「ぼくは日記を書くことができないんですけど、その代わりに14、5歳の頃から見た芝居や映画のプログラムがとってあって、それをみるとその芝居や映画を見た時に考えていたことを思い出すんです。プログラムを見ると、この頃は何を考えていたんだとわかる。だから、見た物と自分が舞台に立った時のことが思い出になっているんですね。そんなふうで、あまり記憶の整理ができないんです」

坂東玉三郎の他の名言

「遠くを見ない。明日だけを見る」
「桜姫って、ただのお姫さまとは全然違いますから。いろんな女の人の性格や運命を一人の女にこめたようなところがあります」
「きれいに立ち直るというのはすごく力がいる。醜く落ちていったものを次の幕でもう一度きれいに再生するのは、すごくたいへんです、精神的にも、肉体的にも」
「最初、役慣れしない頃は低い声、いわゆる男らしい声を出さねばという意識がありましたが、慣れると声の高い低いじゃなくて雰囲気なんだなとわかったので、後半ではお岩が低い調子、小平が高い調子。小平は女っぽくならない程度に張りました」
「浪宅の中でも、だんだんと変わるわけで、薬を飲んで、宅悦に顔が変わったと言われてからまた変わる。宅悦の話を聞き、髪梳になるとまた違う。声は張っても癇に抜けないようにというんですね。それと、お岩様だけが持つ力というか、パワーがなければいけないけれども、元気になっちゃいけないでしょう。そのバランスがむずかしかったです」
「むずかしかったのは凄みを出すというところです。「凄み」と「がんばる」というのは違う。「ふけてはいけない」というのと「軽くなる」のは違う。「病気のけだるさ」と「恨みの辛さ」も違う。結局、ぼくはまだ若いですから声を安易に使うと軽くなる。それがむずかしいのです」
「お岩は父親の敵を打ってもらいたさに伊右衛門といるけれど、子供まで生んだのに針の筵の毎日でいる。父を殺した伊右衛門と知らずに暮らしていることが因果なんでしょうね。「浪宅」は本当によくできている場面ですね」
「お岩という人は、初めて舞台に出てきた時は若くて美しい女だけれど、すでに生活に むしばまれている。原作、初演の台本では夜鷹のなりで出るんですね。でも、なぜ夜鷹なのかと考えると頭がぐらつくんですね(笑)。ですから、ぼくは夜 鷹の糸立(粗末な筵のこと)を持たずに出ました。ひとことふたこと説明したところで お岩が夜鷹であったと、見ている方にはわからないでしょうから。もしそうするならば、それなりの台本を作らなければなりませんし」
「見る側のために伝承がある、けっして演る側の楽しみじゃなく、いかに内容をはっきりわからせ、奥深く見せるかのための伝承を大切にしていきたいと思いました」
「『四谷怪談』というのは本当によいお芝居で、5時間で演じ切れない部分のどこを割愛していけばいいか、というと、本当からいえば割愛していいところなんかないわけです。ですが、今回は言ってみれば、裏表、裏表ときれいな部分と醜さが反転してゆくという演出家の趣向なんです」

関連する名言

「もしある人の主張が正しいなら、それはおのずから十分に自らを弁護してくれる。いや、その主張の持ち主をも弁護してくれる。」

— ジョン・バニヤン

「私は自分の敬虔さを誇っていた。実のところ、私がしたことはすべて、人に見られるためか、人に褒められるためだった。」

— ジョン・バニヤン

「夢の中で私は見た。クリスチャンが上っていく大路の両側には垣のように壁が築かれており、その壁は「救い」と呼ばれていた。」

— ジョン・バニヤン

「「虚栄の市」がその名で呼ばれるのは、そこで売られ、そこにもたらされるものがすべて虚栄であり、その町が虚栄そのものよりも軽いからである。」

— ジョン・バニヤン

「十字架は、天国へ行こうとする者がみな通らねばならない、動かぬ道しるべである。」

— ジョン・バニヤン

「賞は天国である。それが欲しいなら、走って手に入れなければならない。」

— ジョン・バニヤン

「人の会話に加わるとき、まず考えるべきは、その人が自分の話を聞きたがっているのか、それとも自分に話を聞いてほしいのか、ということだ。」

— リチャード・スティール

「人生につきまとうあらゆる感情のうち、栄光を求める心こそがもっとも激しい。」

— リチャード・スティール

「徳のある人にとって、男女を問わず、年を重ねることは、若さのあらゆる快楽にまさる威厳をもたらす。」

— リチャード・スティール

「心の病のなかで、お世辞を好む心ほど広く蔓延し、しかも有害なものはない。」

— リチャード・スティール

関連する人物