名言大学

#ケンタッキー

私の顔が、
誰もが知っているシンボルになったことをいまでは誇らしく思っています

走るのを止めた人間は、
そこから一気に坂を転げ落ちるものだ

私にはたった二つのルールしかなかった。
できることはすべてやれ。
やるなら最善を尽くせ。
これが何かを達成する感覚をつかむ唯一の道だ

私は財産をビジネスに費やしていき、
とうとう無一文になってしまったのです。
ですが、
私は同時にお金にはかえられない大切なもの、
私がこの世で最も好きなものを手に入れることができました。
それはひとです

代数に関して私が学んだことは xは未知数に等しい ということだけ。
今日に至っても、
私には、
その未知数がなんのことだか分かりませんけれど、

人間は働きすぎてだめになるより、
休みすぎてサビつき、
だめになる方がずっと多い

私にとっては誰も平等に ひとりのお客様 であり、
おいしい食事が食べたい人たち なのです

成功を導くためのインセンティブはオーナー各個人に任せました。
彼らが店を大きくしたのです。
だから、
私自身はプロモーションの仕事を買ってでることができたのです。
広告代理店により つくり出された人物 ではなく、
真剣に生きている生身の人 であることが大切なのです。......

(農場での仕事について)厳しい仕事でしたが、
私は仕事を愛することをも学んだのです

人は、
自分が やれる と思うか やりたい と思う分だけ前進できる

65歳になった人なら誰にでも、
積み上げてきた経験というものがあります。
山もあれば谷もあり、
人生には試練もあれば辛酸をなめることも一度や二度ではないでしょう。
その経験から活かせるものがないはずはありません。
65歳までにあなたが手に入れてきたことを結集させれば、......

幸いなことに、
このアメリカという国では地球上のどこよりも高みにまで登れ、
一番大きなことを考えられ、
強く成長でき、
深く生きることができます。
この国のルールは誰にでも平等に勝つチャンスを与えてくれているのです。......

(高利貸しの融資について)高利貸しが1ドル儲ける間に、
私は2ドル儲けるわけですからね。
私にとっては大した利息ではないですよ

どんな失敗も、
光明への踏み石となりうることを忘れてはならない

人生はその人の生き様によってつくられるものだ

私には指針にしていた教訓がある。
人は「できる」とか、
「したい」と思う分だけ実現できるものだ

この国の薄汚い安食堂ではフライドチキンをメニューに掲げていて、
だいたいはサザン・フライドチキンと呼んでいる。
しかしそいつはフランス式のフライ鍋で魚やエビやタマネギなんかと一緒に揚げる。
私のフライドチキンはそれらと一緒にしてほしくなかった。
だから私は、
ケンタッキー・フライドチキンと呼ぶことにした。......

私の料理がもし美味しくなかったら、
お代はいりません

安易な道は効率的だし時間もかからない。
困難な道は骨が折れるし時間もかかる。
しかし、
時計の針が進むにしたがって、
容易だった道が困難になり、
困難だった道が容易になるものだ

決して引退を考えずにできるだけ働き続けろ

なあ、
きみ。
4セントを誤魔化そうとする男が、
ビジネスで成功すると思うかい?
思わんだろ

私はただ2つのルールを守ってきただけだ。
「できることはすべてやれ」「やるなら最善を尽くせ」。
これが何かを達成するための唯一の方法なのではないだろうか

何歳であろうと根性があって、
やる気と信念があるならば大丈夫。
それがすべてにおいて最も大きな要素です

失敗とは、
再始動したり、
新しいことを試したりするために与えられたチャンスだ。
私はそう信じている

私はすでにビジネスを運営、
管理する立場にはありません。
でもこの仕事には心血を注ぎましたから、
私の心からは決して引き離すことはできませんね。
私の血肉なのです。
これは死ぬまでずっとそのままだと思います

おいしいもので人を幸せにしたい

人は60歳や65歳になると人生これで終わりと思うものだ。
しかし、
その人の年齢は、
自分が感じた歳、
思い込んだ歳で決まる。
歳がいくつであろうと、......

そのころ私が抱き続けていた思いは、
「ケンタッキー・フライドチキンは素晴らしい」という信念だった。
レストランのオーナーにとっても素晴らしいし、
とりわけそれを食べるお客にとって素晴らしいと

もちろん時代は変わりましたから、
いまの若い人たちに学校を退学するようなことを勧めるつもりはありません。
私のように懸命に働いたからといって、
教育を受けることなく私と同じような成功を収められるとも限りません

私はずっとネガティブセールスマンだった。
見込み客に「いらっしゃい。
手に取ってみてください」と言う代わりに、
「品質にこだわらないならば、
うちの商品を選んでもらう必要はありません」と言うんだ。
私見ながらこれが最も有効な販売方法だ

諦めて失速しない限り、
じつはまったく新しい人生をそこから築くことが可能なのです

私が良い気分になれるのは、
初めて私のチキンを食べた人を見るときだ。
私は何百万の食卓に素晴らしいチキンを届ける手伝いができたことを誇りに思っている

私が思うに、
街の小さなレストランの場合、
提供するメニューはあまりバラエティ豊富にしないほうが賢明でしょう。
そして量より質でメニューを揃えることをお薦めします。
そうすることで、
食事に心を込めて細やかな注意を払えるからです

私がやったことなど、
誰にもできる事だ。
ポイントはただ一つ。
心から『やろう』と思ったかどうかである。
心が思わないことは、
絶対に実現できない

私が仕事をする上での秘訣があるとするなら、
きつい骨も折れるような仕事も厭わないということです。
重労働が当たり前の農家で育ちましたからね

日本のKFCが一番気に入っている。
私の考えていた通 りのやり方を守り、
理想のかたちを受け継いでくれている

新しいフランチャイズ契約を交わすと、
契約者は奥様を伴って私のところに3、
4日やってきて、
フライドチキンのつくり方を学のですが、
そういう人たちを私はまるで王様や王子様のようにもてなし、
ご馳走を自らふるまったのですから

私のもとで働く人は、
自宅ですらタバコを吸ってはいけない というルールを決めました。
私が支払う給料は、
燃やして煙にしてしまうためのお金ではなく、
家族においしい食事を出すためのお金、
なにか人生を豊かにするために蓄えておくお金として使ってもらいたいのです

私のビジネス哲学は、
10歳の時、
月給たった2ドルの農場仕事をクビになった時に固まりました。
母に言われた通り、
「人生の良きことは働くことによってのみ手に入れられるのだ」とね

できることはやれ

私は自分の最前を尽くしてきました。
お説教するつもりはありませんが、
最前を尽くしてきたからこそ、
いま、
私はその見返りを享受しているのです。
私のアイディアから広がっていった『ケンタッキーフライドチキン』という会社が今も成長しているという事実がなによりの証拠ではありませんか

他人に一生懸命サービスする人が、
最も利益を得る人間である

信じてもらうのは難しいかもしれないが、
1か月で1万2000ドルを売り上げたものだ。
これはガソリンスタンドができて以来、
他人の3倍にも相当する額だった。
ハードワークは割に合う。
このことが証明されたわけだ

勤勉さを忘れ、
自分の失敗について世間を責めて過ちを正当化しようとしてはいけません

私がビジネスを築き上げることができたのは、
つまるところ人だ。
私のフランチャイズ加盟者は働き者で、
熱心で、
正直な人たちだ。
彼らがあって、......

自分自身に正直であれば、
自分が良い仕事をしているか、
そうでないかわかるはずです

昔から「おいしいレストランを知っているのはトラック運転手だ」と言われます。
必ずしもそうとは限らないかもしれませんが、
私の知る限りこれは本当だったでしょうね

66歳の男がゼロから再スタート ー そう考えるとたじろぐかもしれませんが、
この頃が私の人生で最も刺激的な時間でした。
年齢を考えればたしかにチャレンジでしたが、
私は自分のフライドチキンと自分自身、
そしてやり遂げる能力を信頼していたのです

私が好きだった食べ物と積み重ねた仕事、
考え方の根底にあるものは全て同じです。
凝りに凝った考えなどありません。

世間では、
正式に学校に通った者たちだけが、
教育された人間 だと思われているようですが、
決してそうではないと思います。
相当な成功を収めた人たちの中にも、
中学校さえ出ていない人たちがたくさんいることを私自身知っているからです

私が食事のつくり方を教える時、
テーブルにのせる料理について分量や温度や調理時間だけをただ並べたてたりはしません。
もっと温もりのある ー あなたのキッチンで調理器具の前で話しかけるように教えたいのです

(73歳当時、
ケンタッキー・フライドチキンを売却した理由について)このころ、
私がやろうと考えていたことは何も実行されずじまいだった。
そして私の会社の潜在能力を引き出すには、
大きな組織が必要だと考えるようになった。
私はいろんなことをやってきた。......

フライドチキンはアメリカにおける もてなし料理 だと確信を持っていました。
もてなす相手が王様であろうが宣教師であろうが、
どこかの君主であろうが、
そんなことはまったく関係ないのです。
フライドチキンにマッシュポテト、
カリカリに炒めたチキンの皮が入ったグレイビーソース、......

結婚した当初、
私は妻に料理のトレーニングをしていました。
彼女は素晴らしい女性でしたが、
彼女の母は、
彼女に料理を教えたことがなかったのです。
彼女の家庭には、......

成功は多くの人と分かち合いたい

いったん仕事に慣れると、
そこには素晴らしい喜びがあるのです

私たちは、
私たちの考えに共感する人たちとだけ仕事をしてきた。
そもそも理念に共感しない人を選んでも、
トレーニングする意味がないからね

私には指針にしていた教訓がある。
人は「できる」とか「したい」と思う分だけ実現できるものだ

私の唯一の趣味が食、
料理、
そして、
ハードワークなのですから。
他の人たちがテニスやゴルフや釣りをしている間、
私はキッチンで誰かにもらったレシピを試しています。......

私はある義務感を感じずにはいられませんでした。
(お客様に出す食事が 間違いなくおいしい ことを保証するのが、
私と店にとっての大切な道徳上の義務だ)そして私はその義務を果たすことを守りとおすことができました。
ほとんどすべてのお客様が、
私が提供する食事を喜んでくれましたから