「心に通ずる道は胃を通る」
開高健の他の名言
「字は病いや毒から分泌される。そして、人を病ませ、毒する」
「ニジマスが海におりたのをスチール・ヘッドと呼ぶが、そのときは腹の虹のバンドが消えてただのマスとなり、海からふたたびあがってくると、虹がまたあらわれてくるのだ。どうしてか淡水は住人を華麗に仕立てるようである」
「部屋の中へ籠ってるとどうなるかというと、アムール・プロプルしかなくなってくる。自己愛。俺が、僕が、私が、という小説だけになってしまう。精神がブヨブヨの蒼白な肥満漢の内的独白になっちゃう。自分の足で自分の体重が運べないような蒼白な肥満漢になる。これじゃいけません」
「私は小説家だが、釣りの本はこのほかに『フィッシュ・オン』というのがあって、書くことは語ることにほかならないのだから、釣人不語などといいつつ二冊も書いてるあたり、すでに釣師として失格だろうと思っている」
「釣りはままならないものである。むろん、だからこそ、男は今日もまた竿を肩に、家を出て河へ、海へと向かうのだけれど、男にとって人生そのまま、遊びもまた・・・・」
「日本人もまたたいした精力と規模で自然の破壊にいそしんでいる。日本の田には小川の小ブナも夕焼けの赤トンボもいず、草むらの恋人たちは耳もとに蜜バチの唸りを聞けないでいる。日本の田は稲こそ生えているが、もう自然ではなくて、化学粉末ですみずみまで殺菌された屋根のない工場となってしまった」
「文学はファッション・ショウじゃない。古いも新しいもない。進歩も退歩もない。わかりきったことじゃないか」
「釣師にはいろいろと厄介な気質があり、いい道具なら一も二もなくとびつくという面がある。また道具のよしあしを見わけることにかけては、日ごろどんなケチンボでもコウと狙いをつけた釣道具にはあきれるほどの大金を投じて悔いないから、デパートにさまよいこんだ女よりもまだ目が鋭いのである」
「海を愛するのは賢者であり、山を愛するのは聖者である」
「ハンティングの体験は深いものだったね。一発のライフルの銃声が引き起こしたものはいっぱいありまして、私はいまも戸惑っているようなところがある」
関連する名言
「家の中には、役に立つと知っているもの、あるいは美しいと信じるもの以外は、何も置いてはならない。」
— ウィリアム・モリス
「私は、教育が一部の人のものであってほしくないのと同じように、芸術も一部の人のものであってほしくない。自由が一部の人のものであってほしくないのと同じように。」
— ウィリアム・モリス
「私が真の芸術と考えるもの、それは、人間が労働の中で味わう喜びの表現である。」
— ウィリアム・モリス
「これらの芸術がなければ、私たちの休息は空虚で味気なく、労働は、心身をすり減らすだけのただの忍耐になってしまう。」
— ウィリアム・モリス
「ひとつの芸術の死は、すべての芸術の死を意味する。違いは、いちばん運のよいものが最後に食われるということだけだ。」
— ウィリアム・モリス
「簡素な生活は簡素な趣味を生む。すなわち、甘美で気高いものを愛する心を。それこそが、私たちが切望する新しくより良い芸術の誕生に、何よりも必要なものである。」
— ウィリアム・モリス
「自分の至福に従うなら、あなたは、ずっと前からそこにあってあなたを待っていた軌道の上に身を置くことになる。そして、あなたが生きるべき人生とは、いま生きている人生にほかならない。」
— ジョーゼフ・キャンベル
「自分が中心にいるのか、軌道に乗っているのか外れているのかを知っている何かが、あなたの内側にある。そして、金を稼ぐために軌道を外れるなら、あなたは自分の人生を失ってしまったのだ。」
— ジョーゼフ・キャンベル
「詩人とは、自らの至福と触れ合うことを職業とし、生き方としてきた人々にほかならない。」
— ジョーゼフ・キャンベル
「神話は発明されるものではない。見いだされるものだ。」
— ジョーゼフ・キャンベル