真面目に、きちんと、手を抜かずに。そうやって頑張ってきた人ほど、いつの間にか「楽しむ」ことを後回しにしてしまいます。休日でも頭の片隅に仕事があり、趣味さえ「上達しなければ意味がない」と身構えてしまう。そんな毎日に、心当たりはないでしょうか。
けれども、古今東西の賢人や表現者たちは、驚くほど口をそろえて「遊び」と「楽しさ」の価値を語ってきました。哲学者は遊ぶ人間こそ完全な人間だと言い、物理学者は遊びの中から発見を手繰り寄せ、経営者は仕事を人生最大の遊びにせよと説きます。遊び心は、怠けることの言い訳ではなく、人生と仕事を深く豊かにする力なのです。
この記事では、遊び心・楽しむことにまつわる名言を35本集めました。肩の力が抜ける一言から、仕事観を揺さぶる一言まで。読み終えたとき、今日の自分に少しだけ「遊ぶ許可」を出せていたら嬉しく思います。
人間はなぜ遊ぶのか――遊びの根っこにあるもの
遊びは暇つぶしではなく、人間の根っこにある営みです。まずは哲学者や芸術家の言葉から、遊びの正体をのぞいてみましょう。
「人間は、言葉の完全な意味で人間であるときにだけ遊んでおり、遊んでいるときにだけ完全な人間なのである」
── フリードリヒ・フォン・シラー(ドイツの詩人・劇作家)
シラーは『人間の美的教育について』の中で、遊びを人間性の頂点に置きました。理性と感覚のどちらにも縛られない自由な状態が「遊び」であり、そこでこそ人は完全になれるという考えです。遊ぶことを「人間らしさの証」と捉え直すと、遊ぶ時間への罪悪感が少し軽くなります。
「時は、さいころ遊びに興じる子どもである。王権は子どもの手にある」
── ヘラクレイトス(古代ギリシャの哲学者)
万物は流転すると説いた哲学者は、世界を動かす時間そのものを、無心にさいころで遊ぶ子どもに重ねました。そこには計算も目的もありません。人生の大きな流れの中で、私たちが思うほど「正解のルート」は決まっていないのかもしれません。
「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん。遊ぶ子供の声聞けば、我が身さへこそ揺るがるれ」
── 作者不明(『梁塵秘抄』より)
平安時代末期の歌謡集に収められた一首です。人は遊ぶために生まれてきたのだろうか、と問い、子どもの声を聞くと自分の体まで揺さぶられると歌います。九百年近く前の人も、遊びに心を動かされていた。その事実が、なんだか心強く響きます。
「真の男の中にはひとりの子供が隠れている。この子供が遊びたがるのだ」
── ニーチェ(ドイツの哲学者)
ニーチェは、大人の内側に「遊びたがる子ども」が潜んでいると見ました。性別を問わず、これは誰にも当てはまる話でしょう。大人になるとは子どもを追い出すことではなく、その子を黙らせずに連れて歩くことなのかもしれません。
「成熟とは、子供のとき遊戯の際に示したあの真剣味を再び見出したことである」
── ニーチェ(ドイツの哲学者)
子どもは遊びに驚くほど真剣です。負ければ悔しがり、勝てば全身で喜ぶ。成熟とは、その本気を大人の仕事や暮らしの中で取り戻すことだと、ニーチェは言います。遊びと真剣さは対立せず、むしろ同じ根から生えているのです。
「素朴に、無邪気に、幼児のような眼をみはらなければ、世界はふくらまない」
── 岡本太郎(芸術家)
「なんだこれは」と目を丸くする感覚を失うと、世界は狭く固くなっていきます。岡本太郎は、無邪気さこそ世界を広げる力だと語りました。知識が増えるほど、驚く力を守る努力が必要になるのかもしれません。
「人間は何もしないで遊んでいる時に育つんだよ」
── 小林秀雄(批評家)
成長というと、努力や訓練ばかりを思い浮かべがちです。しかし小林秀雄は、何もせず遊んでいるときにこそ人は育つと言います。役に立つかどうかを問わない時間が、あとから静かに根を張っていく。そう考えると、ぼんやりする時間も立派な営みに見えてきます。
「私は、海辺で遊んでいる少年のようである。ときおり、普通のものよりもなめらかな小石やかわいい貝殻を見つけて夢中になっている。真理の大海は、すべてが未発見のまま、目の前に広がっているというのに」
── アイザック・ニュートン(イギリスの物理学者・数学者)
万有引力を見いだした大科学者は、自分の仕事を「浜辺で小石を拾う少年」にたとえました。謙虚さの言葉でもありますが、同時に、探究の本質が遊びにあるという告白にも読めます。目の前の小石に夢中になれる人だけが、大海の存在に気づけるのです。
仕事と遊びの境目――働くことを面白がる
「仕事は仕事、遊びは遊び」。そう割り切る人もいれば、境目そのものを溶かしてしまう人もいます。ここでは、働き方と遊び心の関係を考えましょう。
「仕事とは、やらなければならないこと。遊びとは、やらなくてもいいこと」
── マーク・トウェイン(アメリカの作家)
トウェインは、仕事と遊びの違いを「義務かどうか」で切り分けました。同じ行為でも、やらされれば労働、自分から選べば遊びになる。もし今の仕事が苦しいなら、どこか一箇所でも「自分で選んでやっている」部分を見つけてみると、景色が変わるかもしれません。
「遊ぶときはしっかり遊べ。働くときは少しも遊んではいけない」
── セオドア・ルーズベルト(第26代アメリカ大統領)
こちらは、メリハリの大切さを説く一言です。遊ぶなら全力で、働くなら本気で。中途半端な遊びも、中途半端な仕事も、結局どちらも満たされません。遊び心を肯定することは、仕事を軽んじることではないのだと教えてくれます。
「ビジネスで成功するかどうかのカギは、結局のところ、仕事を人生最大の遊びにできるかどうかだ。ホモ・ルーデンス(遊びの人の意)、人間は遊ぶ動物なのだ。人間は遊んでいる時が、最大の創造力を発揮する動物なのだ。仕事を人生最大の遊びにできれば、人は誰でも有能なビジネスマンになれる」
── 三木谷浩史(楽天グループ創業者)
オランダの歴史家ホイジンガが唱えた「遊ぶ人」という人間観を、ビジネスの世界に持ち込んだ言葉です。創造力が最も発揮されるのは、緊張しているときではなく、夢中で遊んでいるとき。仕事をそういう状態に近づける工夫が、成果への最短路だという主張です。
「仕事は楽しむためにある。そう思えなければ、仕事ではなくただの労働だ」
── 柳井正(ユニクロを展開するファーストリテイリングの経営者)
仕事と労働を分けるものは、そこに楽しさがあるかどうか。柳井正は、楽しめない仕事は単なる労働にすぎないと言い切ります。厳しい言葉ですが、「自分にとっての楽しさとは何か」を問い直すきっかけになる一言でもあります。
「『手応え』とか『真剣さ』は、仕事にだけでなく、遊びにも同じように要求される。それを欠いた遊びは退屈である」
── 鷲田清一(哲学者)
遊びが楽しいのは、いい加減だからではなく、手応えがあるからです。ルールの中で工夫し、うまくいかず、また挑む。仕事と同じ構造が、遊びにも潜んでいます。逆に言えば、仕事にも手応えを持ち込めば、遊びのように面白くなるということです。
「おっちゃんはな 真面目にふざけるのが仕事なんだよ!」
── 岡村隆史(お笑いコンビ「ナインティナイン」)
笑いのプロにとって、ふざけることは本気の仕事です。中途半端にふざければ笑いは生まれません。真面目さと遊び心は矛盾しない、というこの感覚は、どんな職種にも当てはまるのではないでしょうか。
ひらめきは遊びから生まれる――創造する人の流儀
大きな発見や名作の多くは、遊んでいる最中に生まれています。創造する人たちが、遊びをどう捉えているのかを見ていきましょう。
「結合的な遊びは、生産的な思考の本質的な特徴であるように思われる」
── アルベルト・アインシュタイン(理論物理学者)
数学者ジャック・アダマールへの手紙で、アインシュタインは自分の思考過程をこう明かしました。イメージや概念を自由に組み合わせて遊ぶことが、創造的な思考の核心だというのです。論理は後からついてくる。まずは手元の材料を、遠慮なくいじってみる姿勢が大切なのでしょう。
「僕はまた他のことも考えはじめた。前にはあんなに物理をやるのが楽しかったというのに、今はいささか食傷気味だ。なぜ昔は楽しめたのだろう? そうだ、以前は僕は物理で遊んだのだった。いつもやりたいと思ったことをやったまでで、それが核物理の発展のために重要であろうがなかろうが、そんなことは知ったことではなかった。ただ僕が面白く遊べるかどうかが決めてだったのだ」
── リチャード・ファインマン(ノーベル物理学賞を受賞した物理学者)
燃え尽きかけたファインマンが、「重要かどうか」を手放して「面白いかどうか」だけで物理に向き合い直した、有名なエピソードです。そこから後の業績につながる着想が生まれました。成果を意識しすぎて苦しくなったとき、思い出したい姿勢です。
「面白い漫画を描くコツは、まず作者自身にとっておもしろい作品をかくことです」
── 藤子・F・不二雄(漫画家『ドラえもん』作者)
読者を楽しませたいなら、まず自分が楽しむ。作り手の高揚感は、不思議と作品を通して伝わっていきます。誰かのために何かをつくる人ほど、自分の「面白い」を信じてよいのだと背中を押してくれる言葉です。
「やっぱ作ってる間楽しいことがいいですよね。そっちの方が大事ですよね。興行の事は後に考える」
── 鈴木敏夫(スタジオジブリのプロデューサー)
結果の前に、過程の楽しさがある。ものづくりの現場を知り尽くした人の実感でしょう。プロセスが楽しければ、現場の空気がよくなり、結果として作品にも良い影響が出る。順番を間違えない、という知恵です。
「難しいことを優しく、優しいことを深く、深いことを面白く、面白いことを真面目に、真面目なことを愉快に、愉快なことはあくまでも愉快に」
── 井上ひさし(作家・劇作家)
井上ひさしの創作の心得として知られる言葉です。難しさを手放さず、しかし伝え方は優しく、面白く、愉快に。最後は「あくまでも愉快に」と締めるところに、書き手としての矜持がにじみます。人に何かを伝える仕事をする人に、特に響く一言です。
「不可能なことに取り組むのは、楽しいものだ」
── ウォルト・ディズニー(ディズニー社の創業者)
無理だと言われることほど、挑み甲斐がある。ディズニーは不可能を「障害」ではなく「遊び場」として見ていたようです。できるかどうかを心配する前に、面白そうだと思えるか。その感覚が、前例のないものを形にする原動力になります。
「誰の日常にも面白いヒントがたくさんある」
── 所ジョージ(タレント・ミュージシャン)
特別な場所へ行かなくても、面白さはすぐそばに転がっています。通勤路の看板、家族の口ぐせ、台所の小さな工夫。「面白がる目」さえ持っていれば、日常は尽きない遊び場になるのだと、所ジョージは軽やかに示してくれます。
楽しむ力は、才能より強い――好きこそ、挑戦の燃料
続けられる人、伸びる人に共通するのは、才能よりも「楽しむ力」かもしれません。挑戦の場面で、楽しさがどう働くのかを見ていきます。
「これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」
── 孔子(古代中国の思想家)
『論語』の有名な一節です。知っている人より、好きな人。好きな人より、楽しんでいる人。学びや仕事の最終的な強さは、知識や情熱ではなく、楽しめるかどうかにあると、二千五百年前の思想家は見抜いていました。
「実力も能力も何もないなんて1番楽しい時期じゃねえかよ、何したって成長すんだから」
── 武井壮(タレント・元十種競技日本チャンピオン)
何もできない状態を、嘆くのではなく「伸びしろしかない」と笑い飛ばす。この発想の転換は、新しいことを始める人に勇気をくれます。下手なうちは、上達する喜びを何度でも味わえる特等席にいるのです。
「地球上のどこに落とされても楽しいと言える能力を手に入れたい」
── 武井壮(タレント・元十種競技日本チャンピオン)
環境を選ばず楽しめる力は、あらゆる能力のなかでも最強の部類かもしれません。状況を変えられないとき、変えられるのは「どう受け取るか」だけです。楽しむことを、鍛えられる技術として捉える視点が新鮮です。
「痛い目にあったとしても、失敗すらできない人生よりずっと楽しい」
── 高橋尚子(マラソン選手・シドニー五輪金メダリスト)
失敗を恐れて動かないより、転んでも走るほうが楽しい。大舞台を知る人の言葉だけに、説得力があります。失敗を「痛い目」と認めたうえで、それでも挑戦を選ぶ潔さが、読む人の足を一歩前に出させてくれます。
「ヘンクツや異端者と呼ばれてもいいじゃないか。変わり者の生き方の方が面白いよ」
── 菅原文太(俳優)
周囲と同じでいることに疲れたとき、この一言は救いになります。変わり者と呼ばれることを恐れず、自分の面白さを選ぶ。そういう生き方は、人生を自分のものにする一番の近道かもしれません。
「楽しくなる為に頑張ってきたのに楽しくなくて頑張るのは糞だ」
── デンジ(『チェンソーマン』の主人公)
乱暴な言い回しですが、本質を突いています。何のために頑張っているのか。幸せや楽しさのためだったはずなのに、いつの間にか「頑張ること」自体が目的になっていないか。立ち止まって自分に問いかけたくなる、荒削りで率直な言葉です。
人生は面白がったもの勝ち――ユーモアと遊び心のすすめ
最後は、人生そのものを軽やかに楽しむ姿勢について。つらい時期や不自由な状況でも、ユーモアは人を支えてくれます。
「ユーモアがなければ、人生は悲劇になってしまう」
── スティーヴン・ホーキング(理論物理学者)
難病と向き合いながら宇宙の謎に挑み続けた科学者が、ユーモアの大切さを語っています。笑いは現実を消すものではなく、現実と付き合うための知恵です。つらい状況ほど、小さな笑いを探す価値があるのでしょう。
「言っておくが、われわれがこの地球にいるのは、ふざけ回るためだ。誰に何と言われようと、そうなのだ」
── カート・ヴォネガット(アメリカの作家)
晩年のエッセイ集『国のない男』に出てくる一節です。人生に大層な意味を求めすぎる必要はない、と笑いながら肩を叩いてくれるような言葉。真剣に悩みすぎた夜に、ふっと力が抜けます。
「人生は楽しむためにあるもので、苦しみは味付けに少々」
── ビング・クロスビー(アメリカの歌手・俳優)
苦労を全否定するのではなく、「味付けに少々」と位置づけるところが粋です。主役はあくまで楽しさで、苦しみは引き立て役にすぎない。人生のレシピを組み立て直したくなる、軽妙な比喩です。
「ふざけて生きようよ」
── 所ジョージ(タレント・ミュージシャン)
たった一行で、人生の構えを変えてしまう言葉です。ふざけるとは、いい加減になることではなく、物事を重く受け取りすぎないこと。深刻になりがちな日々に、この一行を貼っておきたくなります。
「病気の境涯に処しては、病気を楽しむという事にならなければ生きて居ても何の面白味もない」
── 正岡子規(俳人・歌人)
病床にあっても、子規は俳句や随筆を書き続け、痛みの中にさえ面白さを探しました。「楽しむ」とは、状況の良し悪しとは別に、自分の態度で選べるものなのだと教えてくれます。
「逃げたって何の解決にもならない。それどころか状況を悪化させるばかりだ。だから人生が著しく悪い方向へ向かっている時には、そいつを楽しんじまえばいいのさ」
── ジョン・ライドン(セックス・ピストルズのボーカル)
パンクの旗手らしい、開き直りの哲学です。最悪の状況を「楽しんでしまう」という発想は、無理に前向きになるのとは違い、事態を面白がって眺める余裕を生みます。追い込まれたときの、意外な処方箋です。
「問題は、これからのことや過ぎ去ったことを思いわずらう必要はないってことなんだ。大切なのは、今この瞬間を楽しむ、ということさ」
── ジョン・レノン(ザ・ビートルズのメンバー)
未来への不安と過去への後悔は、いまの楽しさを静かに奪っていきます。レノンは、いまこの瞬間に意識を戻すことを勧めました。遊びとは、いまに没頭する技術でもあるのです。
「キレイだなと思う人は自分の生活を生き生きと楽しく過ごしている。決して与えられたものではなくて、自分で楽しい生活を作っている」
── 黒柳徹子(女優・『窓ぎわのトットちゃん』著者)
楽しい生活は、誰かが用意してくれるものではなく、自分でつくるもの。黒柳徹子の観察は、美しさの源泉が外見ではなく、日々の楽しみ方にあることを教えてくれます。今日の小さな楽しみを、ひとつ自分で作ってみたくなります。
遊び心とは、現実から逃げることではなく、現実との付き合い方を柔らかくする力です。ここに並んだ35の言葉に共通するのは、「楽しむ」ことが怠けではなく、人生の質を決める技術だという確信でした。今日は、気になった言葉をひとつだけ持ち帰って、小さく試してみてください。遊ぶ許可は、いつでも自分で出せるのですから。