「マンガを描くっていう文化はないような環境だったんですけど、休み時間に自由帳にキン肉マンを描いていたら、友達が「描いて描いて!」って列を成していたり。そういう快感は小学生のときに少し覚えていましたね。でもそれが仕事になるとは、一切思ってなかったです」

原泰久の他の名言

「描こうと思えばいくらでも描けちゃうから・・・・。僕が倒れない限りは、ちゃんと描き切れると思います。心配はそこだけですね」
「ただ単に歴史の授業でキーワード的に暗記するものじゃなくて、こういう流れでこれがこうなって、次にこうなったんだよっていう、誰かが血を流して得た恩恵みたいなものと、失敗して得たもの、そこを最後に描ければいいかなと思ってますね」
「いろいろ調べたり詳しい方に聞くと、今の研究だと(暴君とは)逆で、始皇帝はすごい先を見ていて、新しすぎて失敗したっていうことになってきているらしいですよ。そこはおいおい描けると思うんで、今温めてるところです」
「なかなか生粋の悪は出てこないですね。悪役が出てきても、僕はついついそのキャラが悪に染まった理由を求めてしまうんです。完全なる悪人を倒すと単純に気持ちいいっていうのはわかるんですけど、そこに至る原因とかが見えてくるとどうしても、「誰しも原因があってそうなってしまったんだ」って思ってしまうので」
「やっぱりこの歳になると、みんな親への感謝を感じるようになってくると思うんですけど。また、自分が親になってという話だと、子供が死ぬ場面はあんまり描きたくないなっていうのはやっぱりあるかもしれないですね」
「最初は本当におじさんが苦手で、井上先生の「リアル」でおじさんがどう描かれているかをこっそり研究したりしてました。昌文君とか、最初やたらおでこのシワが多すぎて、逆に今のほうが若いみたいな変な感じになってるんですけど、そうやってるうちに描くのが楽しくなってきて、今はおじさんを描くほうが楽ですね」
「キャラは自由にその場の勢いで動くんですけど、ストーリーというか展開はかなり緻密に作り込んでるほうだと思いますね」
「1コマだけ出てきたキャラがこのあと大きなことをやらかしたり。ときどき忘れてるものもありますけど」
「逆算型なので、かなり先のことまで考えてますよ。物語のゴールは決まっているし、そこに向かうまでの構成も大きなブロックで作っている。すべてつながっていて、伏線も張り巡らしてます」
「(王騎が死ぬ場面を)描きながら自分でもボロボロ泣いていましたね。いつもキャラクターが死ぬときは、普通に涙してしまうんですけれど」

関連する名言

「私は誰とも争わなかった。争うに値する者などいなかったから。自然を愛し、自然の次に芸術を愛した。人生の火にかざして両手を温めた。その火は今、衰えてゆく。私は旅立つ用意ができている。」

— ウォルター・サヴェージ・ランドー

「死が私の上に立ち、耳元で何かをささやく。その奇妙な言葉について私に分かるのは、そこに恐れの言葉など一言もない、ということだけだ。」

— ウォルター・サヴェージ・ランドー

「滅びたイリオンを越えてヘレネは生き、アルケスティスは黄泉の国から立ち上がる。彼女たちを呼び戻すのは詩であり、死すべき乙女たちに不滅の若さを与えるのも詩である。」

— ウォルター・サヴェージ・ランドー

「名声の門と墓の門は、同じ楣(まぐさ)の下に並んで立っている。」

— ウォルター・サヴェージ・ランドー

「一枚、また一枚と葉が落ち、一輪、また一輪と花が散る。寒い時節に散るものも、暖かい時節に散るものもある。ひとしく咲き、ひとしく散り、それらを育てた大地がすべてを迎え入れる。大地の賢い子である私たちは、命が尽きたとき、その懐に身を沈めることにもっと満足してよいのではないか。」

— ウォルター・サヴェージ・ランドー

「死は姿こそ見えないが、すぐそばにいて、私の八十歳を惜しんでいる。私はこの最後の歳月をそっくり彼にくれてやってもいい、五十年前に過ぎ去ったあの一年と引き換えに。」

— ウォルター・サヴェージ・ランドー

「批評家ぶった口がやかましいこの世でささやかれるあらゆる「きまり文句」のなかで、偽善者のそれが最悪かもしれないが、いちばん苦痛なのは批評のきまり文句だ。」

— ローレンス・スターン

「時はあまりに速く過ぎ去る。私が一字を記すたびに、人生がどれほどの速さでペンのあとを追ってくるかを思い知らされる。」

— ローレンス・スターン

「脱線は、まぎれもなく陽光だ。脱線こそ読書の命であり魂である。」

— ローレンス・スターン

「人間の身体と精神は、上着とその裏地のようなものだ。一方をしわくちゃにすれば、もう一方もしわくちゃになる。」

— ローレンス・スターン

関連する人物