「ライナーノーツにも書いたけど、僕は小学校の頃に、12枚組の『ヨーロッパ映画大全集』という、ソフィア・ローレンのアップがジャケットになっていた映画音楽のレコードをずっと聴いていたんです。まさに愛聴盤でした。その中で好きだったのが『太陽がいっぱい』『太陽がひとりぼっち』『夕陽のガンマン』といった、ニーノ・ロータの作品でした。『シシリアンセレナーデ』はまさにその影響を形にした曲ですからね」
葉加瀬太郎の他の名言
「人間はいつか必ず死ぬ時が来るでしょう。その恐怖は常にあって、時折「何のために生きているのか」と悩み、投げやりになりそうにもなる。でも、ちょっと待てよと。僕は生きている間にこんなにも楽しいことができているんだから、それでいいじゃないか」
「やっぱり自分の両親の世代の日本人と、僕らの世代が感じてきた文化体験はまったく違うものだと思うわけです。」
「自覚症状アリですね。ロンドンでの生活が長くなってきたせいもあるのかもしれません。日本のことや自分の故郷のことを考えて、『そう言えば親もいい歳になったよな』とも思いますからね。今日このインタビューで指摘されるとは思ってもみませんでしたけど」
「うん・・・・歳を取ったんだね。そういう気がします。おっしゃる通り、曲を作りながら、故郷とか、家に帰るとか、そんな言葉がいっぱい浮かんできちゃいましたからね。これまで抱かなかった感覚ですね。非常にノスタルジックです。自分でも驚きでしたけど、懐かしいものがまったく怖くないと言うか。まあ44歳いう年齢がいい歳なのか若いのかはジャッジが難しいけど、明らかに30代とは違う意識を持ち始めたのは確かですね」
「8歳の息子からサンタへの気持ち。最高」
「(歴史上多くの音楽家がいて今でも聞き継がれてる作曲家の共通点は、)後世の聴衆まで魅了するほどの志(こころざし)があるかどうか」
「サントリーホールでの古隆さんの40周年アニヴァーサリーコンサート。ゲスト出演で演奏させて頂きました。加古さんの音楽に夢中になってた18歳の僕が今日の事を知ったらびっくりするだろうなあ」
「成田なう。これからロンドン、ケルン、ニューヨークとガンバルンバって来ま〜〜す!!」
「朝から墓参りに行き、午後は正月のパーティーの買い物に行き、帰って来て鍋をつつきながら紅白を観て「もうちょっとまともな歌はないのか!」と小言を云うという正しい日本人のオッサンの大晦日。最高なり」
「浪速のロンドン」
関連する名言
「私は誰とも争わなかった。争うに値する者などいなかったから。自然を愛し、自然の次に芸術を愛した。人生の火にかざして両手を温めた。その火は今、衰えてゆく。私は旅立つ用意ができている。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「死が私の上に立ち、耳元で何かをささやく。その奇妙な言葉について私に分かるのは、そこに恐れの言葉など一言もない、ということだけだ。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「滅びたイリオンを越えてヘレネは生き、アルケスティスは黄泉の国から立ち上がる。彼女たちを呼び戻すのは詩であり、死すべき乙女たちに不滅の若さを与えるのも詩である。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「名声の門と墓の門は、同じ楣(まぐさ)の下に並んで立っている。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「一枚、また一枚と葉が落ち、一輪、また一輪と花が散る。寒い時節に散るものも、暖かい時節に散るものもある。ひとしく咲き、ひとしく散り、それらを育てた大地がすべてを迎え入れる。大地の賢い子である私たちは、命が尽きたとき、その懐に身を沈めることにもっと満足してよいのではないか。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「死は姿こそ見えないが、すぐそばにいて、私の八十歳を惜しんでいる。私はこの最後の歳月をそっくり彼にくれてやってもいい、五十年前に過ぎ去ったあの一年と引き換えに。」
— ウォルター・サヴェージ・ランドー
「批評家ぶった口がやかましいこの世でささやかれるあらゆる「きまり文句」のなかで、偽善者のそれが最悪かもしれないが、いちばん苦痛なのは批評のきまり文句だ。」
— ローレンス・スターン
「時はあまりに速く過ぎ去る。私が一字を記すたびに、人生がどれほどの速さでペンのあとを追ってくるかを思い知らされる。」
— ローレンス・スターン
「脱線は、まぎれもなく陽光だ。脱線こそ読書の命であり魂である。」
— ローレンス・スターン
「人間の身体と精神は、上着とその裏地のようなものだ。一方をしわくちゃにすれば、もう一方もしわくちゃになる。」
— ローレンス・スターン

