、安易な妥協はしたくない」
「ラブシーンというのは、誰もいないと思ってやらないと。そういう点、私は近眼だから自分の世界に入れちゃう。照れがなくて楽」
「(夫とは)現場に入ると、監督と女優になっちゃう。不思議なほど、お互い他人になっていましたね」
「役を演じているときはどんなに激しい場面でも平気なのに、“素(す)の私を人前にさらすことには恐怖感があった」
「いつもはホン(台本)を読み、色々な場所へ見学に出かけて役作りをするので、この時も『本物の極妻さんの家に3日間ほど泊まって、生活を体験して役作りをしたい』とプロデューサーさんにお願いしたら『とんでもない』と、いわれてしまって。でも『岩下志麻の極妻でいいんだ』と託していただけて、逆にイメージが膨らみました」
「(夫婦円満の秘訣)基本的には「思いやり」でしょうかね。距離を置いて干渉しあわない。そういう関係でいることかな」
関連する名言
「私は誰とも争わなかった。争うに値する者などいなかったから。自然を愛し、自然の次に芸術を愛した。人生の火にかざして両手を温めた。その火は今、衰えてゆく。私は旅立つ用意ができている。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「死が私の上に立ち、耳元で何かをささやく。その奇妙な言葉について私に分かるのは、そこに恐れの言葉など一言もない、ということだけだ。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「滅びたイリオンを越えてヘレネは生き、アルケスティスは黄泉の国から立ち上がる。彼女たちを呼び戻すのは詩であり、死すべき乙女たちに不滅の若さを与えるのも詩である。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「名声の門と墓の門は、同じ楣(まぐさ)の下に並んで立っている。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「一枚、また一枚と葉が落ち、一輪、また一輪と花が散る。寒い時節に散るものも、暖かい時節に散るものもある。ひとしく咲き、ひとしく散り、それらを育てた大地がすべてを迎え入れる。大地の賢い子である私たちは、命が尽きたとき、その懐に身を沈めることにもっと満足してよいのではないか。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「死は姿こそ見えないが、すぐそばにいて、私の八十歳を惜しんでいる。私はこの最後の歳月をそっくり彼にくれてやってもいい、五十年前に過ぎ去ったあの一年と引き換えに。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「批評家ぶった口がやかましいこの世でささやかれるあらゆる「きまり文句」のなかで、偽善者のそれが最悪かもしれないが、いちばん苦痛なのは批評のきまり文句だ。」
— ローレンス・スターン
「時はあまりに速く過ぎ去る。私が一字を記すたびに、人生がどれほどの速さでペンのあとを追ってくるかを思い知らされる。」
— ローレンス・スターン
「脱線は、まぎれもなく陽光だ。脱線こそ読書の命であり魂である。」
— ローレンス・スターン
「人間の身体と精神は、上着とその裏地のようなものだ。一方をしわくちゃにすれば、もう一方もしわくちゃになる。」
— ローレンス・スターン